10 あの日から
結局善子さんの意思のままにパンケーキ屋さんまで向かった私たちは、日曜日の昼間ということで混雑を増している行列に並ぶことになった。
それを理由にそこはかとなく他のお店を提案しようと思ったけど、善子さんがウキウキ顔で何を食べようかと悩んでいる姿を見て観念した。
私自身、甘い匂いが漂ってくるパンケーキの魅力に引き込まれていたし。
列は店外にまで伸びていて、この季節に長い間を過ごすのは些か大変そうではあったけど。
でもメニュー表を一緒に睨んで、あれも良いこれも良いと言い合っていたら、時間はあっという間に過ぎた。
一時間ほどの待ち時間を経てようやく入店が叶い、席に着いていざ注文という時。
あれやこれやと迷っていたは良いものの、やっぱり少しお高めな値段のパンケーキたちに、私は少し気が引けてしまって。
待ち時間の間に候補に挙げていたものは、その中でも割と高い方のものが多かった。
だから実際に注文する段階で、私は一番安い価格帯のシンプルなパンケーキを選ぼうとした。
けれどそれに目ざとく気付いた善子さんが、「さっき悩んでたやつにしなよ。私も味見したいから、シェアしよ?」と透かさず言ってくれて、私は申し訳なさに萎縮しながらお言葉に甘えることにした。
斯くして、私たちのテーブルにフルーツゴロゴロ生クリームもりもりのパンケーキが運ばれてきたのでした。
善子さんが選んだのは、マンゴーとパッションフルーツの、少し季節外れっぽい爽やか系。
対する私は沢山の種類のベリーが山程乗った甘酸っぱ系。
大皿にこんもりと盛られたボリューミーなパンケーキを、私たちは二人でワイワイガヤガヤ楽しく突き合った。
ランチがこんな甘々で良いのかなと一瞬思ったけど、脳を蕩かす美味しさを口にした瞬間に、そんなことはどうでも良くなって。
ただひたすら、私たちはお喋りと濃厚な甘さを堪能したのでした。
「いやぁ〜美味しかったねー! 満足満足!」
「ごちそうさまでした。色々すみません……」
ふた山のパンケーキを平らげてから紅茶をぐいっと煽り、善子さんはふやけた顔で息を吐いた。
食べている間は夢中になってしまっていた私も、ホッと一息ついたらまた気が引けてきて、すぐさまペコペコ頭を下げた。
そんな私に善子さんは「いいっていいって」と軽く返してから、少し照れ臭そうにポリポリと頰を掻いた。
「単純に私が来たかっただけなんだ。一人じゃなんとなく来にくいし、アリスちゃんに付いて来てもらえて助かったよ」
確かに店内は女子グループやカップルが多いから、一人での入店にやや気が引けるのは納得できる。
でも善子さんなら友達多いだろうし、いくらでも誘える人はいるだろうに。
やっぱりこれも、私に気を使わせない為の方便なのかな。
「やっぱりみんな、ここの値段になかなか手が出ないって子が多くてさ。だからって同級生に奢るよって言うのもなんかこう……違うし。その点アリスちゃんなら、可愛い後輩って事で奢りやすいんだよ」
「え、そういう問題なんですか? 同級生と後輩、違います?」
「そりゃ違うよー。まぁまぁ細かいことは気にしないで。美味しかったんだからそれでオールオッケーってことで」
キョトンとする私に、善子さんはニカッ笑って勢いで締めてしまった。
まぁ確かに同級生に奢られるっていうのは、嬉しい反面先輩から以上に気を使うしなぁ。
相手が先輩なら、最悪年上だし甘えちゃえって思えるけど。それは先輩から見た後輩も同じってことなのかな。
どっちにしても、奢るという選択肢がサラッと出てくることがすごい。
まぁでも善子さんちって、割とお金持ちだしお小遣い多いのかなぁ。
弟の
「それに、昨日正のやつがここに来たって話をしててさ。それ聞いたら余計来たくなっちゃって。ウズウズしてたとこなんだよ」
「正くんが? あぁ、女の子を連れて?」
「そうそう。まぁ本人は甘ったるかったってボヤいてたけど────あ、ごめん。アリスちゃんの前でアイツの話はあんまり良くなかったかな?」
呆れた顔でニシシと笑っていた善子さんは、急にハッとして慌てて申し訳なさそうに眉を落とした。
全くもって気にしてなかった私は、すぐに首を横に振った。
だって今ちょうど彼のことを思い浮かべていたくらいだもん。
「全然気にしないでください。私別に、正くんのこと嫌いではないですから。むしろ元気そうで何よりって思いましたよ」
「ホントに? それは姉としてありがたいけど……アリスちゃんは本当に優しい子だなぁ。ちょっと人が良すぎやしない?」
「そんな、私なんて全然。ただ単に、特別嫌いになる理由がないだけですから。長い付き合いだし、それにもう色々慣れっこですしね」
気楽に笑って見せると、善子さんは「そう?」とまだ気にしつつ、でも普通の緩やかな表情に戻った。
善子さんは正くんのことになると、とても責任を感じて気を使ってくれる。
それに今まで沢山支えられてきたし、だからこそ彼を嫌いにならずに済んでいる部分もある。
だから、善子さんには気負わずいつも通り笑っていてほしいんだ。
善子さんが気にしているのは、この間の一件のことだと思う。
前から私によく絡んできた正くんが、魔女狩りの
身の丈に合わない力と、拗れた感情を膨らませていた彼の行為は、確かにとても恐ろしかった。
けれどその内にあった純粋な気持ちを鑑みれば、一概に彼を否定できないと思ったんだ。
正くんにされたことそのものは怖かったし、痛かったし、そのマイナスは消えないけど。
でも彼をそう突き動かした感情と、それまでの積み重ねを否定はできないから。
だから私は、先日の件を理由に正くんを嫌いにはなることはなかった。
むしろ色んなものを抱え込んでいた彼のことが、可哀想だとすら思う。
間違った方法で感情を爆発させた結果、それを私と善子さんに徹底的に潰された形になってしまって。
そんな彼が塞ぎ込んで、病んでしまっていないかは少し心配もしていた。
でも今の話を聞いた限り、取り巻きの女の子と楽しく遊べるくらいの余裕はあるようだし。
やれやれと思う反面、まぁそれが正くんらしくて良いところなのかなとも思ったり。
「この間のことから数日は少し塞ぎ込んでたよ。でもまぁ、あんな風にプライドで押し固めたようなやつだから、すぐに普段通りに戻ったけどさ。ただ、一時期に比べると少し素直になったっていうか……私と家で話してくれるようにはなったよ」
「パンケーキ屋さんに行ったって話をするくらいですもんね。二人のわだかまりが少しでも薄れたのなら、私も嬉しいです」
「生意気でムカつく性格はそのままだけどね〜。昔は純真で可愛かったんだけどなぁー」
善子さんは遠い目をして溜息をついた。
でもその顔はとても穏やかで、弟との関係が少しずつ良好になっていっているのを安堵しているように見えた。
正くんは昔、善子さんにべったりみたいだったし、その頃のことが少し恋しいかもしれない。
成長するにつれて関係性か変わっていくのは仕方ないけれど、二人の場合はとても極端だったから。
善子さんをヒーローのように信奉していた幼少期と、反発して自身を貫いていた最近は、あまりにも違いすぎる。
そのきっかけを作ってしまったのが、五年前の事件。
レイくんたちと、シオンさんとネネさんたちの鍵を巡る戦いに巻き込まれてしまったのが原因なんだ。
そこから、善子さんを取り巻くあらゆる環境が変わってしまった。
約一ヶ月の失踪で、弟からは失望されてうまくいかなくなって。
でもその裏では、壮絶な戦いの中『魔女ウィルス』に感染して魔女になって。
そしてなにより、親友だった真奈実さんを失って。
死んだと思っていた真奈実さんは生きていたけど、でもそれは善子さんの知っている彼女じゃなかった。
真奈実さんがワルプルギスのリーダー・ホワイトとして、私たちの前に初めて姿を表したのも、正くんの件と同じ日の夜だった。
あれ以来、善子さんはホワイトと会えていない。
死んだはずの親友がどうして生きていて、何故ああも変わっていて、そして何をしようとしているのか。
それに、どうしてレイくんと一緒にいるのか。善子さんは何にも知らないんだ。
私もまだそのことについてはわかっていないことだらけだけど。
でも私のこれからにも関係のあることだし、キチンとお話をしておかないと。
結局あらゆる原因は、私にあるんだから。
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