37 這い寄る声

 火山が噴火したような、爆発的な業火が透子ちゃんから放たれる。

 それは頭上に輝いていた光の玉を飲み込んで、力尽くで掻き消してしまった。


 炎が吹き上がるその下にいるのに、火傷しそうなほどの熱気が伝わってくる。

 火事の只中に放り込まれたような、熱い空気に包まれる感覚。

 けれどそれはすぐに収まって、晴れやかな空が戻ったきた。


「透子ちゃん……!」

『────』


 私が声を上げると、透子ちゃんはその炎の顔をこちらに向けてきた。

 大丈夫かと心配するような、それでいて励ますように微笑むような。

 その表情は相変わらず窺えないけれど、私のことを想ってくれている気持ちは伝わってくる。


 私がありがとうとお礼を言うと、透子ちゃんは小さく頷いて正面に向き直った。

 全身が燃え上がっている透子ちゃんは、その業火の噴射で滞空している。

 長い蛇の胴体によって高い位置に持ち上げられているホワイトの体とは、ちょうど向かい合う位置。


 表情のない炎の女体を目の前にして、ホワイトは不機嫌そうに顔を歪めた。


「また、わたくしの邪魔を……。貴女とて、我らの妨げになるのであれば、正義の元に裁きを下します……!」

『────────』


 ホワイトがそう静かに唸り、正面に伸ばした手に輝きを集約させた。

 それに対抗するように、透子ちゃんの周りに炎が渦巻く。


「まったく君という子は! 油断も隙間ない!」


 光と炎。二つのエネルギーが今まさに炸裂しようとした時。

 空からレイくんが降ってきて、ホワイトと透子ちゃんの間に飛び込んだ。


 レイくんは落ちてきた勢いのままクルクルと横回転し、鋭い蹴りを透子ちゃん目掛けて放った。

 透子ちゃんは攻撃に放とうとしていた炎を即座にその場で爆ぜさせて、その勢いに乗って後方に退避した。


「────ホワイト! アリスちゃんに危害を加えちゃダメだ。それがどんな理由であっても……!」


 飛び退いた透子ちゃんから目を離さず、レイくんは背中のホワイトに叫んだ。

 けれどホワイトは耳を貸さずに首を振る。


「少々痛い目を見て頂くだけのこと。大事だいじではございません。その身を持って、わたくしの正義を知って頂かなくては」

「それがダメだと僕は────」


 やや苛立ちを見せながら、レイくんが振り返ろうとした時、灼熱の業火がその身を襲った。

 退避した透子ちゃんが、ミサイルのように大空を飛び回って突っ込んできた。


「あぁ! もう!!!」


 咄嗟に障壁を張って突撃を防いだレイくん。

 けれどその凄まじい勢いを殺しきれず、渋々その場から跳び退いた。

 透子ちゃんが、炎の線を描きながらそれを追う。


 私のこともホワイトのことも、どっちも守ろうとしてままならないレイくんは、激しい苛立ちに満ちていた。

 いつもの余裕はそこにはなく、苛立ちと共に焦りを募らせて空中を跳び回る。

 何とか私たちの元に戻ろうと画策しているのだろうけれど、透子ちゃんの追尾がそれを許さなかった。


 ビルの脇で、透子ちゃんとレイくんが縦横無尽にぶつかり合う。

 そんな光景を横目に見て、ホワイトは溜息を着いた。


「少々邪魔が入りましたが、成すべきことは変わりません。姫殿下、お覚悟はよろしいですか?」

「…………!」


 透子ちゃんとレイくんの戦いを、今すぐ止めたい。

 でもそれをするためには、今私たちを囲んでいるホワイトから抜け出さないといけない。

 つまりそれは、ホワイトを倒さなきゃいけないのと同じだ。


 ならまずはここでホワイトを止めるしかない。

 そうすれば必然的に、私を守ろうとしてくれている透子ちゃんも止まるだろうし、レイくんだって戦わなくて済むはずだ。


「あなたに屈する覚悟なんて、私はしません。私がするのは、あなたと戦う覚悟だけです!」


 だから私は、今目の前に君臨するホワイトを真っ直ぐ見据えた。

 善子さんを深く悲しませ、傷付けた彼女を。

 その歪んだ正義に屈するものかと、力強く睨んで。


 そんな私に、ホワイトはもう呆れすらしなかった。

 ただ、私の傍に控えるクロアさんにそっと視線を向ける。


「……クロアさん。そこにいらっしゃるのであれば、貴女が姫殿下を押さえて頂いても良いのですけれど……」

「お言葉ですが、それはご遠慮させて頂きます。わたくしはいかなる理由があろうとも、姫様に害を及ぼすことはできませんので」

「…………貴女にも困ったものですね」


 クロアさんが穏やかに、それでいて凛とした言葉で返すと、ホワイトはさして興味もなさそうに、そうぞんざいに呟いた。

 ここまで来たら、問答をするより自ら手を下してしまった方が早いと、そう思ったのかもしれない。

 それとも元々、クロアさんもまた自分の方針を好ましく思っていないことを知っていたのかもしれない。

 だから、そもそも期待をしていなかったのかも。


 溜息をつくことなく、冷やかな視線だけを私たちに注ぐホワイト。

 もう言葉を交わすつもりもないようで、私たちに向けて静かに両手を広げた。


 すぐに攻撃が来ると察知し、私は今度こそ『真理のつるぎ』を取り出した。

 今までは力を借りることができた時に、自然とこの手に握られていた白い剣。

 でも力を取り戻した今は、手に取りたいと思えばどこからともなく私の手の中で形を成す。


 かつてドルミーレの城で手にした純白の剣。

 あらゆる魔法を斬り払うドルミーレの剣。

『始まりの力』と連なる、私の力の一つ。


 握り慣れたその柄を両手で包み、私はホワイトを見上げた。

 封印によって解き放たれた力は私に浸透していて、ごく自然に使うことができる。

 自らの意志で全身に魔力を通わせ渦巻く力を漲らせると、白い純粋な力が私を満たした。


 心の奥底から、無限とも思える力が湧き上がる。


「ホワイト! 私はあなたになんて絶対に負けない! この世界を混乱に貶めて、善子さんを傷つけたあなたを、私は絶対に許さない!」


 強く強く剣を握りしめ、ホワイトに啖呵を切る。

 しかしホワイトはただ無言で、その冷徹な視線を返してくるだけだった。

 蛇の如き獰猛な瞳が、私を貫くように見つめるだけ。


 その目に怯まないように、全身に力を込める。

 今まさに降りかかろうとしている攻撃に備え、剣を構えてそこにもまた力を通わせた。


 そんな時────


『これは、何事────?』


 重く静かで、氷のように冷たい声が、私の頭の中で呟いた。


『私の夢を乱して、眠りを妨げるのは、誰────!』


 怒りに満ち溢れた声。

 その声に呼応して、心の奥底から湧き上がる力が黒く変色した。

 私の心に、私ではないものが土足で踏み込もうとしている。


 私が力を使おうとした勢いに合わせて、彼女が意識を向けてきたんだ。


 背筋が凍って、体が硬直した。

 そんな私の内側で、濃く深い闇の底から手が伸びてきて、私の意識を鷲掴みにした。

 意識が、心が後ろに引っ張られて、魂を抜き取られそうな感覚に襲われる。


 このままだと飲み込まれると本能的に感じて、必死で心を踏ん張る。

 それでも、底無し沼に引きづり込まれるように、ずぶずぶと意識が侵食されていく。

 どんなに耐え、抵抗してもその手は離れず、更に強く私を引き込もうとしてくる。そして────


『そこを退きなさい。邪魔よ』


 ドルミーレが耳元でそう囁いた。

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