9 ランチ

 この後用事があるという氷室さんと別れて、私は公園を後にした。

 すぐにでも向こう行った方が良いと思うとは言っても、本当に今すぐってわけにもいかないし。


 色々準備とか整理とかをしてから、万全の状態で臨むべきだと思うし。

 それにただ無我夢中に、一心不乱に飛び込んでいくんじゃなくて、確認したいこともある。


 だから私は、氷室さんと別れたその足で夜子さんの廃ビルに向かうことにした。

 当時から私は夜子さんにお世話になっていたし、昔は聞かなかったこと、今だから気になることを聞きたい。

 そしてあわよくば、向こうの世界に行くことに力を貸して欲しいから。


 当時、王族特務の魔法使いとして私の前に現れた夜子さん。

 その様子も性格も、今と全く同じ自由の権化みたいな人だった。

 でもだからこそ、今も昔も夜子さんが何を考えているのか一切わからない。


 だから少しでも話が聞けたら良いななんて、そんな淡い期待を抱いて、私は寒さに身を縮めながら足早に街外れへと足を進めていた、そんな時。

 ふと、聞き馴染みのある声に呼び止められた。


「お、アリスちゃんだ。やっほー、今日も寒いね〜」


 そう朗らかに声を掛けてきたのは、金盛かなもり 善子よしこさんだった。

 もこもこの白いダウンジャケットと、淡いピンク色のマフラーで身体を温かそうに包んで、晴れやかな笑顔をこちらに向けて手を振ってくる。

 その邪気のない清らかな笑みにこちらも自然と顔が緩んで、私はパッと駆け寄った。


「善子さん! こんにちは。寒くてまいっちゃいますね」

「ホントだよまったくー。寒さを吹き飛ばす為にランニングでもしようかなぁって感じ」

「そんな体育会系みたいなことを……。汗冷えしても知りませんよ?」


 ニコニコ笑いながら私を迎えてくれた善子さんは、そう言うと腕を組んで本気で悩むような素振りを見せた。

 特に運動系の部活に所属しているわけではない善子さんだけど、昔から身体を動かすのは得意だったから、物の考え方がアクティブだ。


「ま、確かにこんなあったか装備で走ったらとんでもないことになりそうだね。走るならジャージにでも着替えて軽装で挑まないと」

「その通りではありますけど。でもこんな寒いのに薄着で外になんて出たら、身体を温める前に凍えそうです」

「そこはほら、最初は気合いだよね。身体を動かし始めればすぐに温かくなるよ。なんなら、一緒にする? ランニング」

「うーん。せっかくのお誘いですけど、私はパスで……」


 非体育会系の私には、寒さに気合で対抗して身体を動かす方法は向いてない。

 実際にやってみたら気持ちがいいかもしれないけど、それまでに耐えなきゃいけないことが多過ぎるんだもん……。

 だから中学の頃から、毎年この時期にある持久走大会が本当に億劫なんだよなぁ。

 あれ、誰もハッピーにならないと思う。


 私が丁重にお断りしても、善子さんはハハハと軽く笑うだけだった。

 わかっていはいたけど、別に本気で誘ったわけじゃないみたい。


「ところでアリスちゃん、どこかに行くところ? もしよかったら、ランニングはあれだけど、一緒にランチでもしない?」

「ランチ! 良いですね。それなら行きたいです!」


 私が打って変わって即答すると、善子さんはカラカラと笑った。

 寒い中の運動は勘弁だけど、大好きな先輩とのランチなら話は別なんだから仕方ない。


 夜子さんの所に行こうとはしてたけど、約束をしているわけでもないし、それに火急の用というわけでもない。

 たまには気を抜いて、穏やかなランチを楽しむのだって必要だ。


「そういうことなら駅前にでも行こうか。何食べたい? お姉さんが奢ってあげましょー」

「えぇ、そんなの悪いですよ。自分の分はちゃんと払いますからっ」

「もう、アリスちゃんは控えめっ子だなぁ。こういう時は多少太々しくしてるくらいで丁度いいんだよ?」


 善子さんはそう言いながら私の腕に自分の腕を絡めて、緩やかに先導し始めた。

 私は部活に入ってないし、だから二年生の今でもあんまり先輩後輩関係というのに疎い。

 だから私の感覚が変なだけで、案外奢り奢られっていうのは普通なのかな。

 私だったら気軽に人に奢れるような余裕ある懐事情じゃないから、後輩がいたら大変だなぁ。


 そんな思いがあるからどうも気が引けたけど、善子さんは何か奢ってくれる気満々で、意気揚々と私の腕を引いている。

 ニコニコ楽しそうに笑いながら、長めに結いたおさげを揺らしている姿を見ていると、あんまり無下にも断れなくて。

 ここは大人しく、後輩らしく先輩の行為に甘えた方が良いかもしれない。


「じゃあ、お言葉に甘えて。でも、善子さんの行きたいところがいいです」

「お、そうきたか。アリスちゃんめ、したたかな女の子」

「いや、そこまでのことじゃないと思いますけど……」


 奢ってもらうのならせめて善子さんの好みで、と思っただけだし。

 それこそ懐事情的なこともあるだろうし、下手なことを言って無理させても悪いから。

 でも善子さんは本当に私に行き先を委ねてくれようとしていたみたいで、ムムッと唇を尖らせた。

 その様子だとなんでも奢ってくれそうだから、やっぱり交換条件的に行き先を任せるのは正解だったかもしれない。


「よし、じゃあ美味しいパンケーキを食べに行こう! 甘くてボリューミーなやつをね!」

「パンケーキ良いですね! あれ、でももしかして駅前のあのお店ですか!? あそこちょっとお高い────」

「問答無用ー! しゅっぱーつ!」


 この街でパンケーキ屋さんといえば、駅前にお洒落なお店が一軒ある。

 よく地元の女子大生が列をなしている、可愛くて美味しいと人気のお店だ。

 でも高校生の私たちにとっては少し価格帯が高くて、なかなか手が出ないところ。

 高校生になってから頑張って背伸びして、晴香と二回くらい行ったことがあるから、どういう所かはわかってる。


 ファーストフードとかでもやや気が引けるのに、そんなところなんてとんでもない。

 けれど善子さんは私の制止なんてどこ吹く風。意気揚々と私の腕をホールドしてグイグイと引っ張る。


 気を使って行き先を善子さんに委ねたのが仇となった。

 これなら気軽なお店をこっちから指定した方が良かったかもしれない。

 いや、善子さんのことだからそれでも結局は良いところに連れて行こうとしてくれたかもしれないなぁ。


 ここは大人しく好意に甘えるべきなのかな。

 あんまり強引に、しつこく拒絶するのも悪いし。

 それに、私の口はもうすっかり甘々なパンケーキの口になってるし。

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