71 意外な装い

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『まほうつかいの国』、王都内、フリージア邸。

 ロード・スクルドの邸宅に、客人が来訪していた。


 先触れもなく突如として訪れた女は、応接室のソファーで寛ぎながら主人を待つ。

 一人緩やかな微笑みを浮かべながら出された紅茶を啜っているのは、ロード・ホーリーだった。


 綿のように軽やかな薄い茶髪をふんわりと垂らしているその風態は、大人の女性の柔らかさを持っている。

 先日君主ロードの会議にて啖呵を切った時とは違い、彼女本来の緩やかさが全面に出ていた。


「大変、お待たせいたしました」


 ホーリーがサッパリとした香りの紅茶を楽しんでいると、部屋の扉が開かれ男が現れた。

 心地の良い爽やかなテノールボイスは、『まほうつかいの国』の君主ロードの中で最年少の男、スクルドの物。

 急な来客に慌てたか、その声は若干息と共に乱れていた。


「いいえ、突然押しかけたんだもの。むしろごめんなさ────」


 カップをテーブルに置き、そう和やかに返しながら入り口に目を向けたホーリーだったが、言葉の途中で思わず口が止まった。

 それは予想外のものを目にしたからであり、衝撃と混乱と戸惑いで一瞬思考が停止したからだった。

 それは主に、この屋敷の主人の装いに対する驚愕だった。


 部屋へと訪れたスクルドは、上半身の肌を全て晒していた。

 下にはトレーニング ウェアのようなラフなスウェットを履いているが、身にまとっている衣服はそれだけだった。


「あぁ……お見苦しい姿で申し訳ありません。身なりを整えてからお見えするべきとは思ったのですが……あなたがわざわざこちらまで訪れるのならば、火急の用かと思いまして」


 ホーリーのリアクションに慌てて自らの非礼を詫びるスクルド。

 端正に整った煌びやかな相貌を申し訳なさそうに歪め、静かに頭を下げる。

 それを受けてホーリーはハッとして、すぐに首を横に振った。


「別に気にしないわ。格式張ったものって息苦しいし。まぁでも、結構びっくりしちゃったことは正直に告白するけど」

「これは失礼」


 すぐに平静を取り戻したホーリーは、フフッと軽く微笑んで陽気に答えた。

 そんな目上の女の気さくな態度に安堵したスクルドは、ホッと胸を撫で下ろしながら頭を上げる。


 面会における装いに拘ることはないが、それでもホーリーはやはり驚きを覚えずにはいられなかった。

 お伽話の王子様のような、絵に描いた優男であるスクルドは、端麗であると同時にやや線が細いように窺えていた。

 しかしその晒された肌を見てみれば、なかなかどうして鍛え上げられている。

 それは意外と思わざるを得なかった。


 全体的なシルエットは衣服の上から窺える痩せ型の物とそう相違はない。

 しかしそれを形作っている体は、しなやかに引き締まった筋肉をまとっていた。

 隆々と猛々しいのではなく、静かに整然と固められたスマートな男性の肉体だった。


 恐らく鍛錬でもしていたのだろう。

 拭い切れていない汗が黒髪から滴り、彼の胸元に落ちた。

 なだらかに、しかし確かに盛り上がった胸板の上に垂れた滴は、室内のランプの灯りに照らされながら、その胸筋の外線をなぞるように内側に向けて弧を描いて流れた。


 その細身の体は、内側の筋肉が引き締まっているからこそ成り立っているもの。

 男性にしては色白な肌は硬いハリを見せ、爽やかに輝く汗に彩りを与えている。

 絵に描いた貴公子のような煌びやかな顔立ちと、彫刻のような端正な体格が合わさり、サッパリとした雄の色香を漂わせていた。


 自身よりも年少であるスクルドの裸体を目にしたところで、ホーリーに思うところはない。

 しかしそれでも、丹念に鍛え抜かれたであろう肉体には感心を込めた視線を向けてしまった。


「それで、お話を伺いましょうか」


 ホーリーがその体を眺めていると、スクルドは何事もないように彼女の正面に座ってそう促した。

 脂肪を一切感じさせない腹部に窺える、鱗のような脇腹の筋肉と、うっすらと区切りが見て取れる腹筋の凹凸に視線を向けていたホーリーは、慌てて顔を持ち上げた。


「急ぎの用件だったのでは?」

「ああ、いえ。ここまで押しかけてきてなんだけれど、別に急用ではないの。ただ、少しあなたとお話がしたくてね」

「話、ですか……」


 はぁ、とキョトンとしながら、スクルドはソファーに深く腰掛けた。

 皮張りのソファーに汗ばんだ肌が吸い付いて、滲んだ湿り気が滴となって僅かに垂れる。


「ちょっとした気紛れよ。そんなに気にしないで。女のわがままに付き合う程度の気持ちでいてくれて構わないわ」

「承知しました。しかしでしたら尚更、この格好は不相応でしたね」


 畏った表情を和らげ、腕を広げて苦笑するスクルド。

 そうして晒されたことによって、厚い広背筋と引き締まったウェストが織りなす逆三角形の体格が強調される。

 見る者が見れば下手な衣装よりも見応えを覚えるだろう。

 そんな彼にホーリーは小さく吹き出した。


「あら、レディへのサービスつもりではなくて?」

「そう思って頂けるのなら、まぁ光栄ではありますが。私のような若輩ではお目汚しにしかならないでしょう」

「悪くないとは思うわよ。まぁ、私をうっとりさせたいのなら年季が大分足りないわね」

「精進します」


 年上の女からの手厳しい言葉に、素直に目を伏せるスクルド。

 家督を担い、そして魔法使いの冠位である君主ロードを持つ彼はあるが、まだ若い青年であることに変わりはない。

 自分がまだまだ未熟であることを、彼はよく心得ている。


 ホーリーは、そんな彼に少なからず期待を寄せていた。

 彼ならばあるいは、魔法使いの凝り固まった現状を打破できるのではないかと。

 以前は頭が固く融通の効かない生意気な小僧だったが、少し見ない間に一皮剥けたようだ。

 ホーリーが知っていた彼は、その父親の生写しかのように冷徹で温かみのかけらもない魔法使い然とした男だった。


 だからこそ、半裸での登場に驚いた部分もあった。

 以前の彼ならば体裁を重んじ、身なりを整えないという選択肢はなかっただろう。


「では、新しい茶を用意しましょう」

「あら、スクルドくんが手ずから入れてくれるの?」


 歓談をするのではと、スクルドは立ち上がった。

 彼を待つ間に出されていた紅茶は、もう冷めてしまっている。

 カップに手を伸ばしたスクルドを見て、ホーリーは無邪気な質問を投げ掛けた。


「いいえ。残念ながらその手のことは不得手でして。用意させますので暫しお待ちを」

「なーんだ。せっかく裸の男の子にお茶を入れてもらえると思ったのになー」

「………………味の保証はできかねますが」

「じょーだんよ。そんな困った顔しないで」


 思い詰めたような顔でそう言うスクルドに、ホーリーはカラカラと笑った。

 年長の女からの子供のような茶目っ気に、スクルドは内心で溜息をついた。

 しかしそんな彼女の陽気さを、悪くは思わなかった。

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