20 私の目を見て

 この世界にも魔女は存在する。それはわかり切っていたこと。

 魔女ならば、いつかは『魔女ウィルス』の侵食を向けて死に至ってしまう。それもわかり切っていたこと。


 でも、こんな突然なことってあるのかな。

 晴香の時は事前に兆候があって、苦しい時間を耐えて、それを経ての限界だった。

 でも今の子はどう見ても突発的に、そして急激に死に向かっているように見えた。

 そしてそれに続くように、こんな近くでまた二人も……。


『魔女ウィルス』は人を殺すウィルス。

 それは嫌というほどわかっていたし、その現実に叩きのめされた。

 けれど、こんな風に目の前で突然どんどんと人が倒れる所を見せられると、心をかき混ぜられたような思いがした。


 ある程度の魔女歴のあるみんなが普通に今も生き続けているから、どこかで油断していたのかもしれない。

 そう簡単に死んじゃったりしないなんて、思っていた自分がいたのかもしれない。

 晴香の時、その凶悪さを目の当たりにしたのに。私はまだ、『魔女ウィルス』を甘く見ていたのかもしれない。


『魔女ウィルス』は人に感染して、その肉体を食い尽くす殺人ウィルスだ。

 私の中にいるドルミーレが原因で二つの世界に蔓延した、最悪の呪いだ。

 もっと、もっともっと、私はそのことを真剣に考えなきゃいけなかった。


 人が目の前で『魔女ウィルス』に苦しんで、死へと向かおうとしている。

 その現実が私の心と体を縛り付けて、どうにかなりそうだ。


「どう、しよう……どうしよう、どうしよう……! 人がどんどん、死んじゃう……! 私の、私のせいだ……!!!」

「落ち着いてアリスちゃん。君のせいなんかじゃない。だから、落ち着くんだ」

「で、でも……!」


 レイくんの手を握りしめながら、不安をそのまま口にする。

 受け入れ難い現実に心が乱れそうになるのを必死で堪えながら。それでも、とても平静ではいられない。

 そんな私の肩を掴んで、レイくんは冷静な声をかけてくれた。


「『魔女ウィルス』が蔓延していることも、それに感染した子が死に至ってしまうことも、決して君のせいじゃない。責任を感じる必要なんてないんだ」

「そんなこと言っても……! 私がもっと早くドルミーレをなんとかできていれば、こんなことにはならなかったかもしれない! 一人でも多く、救えたかもしれない!」

「今はそんな仮定の話をしてる場合じゃないよ、アリスちゃん。君がその力と彼女の存在に責任を感じているのなら、正しい認識でいる必要がある。今のそれは、違うよ」

「け、けど……」


 レイくんは鋭い目を私に突き刺してくる。

 整った顔からは笑みが引っ込み、真剣な表情が私を覗き込む。

 レイくんの言ってくれていることは、頭ではわかるけど。

 それでも私は、この現状に何も感じないなんてことはできなくて。


 落ち着かないといけないと、冷静に現状を見なければいけないと、そう思えば思うほど焦りが心を満たす。

 レイくんの言葉も、その真剣な眼差しも、まるでフィルターを通したようにぼんやりとしか脳に伝わってこない。


 パニックにならないのがやっと。でもそれだけで、焦りはどうしても堪えられなくて。

 せっかくレイくんが私を宥めてくれているのに、私は否定の気持ちしか湧き上がってこなかった。


「────アリスちゃん!」


 そんな時、ピシャッとした叫び声飛んできて、私は思わず飛び上がって声がする方に振り向いた。

 すると、最初の人集りから飛び出してきた善子さんが、物凄いスピードで駆け寄ってきていた。

 あっという間に目の前まで来ると、善子さんは空いていた私の片手を取って、強く指を絡めてからぐいっと引っ張った。


 レイくんの手を離れて引き寄せられた私の眼前に、善子さんの顔が押し寄せる。

 おでこ同士がぶつかりそうな勢いで。鼻先同士が触れ合いそうな近距離。善子さんの荒い吐息がかかる。

 そんな至近距離で、蒼白な相貌に冷や汗を垂れ流しながら、けれど力の失われていない強い表情が突き付けられた。


「私の目を見て! アリスちゃん!」

「────!」


 鬼気迫る叫びに、息が詰まる。

 体が勝手に言うことを聞いて、その芯の通った瞳を真っ直ぐに見つめた。

 こんな状況でも光が失われていない、力強い瞳。

 顔色は私と同じくらい悪いはずなのに、その心は決してこたえていなくて、抗う強い意志が感じられた。


 その瞳を見つめていると、少しずつ心が落ち着いていった。

 こんなとんでもない状況でも、善子さんは挫けずに強く心を保っている。

 その頼もしさに支えられて、やっと私は少しだけ余裕を取り戻した。


「……ちょっとは、冷静になったかな?」

「は、はい……。すみません、ありがとうございます」


 私の顔色の変化を察したのか、張り詰めた顔を和らげて善子さんは優しい声で言った。

 その柔らかい声が耳にじんわりと染みて、私はゆっくりと頷いた。

 それを見て善子さんは、よしと息を吐いた。


「気持ちはわかるけど、こんな時こそ落ち着かなきゃ。思うことは色々あっても、取り乱しちゃいけない。そうじゃなきゃ、救えるものも救えないからね」

「はい。そう、ですね。すみませんでした」


 もう一度謝る私に、善子さん笑顔を作って頭を撫でてくれた。

 必死に作った笑顔はぎこちなかったけれど、それでも心を少なからず安らげてくれた。


「そうだ、善子さん。怪我はないですか? さっきあそこに飛び込んでいって……」

「うん、私は大丈夫。それにあの友達っぽい子も大丈夫だった。パニックにはなってるけど────とりあえず怪我はないから、周りの人に任せてきたよ」


 問題ないと腕を広げて見せながら、善子さんは力強く頷いた。

 それからすぐにその顔を引き締めて、夜子さんと千鳥ちゃん飛び込んでいった方に目を向ける。

 私もそれに倣って顔を向けてみれば、さっきと同じように今にも爆発しそうな女の人たちを、周りから隔離するように囲っているのが見えた。


 きっと、あの中では…………。


「こんな状況、普通じゃないよ。魔女になって五年、こんな風に魔女が突然どんどんと死んでくところなんて、見たことがない。一体、何が……」

「そう、ですよね。こんなことが頻繁に起きてたら、騒ぎになってるはずですし。夜子さんの話だと、ギリギリとはいえもう少し早い段階で介錯をしていたみたいだし……」


 私の手を握る善子さんの力が強まる。

 その力がそのまま、現状への悲しさと悔しさを物語っていた。


 夜子さんがいつもしているという介錯。それそのものが正しいものかどうかは、私にはわからないけれど。

 それでも、周囲の人を巻き込まないように、騒ぎにしないようにするという意味では、間違ってなかったかもしれない。

 夜子さんはそのことに拘っていたし、その夜子さんの対応が間に合っていないなんて、異常だ。


「レイ、アンタなんか知らないの? 一体何がどうなってこうなってるのか」

「………………」


 歯噛みしながらの善子さんの質問に、レイくんは答えなかった。

 それにキッと歯を剥いた善子さんは、続け様に声を投げる。


「ちょっとレイ! 私たちなんかより、アンタの方がこういうことに詳しいんじゃないの!? 知ってるなら教えなさい!」

「…………こういう出方を、したのか」


 善子さんの叫びを無視して、レイくんはそう呟いた。困惑のこもった嘆息を交えて。

 叫びが聞こえていないのか善子さんに顔を向けず、そして私のことも見ず、レイくんは高い所を見上げていた。


 その様子に疑問を抱いて視線を追ってみれば、その先にはこの一帯で一番高いビルの屋上があって。

 縁に、白い着物を着た人影が立っているのが見えた。

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