11 ぶん殴る

「────ところでさ」


 なんて話をしようか迷って、紅茶片手に思案していた時。

 善子さんの方からカラッと切り替えた言葉が飛んできた。


 表情も声色も穏やかなまま。けれど話題の色は変わると、その締まった言葉が告げている。

 私はティーカップをソーサーに置いて、頷きながら次の言葉を待った。


「なんだかアリスちゃん、雰囲気かわったよね」

「……やっぱり、わかりますか?」

「そりゃわかるよー。付き合い長いしね。それに私も一応、魔女になってそれなりに経つし」


 アハハと普段通り温かく笑う姿に、張り詰めたものはない。

 切羽詰まった話というよりは、単純に私の変化に気付いて話を振ってきた、という感じ。

 でも、善子さんが真奈実さんのことを全く気にしてないなんてことは、絶対ない。


「雰囲気が変わったというより、なんかスッキリしたというか。とにかく、昨日一昨日までのアリスちゃんとは違うってのは、わかるよ」

「そう、なんです。そのことを、善子さんにはお話しないといけないと思ってました」


 せっかく善子さんの方から切り出しやすい話題を振ってくれたんだからと、私は姿勢を正した。

 そんな私を見て、善子さんは穏やかな顔をしつつ、気を引き締めた視線を向けてきた。


 そうして私は、思い出した過去の出来事を掻い摘んで善子さんに説明した。

 私がかつて『まほうつかいの国』に迷い込んで、国を揺るがす冒険をしたこと。

 自分の中に眠る『始まりの魔女』と、その力のこと。


 そしてレイくんが、昔から魔女の解放に向けて何かをしようとしていたこと。

 だからきっと、ワルプルギスのリーダーをしている真奈実さんも、それに関わりがあるだろうこと。


 私の突拍子もない話を、善子さんは静かにふむふむと聞いてくれた。

 とても聞き上手で、大雑把に話した私の過去の出来事には一喜一憂して、『始まりの魔女』とかの難しい話には眉をひそめて、そしてレイくんたちの話には顔をしかめて。


 それでも私の言葉にちゃちゃを入れることはなくて。

 善子さんは私の話を全て素直に聞き入れて、ただ黙々と頷いてくれた。


「……なるほど。そういうことだったのか。昔の話とはいえ、大変だったんだね」

「私は結局、何も解決できずに今まで先延ばしにしてしまったんです。だから私は、もうあらゆることにケリをつけたいと思ってます」


 大まかな話を終えて、私たちは示し合わせたかのように紅茶に口をつけて一息ついた。

 善子さんは「なるほどね……」ともう一度呟いてから、少し視線を下げる。


「アリスちゃんには、具体的にこれからどうしようとか、あるの?」

「具体的に、といわれるとまだ……。ただ最近の私はずっと、やってくる問題に対処することで精一杯でした。でもこれからは、自分から根本的な問題に立ち向かっていかなきゃって思ってます。私のことを狙う魔法使いやワルプルギスの魔女に、区切りをつけないといけません」

「ワルプルギス……」


 穏やかだった善子さんの顔が、徐々に萎んでいく。

 落ち込んだ顔になってしまわないように努めているようには見えるけど、それでもそこには憂いを感じられた。


 ワルプルギスという言葉から連想される、善子さんには因縁浅くない二人のことを思い浮かべているに違いない。

 テーブルの上に乗せられて手が、ゆっくりと丸まる。


「真奈実は、そのワルプルギスってやつのリーダーなんだよね。そこで、レイの奴と一緒にいる。ってことはアリスちゃんは、真奈実と戦うってこと?」

「それは……」


 不安そうなその声に、思わず言葉が詰まる。

 私としては、全てが平和に済めばそれに越したことはないと思ってる。

 ワルプルギスが私のことを信奉しているというのなら、なにもわだかまることなく争いの動きを止めて欲しい。

 でももしそれがスムーズに運ばなかった時、戦いは避けられないかもしれない。


 レイくんならまだ話は通じそうだけど、あのホワイトはどうだろう。

 自分の正義を絶対のものと信じ、それに沿わないものは全て悪とする彼女に、私の声が届くのかどうか。


「基本的には、争うことなく全てを丸く納めたいと考えてます。でももしことが上手く運ばなかったら、或いは……」

「そっか……」


 彼女の親友だった善子さんに、面と向かって戦うかもしれないとは、ちょっと言い難くて。

 でも嘘をつくわけにもいかず、なんとも歯切れの悪い言い方になってしまう。

 それでも言わんとしていることが伝わったようで、善子さんは呟きと共に息を吐いた。


 あの夜こっぴどく拒絶された善子さんではあるけれど。

 でもずっと想い続けてきた親友のことを、簡単に切り捨てることなんてできないんだ。

 だからきっと、彼女と戦うことになるかもしれないという事実は、善子さんにとっては苦しいこと。

 後輩の私と親友の真奈実さんがぶつかるなんて、そんなの嫌に決まってるんだ。


 その心中が嫌というほど察せられて、私は次にかけるべき言葉が出てこなかった。

 静かに視線を落として、やや俯き気味な善子さん。

 けれど少しすると顔を上げて、真っ直ぐ私の目を見てきた。

 その顔は、覚悟の決まった凛としたもの。


「それでいい。それでいいよアリスちゃん。アリスちゃんに迷惑をかけているっていうのなら。それで、もしぶつかることがあるのなら、真正面から叩き潰した方がいい」

「善子さん、でも……」


 あまりにもスパッとした物言いに、思わず戸惑いの言葉がこぼれてしまった。

 しかし善子さんは、ササッと首を横に振る。


「今のあの子は何か変なんだ。あの子の正義が、あんなものだとは思えない。だからむしろ、目を覚まさせる為にもぶん殴ってあげなきゃ」

「ぶ、ぶん殴るって……」


 私が心配しているのを感じ取ったのか、善子さんは僅かに笑みを浮かべて戯けた言葉を使った。

 手の平を拳でパチンと打って、私にニヤリと笑いかける。


「そうしないときっと、あの子は止まらないから。真奈実は昔から正しい子だったけど、とっても頑なで融通の効かない子だったから。あの考えがあの子自身のものなのか、はたまた誰かに操られてるのか、そこのところはわからないけど。でもあの子を止める為には、それがきっと一番だから」


 朗らかに親友を語る善子さん。

 心配や不安を押し除けて、前を向いてこれからを考えている。

 真奈実さんと向き合う為にはどうすればいいのか。

 親友だからこそ、心得ているのかもしれない。


 戦わないに、争わないに越したことはないけれど。

 それが叶わない可能性が高いのなら、迷うことなくぶつかる。

 その覚悟を、善子さんはもうしてるんだ。


「……わかりました。なら私も、迷いません」

「うん、頼むよ。あのバカに気遣いは無用さ」


 善子さんの覚悟を受け止めてしっかりと頷いて見せる。

 そんな私に善子さんはニカッと明るく笑みを返してきたけど、その裏には不安が隠れていると、私は思ってしまった。


「そこで実は、お願いがあるんだけどさ」


 笑顔から真剣な表情にスッと切り替えて、善子さんはやや身を乗り出した。


「その時は、私も一緒に戦わせて欲しい」

「え……」

「アリスちゃんの力になりたいし、それにレイや真奈実とは直接ケリをつけたいんだ」

「善子さん……」


 鋭い眼差しはその力強さと同時に、強いこだわりを感じさせた。

 自分にとって全ての始まりであるレイくんと、そして大切な親友である真奈実さん。

 二人への複雑な想いと関係から、目を逸らさず向き合いたいという、強い意志だ。


 五年前、鍵を巡る戦いに巻き込まれて魔女になってしまった善子さん。

 けれど元々こちらの世界の住人である善子さんは、本来私の問題とは無関係だ。

 だから私とワルプルギスの問題に、善子さんを巻き込もうとは思っていなかった。


 けれどワルプルギスに関しては、私の問題であると同時に善子さんの問題でもある部分もある。

 なら善子さんの意思を尊重して、一緒に挑むことが一番いいかもしれない。


「わかりました。善子さん、是非私に力を貸してください」

「うん、もちろんだよ。ありがとう、アリスちゃん」


 力強いその瞳を真っ直ぐ見返して返事をすると、善子さんは安心したように表情を緩めた。

 五年前からずっと後悔や苦悩を抱えていたはずだ。でもどうすることもできなくて、辛かったはずだ。

 その問題がようやく目の前に現れたかと思えば、また手が届かなくて。


 そんな悶々とした想いを抱えていた善子さんにとって、これは切実な願いなんだ。

 私もその力になりたい。私の問題が端を発しているからというのもあるけれど、尊敬する大好きな先輩を支えたい。

 だから一緒に、手を取り合って立ち向かっていこう。


 自分の正しさを信じて突き進み、弱い人を助けて手を差し伸べる。

 そんな強い意志と優しさを持つ善子さんとなら、絶対に乗り越えられる。

 そして私は、そんな善子さんと共に突き進んで、助けられる自分になりたい。


 真剣な空気や張り詰めた想いを抱きながらも、私たちはいつの間にか緩やかに笑い合っていた。

 これから向き合うべき問題はまだまだ多いし大きいけれど、私たちは決して一人じゃないから。

 だから私たちは、笑顔を忘れずにこれからもこの日常を歩んでいけるんだ。

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