47 そう遠くないうちに
やがて私たちは巨大な森の入り口に辿り着いた。
特に何の目的もなく、透子ちゃんの歩くままに従っていただけだから、目指していたつもりはなかったんだけど。
「さて、私はここまでね」
透子ちゃんは高層ビルのような木を目の前にすると、そうストンと言った。
思えば前回夢の中で会った時も、透子ちゃんが一緒にいてくれたのは森の入り口までだった。
同じ私の心の中だと思うんだけど、ここまでのお花畑とこの先の森では、何か違いがあるのかな。
「ここまでって? 今回は透子ちゃんが私を呼んでくれたんじゃないの?」
「いいえ。私は堕ちてきたあなたを迎えただけよ。あなたの意識が心の奥に堕ちて来たから、ついでにお喋りをしに会いに来ただけなの」
「そう、なんだ……」
私の疑問に、透子ちゃんは薄く微笑んで答える。
今まで心の中に意識がやってくる時は、『お姫様』に呼ばれたからだった。
その『お姫様』がいない今、てっきり私は、一番に迎えてくれた透子ちゃんに呼ばれたからだと思っていた。
さっき、私と繋がりを辿って現実で戦ってくれたばっかりだったし。
でもそうじゃないんだとしたら、他に私を呼んだ人がいる、のかな……?
それとも、ドルミーレに引き摺り込まれたか。
さっきの彼女を考えればそれも否定できないけれど、でもそれにしては状況が穏やかだし。
森の中に進んでみればわかるのかな。
「透子ちゃんも一緒に行ってくれないの?」
「そうしたいのは山々なんだけどね。ここより先はあなたの深層の領域だから、私には足を踏み入れられない。今の私だとね」
「そっか、残念だなぁ。せっかく会えたのに」
寂しさで無意識に腕を抱く力を強めてしまう。
現実では未だ眠ったままの透子ちゃんとは、こうして夢の中でしか会えない。
せっかく会えたんだから、できるだけ長く一緒にいたかったのに。
甘えるように縋り付く私に、透子ちゃんはお姉さんみたいに穏やかに微笑んで頭を撫でてくれた。
「ねぇ、透子ちゃん。透子ちゃんは、いつになったら戻ってこられるの?」
「そうねぇ。まだわからないけれど、でももう少しだと思うわ」
「もう少し!? 本当に?」
予想よりもポジティブな返答に、私は跳ね上がりそうになった。
勢いよくその顔を見つめると、可笑しそうな苦笑が返ってくる。
そうやって子供扱いして……透子ちゃんは意地悪だ。
夜子さんによって保護された透子ちゃんの身体は、もうそのダメージを回復させている。
だから本当ならば透子ちゃんは目を覚ますことができるはずだけれど、敢えてそれをしていない。
何か目的があるみたいだけど、それが何とかなりそうだから、もう少しってことなのかな?
「ええ、多分ね。そう遠くはならないと思う。ただ、一度離れてしまった身体に戻るのは、きっとそう簡単じゃない。だから、アリスちゃんが私を導いてね」
「勿論だよ! 透子ちゃんが目を覚ませるなら、私何でもするから。私が必ず、透子ちゃんの心を身体に返すから!」
「ありがとう。アリスちゃんが私をずっと感じていてくれていれば、きっと大丈夫だから。だから、私のことをずっと見ていてね」
透子ちゃんは丁寧な手つきで私の頭を撫でながら、甘く柔らかい声を出した。
優しく揺れる瞳は私をしっかりと捉えて、まるで吸い込むように見つめてくる。
その優しい眼差しに、心はホッと和らぐ。
「私、いつだってずっと透子ちゃんのこと想ってるよ。片時だって忘れたりなんかしない」
「私もよ。あなたがこれが立ち向かうであろう運命に、私はいつだって寄り添うから。アリスちゃんの心は、私が必ず守る」
お互いに笑顔を向けあって、繋がりを誓い合う。
体の距離は離れていても、心の距離はいつだって近い。
私たちがお互いを想い合っていれば、どんな時だって力を貸し合えるんだ。
ふんわりと優しい風が吹いて、甘い花の香りが私たちをくすぐってから森の方へと緩やかに流れていく。
透子ちゃんは風に拐われた黒髪を押さえながら、深い森へと目を向けた。
「『始まりの魔女』ドルミーレ。アリスちゃんの中に住う根源の魔女。彼女の実態と真実、そしてあなたとの関係は、きっと重くのし掛かる。けれど、アリスちゃんが運命に立ち向かうと決めたのなら、それは決して避けられない。心を強く持ってね」
「透子ちゃんは、何か知ってるの? ドルミーレと、私のことを?」
「ええ、凡そのことはね」
透子ちゃんは森の奥に目を向けたまま、しっとりとうなずく。
巨大な木々が密集している森は、光を吸い込むように暗くどんよりとして見えた。
「ただ、私の口からは言えない。これは、アリスちゃん自身が自分の心で知るべきことだから。それに、他人の口からそれを聞いても、きっと受け入れられないわ」
「………………」
神妙な面持ちでそう口にする透子ちゃんは、どこか苦しそうだった。
透子ちゃんが知っていると言うことは、私にとってよっぽど辛いことなのかな。
そう思うと、知りたくないと思うけど、でもいずれ知らなきゃいけないことなんだ。
今それを聞き出したい気持ちはあるけど、でもそれはするべきじゃないんだ。
封じられていた過去を人から伝聞しても意味がないと、私自身が思ったのと同じように。
私にまつわる真実は、また私自身で掴み取って、感じなきゃいけないことなんだ。
そんなことを考えると、自然と体が震えた。
あの恐ろしいドルミーレに向かい合って、彼女が何故私の中にいるかを知らなければいけない日が来る。
そう思うと、どうしても恐ろしかったから。
そんな私を、透子ちゃんは優しく抱きしめてくれた。
「私は本当は、アリスちゃんは何も知らないままでも良いんじゃないかと思ってる。そうすれば、あなたは苦しまずに済むから。でもあなたが真実を望むなら、私はその背中を押して、その手を握り続けるわ」
「ありがとう、透子ちゃん。透子ちゃんや、私の大切な友達のために、私は……自分の運命から逃げないよ」
全ての元凶であるドルミーレ。
『魔女ウィルス』を世界中にばら撒き、多くの人を苦しめている。
その強大な力を巡って、沢山の人たちが争っている。
そんな彼女を心の内に抱えている私は、もうこれ以上目を逸らしてはいられないんだ。
強く抱きしめ合うと、やがて透子ちゃんはそっと腕を緩めた。
私の顔をまじまじと見つめて、その柔らかい手で私の頬を撫でる。
まるで、愛おしいものを慈しむように。
「忘れないで。夢であっても、間違いだとは限らない。同時に現実だからといって、正しいとは限らない。大切なのは、アリスちゃんがどう感じるかなんだから。真偽よりも、その心を大切にしてね」
「…………?」
そう言うと、透子ちゃんは一歩後ろに下がった。
手がスーッと離れて、去り際に指先が名残惜しそうに頬を伝う。
「じゃあ、待ってるから。私はいつだってアリスちゃんの側にいる。誰よりもずっと。私があなたを、守るから。それを忘れないでね────」
そして、透子ちゃんは陽炎のように揺らめいて、消えてしまった。
花畑を駆ける風に拐われたように、ふんわりと、蜃気楼のように。
その言葉の意味を、語ることなく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます