36 白蛇

 晴れ渡る涼やかな空に、太く白い線が走っている。

 一切の穢れを許さないその白は、空に浮かぶ雲よりも純白で、異質さを放っていた。


 しかしその白い線の先には、墨を流したような黒が広がっている。

 それを見とめた時、それが人であることをよくやく認識できた。


 それは、それこそがホワイトだった。

 白無垢の着物の垂れ下がる裾から、その胴体と同じ太さの白い軟体が伸びている。

 その長さは、彼女の腰から上の何倍か。

 全長は恐らく、ゆうに十メートルはいっていそうだ。


 白く太いものは、蛇の胴体だった。

 人間大の太さを持つ蛇の柔軟な胴体が、その純白の衣から伸びている。

 テラテラした鱗も純白に輝き、彼女の白無垢も相まって、全身の白さを更に強調していた。


 輝かしい光をまといながら滞空しているホワイト。

 本来の身長の何倍もの全長を得た彼女は、その有り余る尾でトグロを巻いてこちらを見下ろしていた。


「────────!!!」


 寒気が全身を駆け抜けて、言葉を失った。

 これは何度向い合ったって慣れない。

 身の毛もよだつ醜悪さ。理解することを身体が拒絶するおぞましさ。

 けれどどこか、美しく感じさせる異次元の在り方。


 ホワイトは転臨の力を解放し、まるで神様かのように空に君臨していた。

 彼女自身の輝きが、そのヌメヌメとした白い鱗に反射して眩い。

 その姿はどこか神々しく、高貴な者に見下ろされているかのような圧迫感があった。


 目を逸らしたいくらいに醜悪なのに、神聖なものかのように尊さを思わせる異質な姿。

 神々しい高次元の存在か、はたまた悪辣な邪神の類か。両極端の印象を叩きつけてくる、清濁入り混じった異形。


 転臨の力を解放した魔女の姿は、もう何度も目にしてきた。

 けれどホワイトのそれには、他とは違った圧迫感があった。

 そう、それこそ神と対峙しているかのような。


 まさかそんなわけはないし、彼女だって一介の魔女。

 けれどホワイトのあまりにも自信に満ち溢れた姿が、その異質を際立たせて、吐き気を催す神々しさを醸し出している。


「あれが真奈実なんて……信じたくない。信じたくないけど、でもあれが今の真奈実なんだ……!」


 これでもかと拳を握りしめながら、善子さんは言った。

 体の震えを懸命に押さえ込もうとしながら。

 目を逸らしそうになるのを、必死で堪えながら。


 私はその背中に手を添えながら、上空の姿から目を離さなかった。

 下半身を蛇に変貌させたホワイトは、まるでギリシャ神話に出てくる半蛇半人の怪物、ラミアのよう。

 けれど彼女の和装も相まって、蛇の妖怪のようでもあった。


 そんな壮絶な光景をまざまざと見せつけられて、何にも感じないなんて無理だ。

 まして善子さんは彼女の親友なんだから。

 あんな変わり果てた姿を目の当たりにしたら……。


「……あぁ、姫殿下。この至らぬ姿を晒すこと、どうかお許しくださいませ」


 空をスルスルと這いずりながら、ホワイトは上空から屋上のすぐ上まで降りてきた。

 けれど屋上の床にその身を下ろすことなく、宙に浮遊しとぐろを巻いて私たちを見渡す。


 人間大の蛇は、そのあまりの大きさに龍のように見えた。

 けれど脚を失った流線的なフォルムと、何より光沢のある鱗が、どうしようもなくおどろおどろしい蛇の存在感を放っていた。


 やや萎らしい、落ち着いた声を出しながら、しかしホワイトは高みから私たちを見下ろす。

 私に敬意を払うつもりがあるのかないのかわかりにくい。

 別に、彼女に敬われたいわけではないけれど。


 でもさっき彼女は、自分の口で言っていた。

 ホワイトが崇めるのは飽くまでドルミーレで、私自身には固執をしていないんだと。

 私がその存在を抱え、力を持っているから丁重に扱っているだけで。

 だからきっと彼女は、私のことなんて眼中にないんだ。


「始祖様を抱く貴女様には、歩みの過程であるこの姿は滑稽でしょう。ですがこれこそ、我らがドルミーレ様と共にあるという証明でございます」

「…………」


 恍惚な笑みを浮かべ、自信たっぷりの声でホワイトはそう傅いた。

『魔女ウィルス』の完全侵食によって肉体が変貌し、ドルミーレへと近付くことになる転臨。

 ドルミーレに並び立つ上位の存在になることが、ワルプルギスの目的の一つだと、前に聞いた。


 私の手前、一応謙遜してみせたのだろうけれど、ホワイトは自身の変貌に対しての自信に満ち溢れていた。

 その神々しくもおぞましい姿に誇りすら持っていそうだ。


 私には、到底理解できない。


「それが……そんな姿になることが……アンタの望みだって? 真奈実……それが、アンタの正義の姿なわけ……!?」

「えぇ。見てわかりませんか? 人の身を逸脱した、上位の存在になったのです。正しき裁定を下すに相応しい、高位の存在へと」


 震える足で立ち上がる善子さんに、ホワイトは微笑んで答える。

 とぐろを巻いた白い胴体が、宙をズルズルと舐め回す。


「上位? 高位? どこが……! 今のアンタは……アンタは、ただの化け物だ!」

「…………どうぞお好きに。理解できぬ者に、理解は求めませんので」


 その言葉を口にするのに、どれだけの覚悟が必要か。

 泣き叫びながら訴えた、縋るような否定の叫び。

 しかしそれは、いとも簡単にはたき落とされてしまう。


「さて姫殿下。至らぬ身ではございますが、わたくしが貴女様に道を指し示してご覧に入れましょう。わたくしの正義を理解できぬ貴女様に。この力を持って、いかにわたくしが正しいのかを教えて差し上げましょう」


 もう善子さんのことなんて見えていないかのように、ホワイトは真っ直ぐ私に視線を下ろしてきた。

 そしてその白いとぐろを解くと、まるでビルを締め上げようとしているかのように、周囲にぐるりと這わせ、囲んだ。


「さ、せるか! そんなこと────」


 震える声で反骨して、ホワイトを睨んだ善子さん。

 彼女が光の魔法を輝かせた瞬間、真横から白い尾先が振り下ろされて、善子さんの体は強烈な勢いで叩きつけられた。


 床に倒れ伏した善子さんは、意識こそ失っていないものの、苦悶の表情でかすれた呻き声を溢す。

 形にならない声を吐き、その唇は真奈実さんを呼んでいた。


「善子さん────!」

「さぁ、これで静かになりました」


 すぐ目の前なのに、全く反応の出来なかった私。

 打ちのめされて床に倒れ臥すその姿に慌てて屈もうとすると、それを遮るようにホワイトが言った。

 まるで、ただうるさい羽虫を叩き潰したかのように。


 かつての親友を痛めつけたことに、なんの罪悪感も抱いてはいなかった。


「ホワイト、あなたは……!!!」

「些事でございす。それでは姫殿下。どうか御身に牙を立てることをお許しくださいませ。これが、正義なのですから」


 ホワイトの眼前、私たちの真上に大きな光の玉が現れた。

 まるで太陽のような煌々とした光を放つそれは、一見しただけで膨大なエネルギーを孕んでいるとわかる。

 それが力のままに放たれれば、ひとたまりもない。


 恐怖に身がすくみそうになりながら、それでも『真理のつるぎ』を取り出そうとした、その時。


 突然、更に高い空から、隕石のような炎の塊が斜めに降ってきた。

 それは一直線にビル目掛けて飛び込んできたと思うと、私たちのすぐ上、光の玉の下で急停止した。

 そして瞬時に人の姿の炎となり、灼熱の業火を打ち上げ放つ。


 一瞬にして、身を焦がさんばかりの火柱が立ち、空は炎に包まれた。

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