19 阿鼻叫喚

 悲鳴を上げたのは、倒れた子と一緒にいた女の子のようだった。

 突然友達が倒れ込んだことにパニックになって、顔面蒼白で震え上がっている。


 女の子が道端で倒れた。それそのものでも一大事。

 けれどそれよりも、私はその倒れた女の子の様子と、そこから感じられる凶悪な気配に呆気にとられてしまった。


 燃えているかのように真っ赤になった肌。

 玉のように溢れ出る汗と、荒々しい息遣い。

 そして、彼女の意思とは無縁だと思える肉体の蠢き。


 何より、女の子から発せられているその気配は、身の毛がよだつような、人のものとは思えない醜悪なものだった。


 私は、これを知っている。

 この光景を、この感覚を、知っている。

 いやというほど、私の心に焼き付いている。


「あの子、魔女だ……!」


 小さく、それでも緊迫して力んだ声で善子さんが口を開いた。

 そう、あの子からは魔女の気配を感じる。

 そしてそれ以上の濃密な、おぞましい力の渦が吹き荒れていた。


 そこから導き出される答えは、考えるまでもなくて。


「あの子、『魔女ウィルス』に侵食し切られようとしてる……!?」

「まずい……!」


 私が声を上げたのと同時に、善子さんが飛び出した。

 女の子の症状は、晴香が死んでしまった時ととてもよく似ている。

 そして彼女から発せられるあの人とは思えない醜悪な気配は、『魔女ウィルス』が色濃く力を発揮している証拠。

 放っておいたら大変なことになる。


「善子ちゃん、君も危ないよ!」


 流石のレイくんも少し焦った声色でそう言ったけれど、善子さんは止まらなかった。

 体の自由が効かなくなるほどに侵食が進んでいれば、その先にあるのは肉体の破裂による死。

 その子だけだけではなく、周囲の人にも被害が出てしまう。

 きっと善子さんには、そのことしか見えていない。


 ただならぬ状況に、何のことかと人が集まってくる。

 友達の子は高熱を発する女の子に縋り付こうとして、でも触れられず、それでも泣きながら必死に呼びかけている。

 そんな女の子たちを囲む人集りと、助けようと駆け寄る人たち。

 今限界に達しその身が弾ければ、大惨事は免れない。


「退いて!」


 私たちの所からは少し距離があったけれど、善子さんは魔法を使ったのか、あっという間に人集りに辿り着いていた。

 群がる野次馬と、手を差し伸べようとしている人たちを力任せに掻き分けて、女の子たちの元まで突き抜けていく。

 倒れる女の子から溢れる人外の気配はどんどんと濃くなっていて、いつ暴発してもおかしくない。


「ごめんね、我慢して!」


 切羽詰まった声で善子さんはそう叫びながら、寄り添う女の子の首根っこを掴んで力尽くで引き寄せ、抱き抱えてその場から引き剥がした。

 それから、突然のことに更に騒ぎ立てる周りの人たちを、魔法で強引にその場から押し除けて、善子さんは女の子を押し倒して庇うように覆い被さった。


「────────!!!」


 その瞬間、倒れていた女の子が声にならない、奇声のような悲鳴を上げた。

 それと同時に、肉が蠢いていたその体が急激に膨れ上がって、赤い肌がはち切れんばかりに張り詰めた。


 もうダメだ。このままじゃ大変なことになる。

 硬直していた自分の体を奮い立たせて、私もあの場に飛び込もうと足を動かそうとした。


 その時、膨れ上がった女の子の身体が人とは思えないグロテスクな形状で歪み、弾けんばかりに血を吹き出し始めた。

 数瞬の後、爆ぜることを予期させるほどに、その身は限界を迎えている。


 変貌した、目を疑うような光景に、瞬間的に、同時多発的に上がるけたたましい悲鳴。

 けれど周囲の人たちが逃げる余裕なんてもうなくて、足を動かすよりも先に、女の子の肉体は弾け散ってしまいそうになっていた。


 コンマ一秒を争う事態に、私が息を飲んだその時。

 突然、空から黒い布のようなものが濁流の如く降ってきて、女の子を覆い囲んだ。

 降り注いだその黒い何かは、まるでカーテンを空から垂らしたように筒状にその姿を包み隠して、周囲から女の子を隔離した。


 そしてその筒状の影の幕の内側目掛け、上空から夜子さんが降ってきた。

 ボサボサな茶髪とダボダボな服をバタバタとはためかせて、ものすごいスピードでの自由落下の急降下。

 その姿があっという間に幕の中に収まっていったかと思うと、ドンッという鈍い音が内部から響いて、そして唐突に静寂が訪れた。


 次々に起きた非常識的な出来事に、周りの人々は一瞬シーンと静まり返る。

 まるでその黒い影のカーテンが、この場の全ての声を吸収してしまったみたいに。

 先ほどまで悲鳴を上げていた人々も、混乱と呆然を混ぜこぜにした表情でその黒塗りの光景を眺めているだけだった。


 そしてすぐ、空から垂らされていた影のカーテンが地面に吸い込まれるようにして、ほどけて消えていった。

 幕が開かれたように露わになったその内側には、肩を落とす夜子さんの姿しかない。

 今の今までそこで倒れて、蠢いていた女の子は跡形もなくなっていた。


 すぐに、失われていた音がぶわっと蘇った。

 突然の出来事、理解不能な状況、超常的な光景。

 その全てに混乱した周りの人々が、次々に騒ぎ立てる。


 気怠そうにその光景に目を向けた夜子さんは、直ぐにその視線を真っ直ぐに私に向けた。


「気を抜いている暇はないよ! 状況は最悪だ!」

「一体、何が────!」


 珍しく張り詰めた叫びに、私が問いを投げかけようとした時。

 少し離れた所から、また人の悲鳴が飛んできた。

 今度は二ヶ所、別々のところからけたたましい悲鳴が響いて、一帯は更に騒然とした。


「っ……! 残念ながら丁寧に話している時間すらないよ────千鳥ちゃん!」


 周囲を見回して舌打ちをした夜子さん。

 その呼び声に応えるように、晴れ渡った昼間の空から雷が落ち、夜子さんの傍に千鳥ちゃんが現れた。


「全部直前で食い止めるよ。今は駄々を聞いている余裕はない。わかってるね?」

「ええ、もう覚悟は決まってるわ。任せて」


 短いやり取りの後、千鳥ちゃんは電気をまとい、悲鳴の上がった騒ぎの一つに向かって飛び込んでいった。

 その時チラッと私の方に向けたその顔は、哀愁と憐憫を乗り越えた、覚悟を含んだもの。

 はためくその金髪が電気によって煌めく様は、私の目にはひどく切なく映った。


 千鳥ちゃんを見送ってすぐ、夜子さんももう一つの騒ぎの元に飛び込んでいった。

 双方の騒ぎの中心には、今と同じように女性が倒れたり蹲っている姿が見て取れる。

 その光景と、そこから漂うおぞましい気配を取れば、状況が今と酷似していることは明らかだった。


 人が、魔女が次々と『魔女ウィルス』に飲み込まれていっている。

 一体、何がどうなってこんなことが起きているのか。

 混乱と恐怖で頭が真っ白になって、体が硬直する。


 体中の全ての筋肉がカチカチに萎縮して、まるでそこから絞り出したかのように全身から冷や汗が噴き出す。

 息が詰まって、止まって、呼吸の仕方を忘れそうになって。

 自分がここにいるのかも曖昧になるほど、恐怖が私の全てを支配した。


 常軌を逸した事態に戸惑い、恐れ慄く人たちの叫び声が飛び交う。

 阿鼻叫喚に包まれ人々が逃げ惑う駅前広場は、まるでパニック映画を見ているかのようで。

 平和だったはずのこの街の日常が、泣き叫ぶ声と悲鳴によって破られていくのを肌で感じた。


「大丈夫かい、アリスちゃん」

「レ、レイ、くん……」


 パニックになりそうな私の手を、レイくんがそっと握ってくれる。

 真剣な面持ちながらも、私を落ち着けようと穏やかな顔を向けてくれて、いくらか心が鎮まった。

 それでも不安と恐怖までは取り払えなくて、私は縋るようにその手を握り返した。

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