55 最初の魔女

「え────は…………?」


 もう何度目かわからない茫然が私の思考を埋め尽くした。

 この人は何を言っているのかと、そんなクエスチョンマークが乱立する。

 けれど夜子さんが言っているのだからと、それを素直に受け入れてしまう自分もいて。

 ただそれでも、とんでもなく信じ難いことには変わりない。


 間抜け面を晒しながら見つめ返すしかない私。

 隣の氷室さんはもう一周回って、普段通りのポーカーフェイスで固まっている。

 そんな私たちに、夜子さんは意地の悪いニヤニヤ顔を向ける。


「ど、どう意味ですか、それ。初めて、感染したって……」

「そのまま、言葉通りの意味だよ。『魔女ウィルス』というものに初めて触れ、そして魔女になった最初の人間の一人なのさ」


 つっかえながら問い掛ける私に、夜子さんは呑気な口調のまま答える。

 まるで誰でも知る当たり前の事実を語るかのように。


「で、でも……! 『魔女ウィルス』の歴史って、ドルミーレがいたっていう二千年前からですよね? それじゃあまるで……」

「おっと、そこから先はまだ内緒だ。レディの年齢を詮索するものじゃないよ?」


 カラカラと軽い口調でそう言うと、夜子さんは唇の前で人差し指を立てて片目を閉じた。

 口調こそ変わらない柔らかさだけれど、もうそのことに対して尋ねてはいけないという雰囲気が全面から感じられる。

 私はいくつもの質問をグッと堪えるしかなかった。


「ただ、今の情報だけでアリスちゃんの疑問には大体答えられるよ。例えば、『魔女ウィルス』の最初期感染者である事実を踏まえれば、私の魔法の練度にも納得いくだろう?」

「えっと、魔女は『魔女ウィルス』の侵食と経験値で実力が向上するからってことですか……?」


 考えながら答えを口にしてみると、夜子さんは楽しそうに「正解」と頷いた。

『魔女ウィルス』の侵食率が高いほど、そして魔女としての経験が豊富であるほど魔女の魔法は強力になっていく。

 そう言われれば確かに納得できる。もしそれが、二千年に匹敵する年月によるものだとしたら、尚更。

 それが本当に可能であるのかは疑問だし、流石にそこまで壮大ではないと思うけれど。


 だってどう見たって千年単位の年齢には見えないし。

 童顔だから若く見えるというのも加味しても、その外見はうちのお母さんと同じ四十前後のお姉さんだ。


「それに、ドルミーレや『魔女ウィルス』について詳しいことについても。誰よりも長くこの立場であるということを踏まえれば、ねぇ?」


 そんじょそこらの魔女や魔法使いとは年季が違うと言いたいのか、夜子さんは顎を上げて尊大な表情を浮かべた。

 確かに、正確な時間は定かではないにしろ、長い間魔女をしていれば他の人とは比べ物にならない知識を持っていても不思議じゃない。

 ただ、それだけでは説明しきれないものを隠している気もするけれど、流石にそこまでは突っ込めなかった。


 代わりにと言ってはあれだけれど、私は別の引っ掛かりを投げ掛けた。


「でも、どうして私の味方をしてくれるのかってことは、それでは説明できないんじゃないですか……?」

「うーん、そうだなぁ。確かにこれだけじゃ説得力に欠けるね。まぁでも別に、私はアリスちゃんの味方をしてるわけじゃないしね。それは君もわかってるだろう?」

「そ、それは……」


 全く動じるところを見せず、自分のペースを保つ夜子さん。

 私の指摘を素直に飲み込んだ上で、全く気にすることなく話を進めてくる。


 確かに、夜子さんは度々私に言っていた。

 飽くまで利害が一致する時に手を貸し合おうと。

 当時『まほうつかいの国』で会った時も、夜子さんは実際的な手助けをしてくれることはほぼなくて、それとなくヒントやアドバイスをくれるばかりだった。


「私は最初から、君に肩入れをするつもりはなかった。寧ろ殆ど関わるつもりもなかったくらいだ」

「でも、当時から夜子さんはよく私の前に現れて、色々お話をしてくれましたよね?」

「まぁね。はじめは様子見のつもりが、顔を見る度に情が湧いてきてしまったんだと、素直に告白するよ。私は君に個人的な親しさを覚えて、本来するつもりのなかった干渉をしてしまった」


 アハハと笑みを浮かべる夜子さんは、少し照れ隠しをしているように見えた。

 まるで若気の至りを恥じているかのように。

 けれどそこに後悔や反省の色はなく、否定によるものではないのは明らかだった。


「君のその質問に対する答えとしては、一人のとしてできることをしてあげたいと思ったから、かな。ただ傍観するつもりが少し手出しをしてしまっているけれど、根本の気持ちはずっと同じ。私はね、友達の思うままにさせてやりたいと思って、その為にできることをしているだけなのさ」

「夜子さん……」


 照れ笑いを落ち着けて、優しい笑みを浮かべる夜子さん。

 だらけた座り方を正して、ソファーの上で胡座をかくと、しっとりとした瞳で私を見据える。


 その想いは確かに私に向けられている。

 けれどその中で、彼女の瞳は私の更に奥を見通しているような、そんな気がした。


「アリスちゃんが『まほうつかいの国』にやって来て、思うままの日々を送って。そんな姿を見たら、放っておくことなんてできなかったのさ。道行を左右したくはないけれど、その想いの先にある障害はなるべく無くしてあげたい。私はただ、そう思って動いているだけさ。今も昔もね」


 多くを語ろうとはしない夜子さん。

 けれどその想いの在り方はよく伝わってきた気がした。

 まだまだ謎が多く残るけれど、夜子さんが私を想ってくれているのは伝わってくる。


 私の気持ちを尊重し、それに必要なことに手を添えてくれる。

 けれど時にその想いが反すれば、迷うことなく立ち塞がる。

 そうすることで夜子さんは、どんな時もあるがままの私を受け入れてれていたんだ。

 良い時も悪い時も、弱い時も強い時も。


「だからこそ五年前、私に問題を先延ばしにすることを勧めてくれたんですね。あのままいけば私は、ドルミーレに飲み込まれてしまっただろうから」

「そうすることが、いずれにしても良いだろうと思ったからね。あの時の君を放っておいたら、どっちに対しても良くない結果になりそうだったし。まぁ私にできたのは、口出しだけだったけどね」

「いいえ。それでもあの時夜子さんがそれを教えてくれたからこそ、私は逃げ道を見出せました。それには確かに意味があったと、私は思ってます。ありがとうございました」

「そっか。なら、よかった」


 そう言うと、夜子さんは静かに微笑んだ。

 さっきまで戯けていた人とは思えない、とても落ち着いた表情で。

 けれどすぐに、夜子さんはパチンと手を叩いて、一瞬でその静かさを取り払った。


「────ま、私の話はここいらでいいじゃないか。思い出話もいいけれど、そろそろ本題に戻らないとね」


 サッとそう切り替えた夜子さんは、ムッと眉を寄せる。

 その話題の戻し方は些か強引ではあったけれど、それに口を挟むことなんてできなかった。


「さっき真奈実ちゃんたちは、自らの手で増やした魔女を連れ帰っていった。けれどこの状況が物語っているように、それだけでは終わらないだろう」

「はい。ホワイトは魔女を増やし、連れて行くことを救済と言っていました。その意味が私にはわからなかったんですが…………彼女はその正義の為に、同じ事を繰り返そうとしてるんじゃないかと」


 さっきはレイくんに説得されて一時身を引いたホワイトだけれど。

 彼女がそれを救済だと言い、そして正義の名の下に動いているのであれば、更に多くの魔女を手中に入れようとするはず。

 そこで得た多くの同胞を、魔法使いとの戦いに投入する為に。


「夜子さんには、ホワイトが掲げているもの意味がわかりますか? 彼女が口にする正義は、魔女にとって本当にいいものなんでしょうか」


 私にはわからなくても、長年魔女として生きてきた夜子さんならば、彼女が思い描くことの意味がわかるかもしれない。

 そう思って尋ねてみたけれど、返ってきたのは渋い顔だった。


「ワルプルギスの思想は、私の想いとは相反するものだからねぇ。ただ、言わんとしていることはわからないでもない。それが良いことかどうかはさておきね」


 テーブルに両肘をついて手を組み、夜子さんは静かに唸る。


「世界の在り方に正しさなんてない。あるのは、自分が確かにそこで生きているという事実だけなんだから」


 ポツリとこぼしたその言葉は、どこか自分に言い聞かせているようだった。

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