35 あなた様なしでは

 昔私が『まほうつかいの国』にいた頃、ドルミーレは確かに『眠っていた』。

 私があちらに訪れたこと、そして私の強い気持ちがきっかけで彼女の眠りは妨げられて、意識を向けてくることがあった。


 けれど、私が『真理のつるぎ』を手にしたことで彼女は一度目覚めかけた。

 それでも彼女自身に目覚める意思がなかったから、結果的には変わらず心の奥底で眠ったままだった。


 それでも、私が力を使えば使うほど心の中の存在感は増していった。

 それが彼女の意思かどうかわからなかったけど、結局私の力は彼女の力だから、その力を使えば彼女が引き出されるのは当たり前のこと。


 だから私は封印を受けて、記憶と力ごとドルミーレを押し込めた。

 けれどここ数日の様々な戦いの中で、彼女は何度かその制限を乗り越えて私に干渉してきた。

 そしてその時、彼女は確かに言っていた。


 ──── 色々な人間が色々な思惑で私を狙っている。勝手で都合のいい解釈をしてね。だから私もただ眠っているわけにはいかなくなったのよ────


 昔のドルミーレは、ただ穏やかに眠っていたいと言っていた。

 だから時折煩わしそうに力を寄越してきても、基本的にそれ以上は関わってこなかった。


 けれど、最近の彼女は違う。

 以前ですらしてこなかったのに、私の表層に現れてその力を思いのままに振るった。

 それが一過性の憂さ晴らしのようなものだったとしても、彼女の心境が変わってきたのは明らかだ。


 そんな彼女が今、封印が解け遮るものがなくなった今、自分の意志で表に出ようとしてきたら。

 私はそれを押さえ込むことはできるのかな。


「ですから、姫様……」


 頭の中を駆け巡る不安に身動いだ私に、クロアさんは言葉を続けた。


「今はどうか、堪えてくださいませ。今の姫様は、とても感情的で不安定でいらっしゃる。そのような状態では、危険です」

「それは……」


 確かに、今の自分の心が万全だとは言い難い。

 何とか自分の足で立って、ホワイトに立ち向かう勇気を奮い立たせてはいるけれど。

 この世界で起きている惨劇や、それを引き起こした原因によるショックは、今も私の心を乱している。

 少しでも気を抜けば泣き出してしまいそうなほどに。


 でも、それでも私が立ち上がれているのは、善子さんがいるからだ。

 善子さんが踏ん張って、覚悟を決めてホワイトと戦う姿勢を見せてくれたから、私もそれに支えられて心が決まったんだ。


「でも、私は一人じゃないですから。今の私の心は確かに不安定ですけど、それを支えてくれる心が、この心には繋がってます」


 ドルミーレに飲み込まれてしまうかもしれない。それに対する恐怖や不安は確かにある。

 でもこの心に繋がる、温かく頼もしい心を感じれば、そんな不安は和らぐ。


 今必死にホワイトに立ち向かってくれている善子さん。

 私を守るために現れてくれた透子ちゃん。

 そして、この場にいなくともいつだって繋がっている、氷室さんや沢山の友達。

 みんなの心を感じるから、怖くなんてない。


「心配してくれて、ありがとうございます。でも私、きっと大丈夫ですから」

「ですが、姫様……!」


 フルフルと子供のように首を振るクロアさん。

 その包み込むような想いが嬉しくて、私はその華奢な体を抱きしめた。

 片腕は抱き締められているから少し不格好だけど、空いた片腕でその黒い体を包む。

 細い体が、ピクリと小さく震えた。


「大丈夫。私は大丈夫です。ドルミーレになんて、もう負けない。あんな孤独な人に、あんな寂しい人に。独りのあの人に、沢山の繋がりに支えてもらってる私が、負けたりなんてしません」

「ですが、万が一のことがあったら……わたくしは始祖様のお力よりも、あなた様の方が大切なのです」


 私の肩に頭を預けて、クロアさんは弱々しい声で言った。

 いつも母親のように穏やかに、余裕を持って包み込んでくれるクロアさん。

 けれど今は、まるで少女のように小さくなって私に縋ってくる。


「あぁ、姫様。わたくしの掛け替えないお方。あなた様と過ごした日々こそが、わたくしの生涯において最も豊かな時間でした。わたくしは、あの日々を取り戻したいだけなのです。あなた様とまた、穏やかで温かな時を……」

「クロアさん……」

「独りだったわたくしに温もりを与えてくださったお方。わたくしに慈しみをお与えくださり、人と過ごす日々の心地良さをお教えくださったお方。わたくしは、あなた様なしでは生きられません」


 しな垂れ掛かってくるクロアさんを抱きとめる。

 彼女にとって、ワルプルギスのしようとしていることは二の次なんだ。

 何よりも私の無事を祈って、私がいればそれでいいと思ってくれている。


 だから、ホワイトを守るのではなく、私のために私を止めに来た。

 もしかしたら、私がホワイトに力を貸すなんていう展開も、彼女は望んでいないのかもしれない。

 だってそれは結局、力を使うことになるんだから。


 そこまで大切に思ってくれるのは、素直に嬉しい。

 昔からクロアさんは私を大事に大事に扱ってくれて、とっても優しくて、いつもニコニコ笑ってくれた。

 私だってそんなクロアさんが大好きだったし、だから心配をかけたくはない。


 それでも、このままただ何もしないなんてできない。

 それじゃあ、何にも解決しないから。


「約束しますよ、クロアさん」


 腕を放して、その顔を覗き込む。

 瞳にたっぷりの涙を溜めたクロアさんは、乱れた巻き髪が顔にまとわりつくのも厭わず、弱々しく私を見返した。


「私は絶対に、自分を見失ったりしません。どんなに飲み込まれそうになっても、必ず打ち勝ちます。それをこの心に誓いますから」

「…………本当で、ございますか……?」

「もちろん。何を賭けてもいいですよ」


 不安に揺れるクロアさんに、頑張って笑顔を作って返す。

 そんな私を見て、クロアさん一度目を伏せて、唇をギュッと結んだ。

 もうそれ以上無理だってくらい私の腕を抱き締めて、それからゆっくりと腕を解いた。


「そこまで仰るなら、信じるしかございません。あなた様の強い意志を、私の我が儘で遮るわけにはいきませんもの」

「ありがとうございます、クロアさん。その想いに、ちゃんと報いてみせます」


 ここまで想ってもらってるんだから、その信頼を裏切っちゃいけない。

 私が強く頷いて見せると、クロアさんは薄く微笑んだ。


「でも、このまま私を行かせて大丈夫ですか? 私、ホワイトと戦おうとしてるんですけど」

「本来は良くはございませんが……この場合、致し方ありません」


 ふと覚えた疑問を口にすると、クロアさんは複雑そうに目を逸らした。


「わたくしも、今のリーダーのやり方には賛同しかねるのです。組織の指導者として彼女のことは慕っておりますが、わたくしの思想はレイさん寄りですので」

「そう、なんですね……」


 元々ワルプルギスが一枚岩でないことはわかっていたけれど、クロアさんもまた彼女のやり方には沿わないんだ。

 確かに、思えばクロアさんは当時からレイくんと一緒にいた。

 つまりワルプルギス結成以前からの仲ってことだから、そっちに寄るのは当然か。


 レイくんとクロアさんの二人が反目していて、ワルプルギスは大丈夫なのかな。

 いやでも、私が知らないだけで向こうの世界にはもっと沢山の魔女が所属してるんだろうし。

 彼女に賛同して、過激な行動を好んでいる人も大勢いるんだろうな。


 まぁどっちにしろ、私が心配することじゃない。


「────とにかく、私はホワイトを止めますね」

「……はい。くれぐれもお気をつけて」


 息を吐いて気を引き締める。

 そんな私に、クロアさんは手を握り合わせながら頷いた。


「ですが、姫様。どうぞ、我らがリーダーにお慈悲を。今でこそ無謀を働こうとなさっておりますが、彼女の存在は我らの標。魔女を解放へ導かんとするあの方は、我々に必要なのです」

「それは…………」


 飽くまでクロアさんはワルプルギスの一員。

 レイくんもそうだけど、ホワイトをリーダーと仰いでその元に集う人。

 根本的には、彼女と同じく魔法使いを根絶やしにしたいと想っているんだ。


 その考えには、頷けない。

 私はホワイトを止めて、元の善子さんの親友に戻ってほしいと思ってるから。

 魔法使いと争って、相手を殲滅しようだなんて、そんなことして欲しくないから。


 私が返答に困っていると、クロアさんは薄い笑みを浮かべたまま、小さく頷いた。

 私の気持ちをわかってくれているから、同意を求めてこないんだ。

 ただ、その希望を口にせずにはいられなかっただけで。


 その好意に甘えて、私は無言を返すことにした。

 このことについてはいずれ、レイくんとも話さなきゃいけないけど。

 今はとにかく、一刻も早くこの世界の惨劇を止めさせないといけない。


 空を見上げてみれば、日の光が燦々と輝く明るい上空で、二つの戦いが弾けていた。

 空を燃やさんばかりの炎と、それを捌く漆黒と雪白の軍勢。

 日の光を掻き消さんばかりの、眩い光の衝突。


 早く私もあそこへ。

 そう、思った時。


「ぁあッ────────!!!」


 視界が白む刹那の閃光に、世界が包まれた。

 そして一拍遅れて、くぐもった呻きとドンッという鈍く激しい音が私のすぐ横に落ちてきた。


 慌てて音がした方に目を向けてみれば、善子さんが屋上の床に仰向けに転がっていた。

 上空から叩き落とされたのか、全身を襲っているであろう強い衝撃に踠いている。


「よ、善子さん!!!」

「だ、大丈、夫…………なんとか、生きてる、から……」


 私が急いで身を寄せると、善子さんは喘ぎながらもそう答えた。

 血の気が感じられない蒼白な顔で、痛みに顔を歪めながら。

 それでも歯を食いしばって、立ち上がろうと床に手をつく。


「私なんかよりも、真奈実が……真奈実がッッッ!!!」


 必死に体をもたげて上空に目を向ける善子さん。

 震える体に手を添えて庇いながら、その視線の先を追って、私は見た。


 燦然と輝く太陽と共に、遥か上空に君臨するその醜悪な姿を。

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