138 大人の余裕
「まったく、手のかかる子だよ千鳥ちゃんは」
二人で無我夢中に抱き合っているところに、とても落ち着いた声が降り注いできた。
その呆れたような、でも安らぎを持った声に、私たちは同時に顔を上げた。
「おいおい、二人して鳩が豆鉄砲食らったような顔しちゃってどうしたんだい?」
そこにいたのは夜子さんだ。
抱き合う私たちの傍に立って、いつもと変わらぬ余裕の笑みを浮かべている。
ダボダボのズボンのポケットにだらしなく手を突っ込んで、私たちのことをやんわりと見下ろしていた。
「夜子さん、無事だったんですか……!」
「もちろんだとも。まぁ痛かったけどねぇ、あれくらいじゃ私はくたばらないさ。あと、みんなの陰もあるけどね」
すぐさま声を上げた私に、夜子さんは柔らかく微笑んだ。
そのすぐ後ろには氷室さんたちが控えていて、心配そうな目で私たちを見ていた。
私たちが戦っている間に、みんなで夜子さんに治癒をしてくれていたんだ。
「…………」
そんな夜子さんを見て、千鳥ちゃんは口をパクパクとさせた。
今までの関係を裏切って、不意打ちで夜子さんを攻撃した千鳥ちゃんは、怯えた目で震えていた。
そんな彼女に、夜子さんは大層優しい笑みを向けた。
「言っておくけれど、私は君が刺客だってことくらい最初からわかっていたよ? 千鳥ちゃんのことなんてなんでもお見通しさ。君はわかりやすいからねぇ。さっきだって、君が仕掛けてくることくらいわかってた。だから言っただろう? 私は君に脅かされるほど鈍っちゃいない、思う通りに生きなさいってね」
「夜子、さん……」
悪戯っぽい笑みを向けて大して気にしていなさそうに言う夜子さんに、千鳥ちゃんはか細い声を上げた。
「君を居候のままにしたのも、魔女の介錯の手伝いをさせたのも、全部君のためだ。君がスムーズに目的を果たせるように、環境を整えてあげたのさ。いつでも私に近づける為の居候。人を殺す覚悟を持つ為のあの仕事だ。でも君は、一度だって私に殺意を向けてはこなかった。まぁそれはそれで別に良かったんだけどね」
「どうして、そんなこと……」
「別に大した意味はないけれど……強いて言うなら、君を助けたくなっちゃたんだよね。必死に生きようとしている君を。だから、もしかしたら私を脅かすかもしれなくても、君が生きる為の手助けをしてしまったんだ。まぁ、そう簡単には殺されないという自信もあったしね」
カラカラと夜子さんは軽やかに笑う。
それは余裕の笑みだったけれど、だからといって千鳥ちゃんを下に見ているものではなかった。
馬鹿にしているわけでもなく、舐めているわけでもない。
千鳥ちゃんを一人の人間と認めているからこそ、受け入れているからこその言葉だった。
思うままに、がむしゃらにやってみなさいと。
夜子さんなりの大人の余裕で、千鳥ちゃんを受け入れていたんだ。
千鳥ちゃんはそんな夜子さんを震える目で見上げて、嗚咽混じりに口を開いた。
「…………夜子さん、ごめんさい。私、夜子さんに……」
「私は別に怒ってないよ。死んじゃいないしね。大人のお姉さんは、子供のやんちゃにいちいち目くじらを立てたりしないのさ」
ふふんと得意げに微笑む夜子さん。
確かにあの時の一撃は凄まじいものだったのに。
あの夜子さんが昏倒してしまう程に、千鳥ちゃんは本気で殺しにかかっていたのに。
それでも夜子さんは、それを軽やかに笑い飛ばしていた。
「夜子さん……」
「つっかえていたものは全部なくなってスッキリしただろう? それにアリスちゃんとも仲直りしたようで、万事解決万々歳じゃないか。まぁ、君には失ったものもあるだろうけれど、だからといって、得たものがないわけでもないだろう?」
「…………はい」
夜子さんは緩やかに笑って、千鳥ちゃんの頭を優しく撫でた。
それを受けて、千鳥ちゃんは細い声で頷く。
本当なら、こんな軽い調子で収まることではないと思うけれど。
でも、夜子さんは全てをわかっていて、受け入れていたから。
だから今更怒ることもなくて、許す許さないですらないんだ。
だって、全部をわかっていた上で千鳥ちゃんをずっと側に置いていたんだから。
そんな千鳥ちゃんを信頼して、ずっと一緒にいたんだから。
夜子さんにとっては全部今更なんだ。
くしゃくしゃと撫でる手が頭を離れると、千鳥ちゃんはおっかなびっくり夜子さんを見上げた。
けれど夜子さんは、もう話は済んだというように澄ました顔をしていて。
そんな姿に千鳥ちゃんはもう一度謝ったけれど、夜子さんはもう聞いていなかった。
そしてもう我関せずといった感じで一歩退がってしまう。
そんな自由さが夜子さんらしくて、何だか安心する気がした。
夜子さんが退がったことで、氷室さんたちの視線が真っ直ぐ千鳥ちゃんへと向いた。
その三つの視線に千鳥ちゃんはビクッとして身を縮こませた。
「…………アリスちゃんが許したのなら、私もあなたを許す。でも、もしまたアリスちゃんを傷つけるような事があれば……私は、あなたをもう許せなくなる」
口火を切ったのは氷室さんだった。
静かに、けれど重苦しくない声で淡々と言葉を紡ぐ。
そこにはもう怒りはなく、けれど揺るがぬ意志があった。
「まぁそうだな。解決したってんならもういいだろ。アタシの分も、アリスがぶん殴ってくれたしな」
そしてカノンさんはカラッと笑みを浮かべていった。
激情的な彼女だけれど、その竹を割ったような性格は頼もしい。
もう全くと言っていいほど気にしてはいないようだった。
「カルマちゃんとしてはちょっとムムムッ気がしなくもないけどね〜ん。カルマちゃんの場合はほら、前にコテンパンにグッサリやられたからさ! でもま、いいんじゃない? あれ結構痛いしね〜」
カノンさんのことをツンツン小突きながら、カルマちゃんはあっけらかんと言った。
彼女に関しては、あまり深い思い入れはないみたいだ。
でも、私の為に怒ってくれたりしていたし、この子の考えていることはよくわからない。
基本その場のノリで生きてるんだろうなぁ。
「みんな、本当にごめんなさい……」
私にしがみつきながら、千鳥ちゃんは深く頭を下げた。
心の底から、絞り出すように言う千鳥ちゃんに、もう誰もそれ以上何も言わなかった。
これ以上彼女を責めようなんて思う人は、誰もいなかった。
私たちはみんな友達だ。
それでも喧嘩したり対立したり、いつでもどんな時でも仲良しではいられないかもしれない。
でも、お互いを想い合って助け合って許し合って。
そうやって生きていくことで、私たちはお互いを支え合っていけるんだ。
喧嘩するのが、ぶつかり合うのが悪いことじゃない。
むしろ友達だからこそ、抱えずに思いの丈をぶつけ合った方がいい。
それでも相手のことを想っていれば、決して関係は崩れない。
人は一人では生きていけないんだから。
そうやって支え合って、寄り添っていく人がいないと、寂しくて死んでしまうから。
だから私たちは、これからも繋がって生きていく。
この場の全員の思いは一つだった。
誰一人として、破綻なんて望んでいない。
だからこれからも大丈夫だ。
私たちはこれからもずっと、友達だ。
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