137 一緒に生きる

 振り抜いた拳のまま、千鳥ちゃんはどさりと地に背中を打ち付けた。

 かわすことも防ぐことも、できたはずなのに。

 千鳥ちゃんは私の拳をもろに受けて、されるがままに倒れ込んだ。


 そんな千鳥ちゃんに、私は馬乗りになった。

 そばに剣を突き刺して、その胸ぐらを掴んで上体を持ち上げる。


友達わたしから逃げないでよ。今の千鳥ちゃんは、お姉さんたちを言い訳にしてる。私たちの繋がりは、千鳥ちゃんが思っている以上に強いよ。その心に、聞いてみてよ」

「………………」


 魔法で編んだ金色のドレスの襟元を握りしめて、私は間近で訴えかけた。

 乱れた金髪が顔を覆う中、私が打ち付けた頬は真っ赤になっているのがわかる。

 そしてそこに、途切れることない涙が伝っていた。


「苦しいと思う。辛いと思う。悲しいと思う。その気持ちは間違ってないし、お姉さんたちの想いは大切にするべきだよ。でも、だからって自分に嘘をついちゃダメだよ。それじゃあ誰も救われないし、何もよくならない。ただただ、もっと苦しくなるだけだよ」

「………………」


 千鳥ちゃんは口を開かない。

 唇を固く結んだまま、ただ涙を流している。

 髪で隠れたその表情は窺えないけれど、その涙が全てを語っていた。


「私ね、千鳥ちゃんが本気で、心の底から私や夜子さんを殺したいって思ってるんなら、嫌だけど、仕方ないと思う。そうだとしたら、敵として立ち向かえたと思う。でも、違うんだもん。千鳥ちゃんの心は悲鳴をあげてるんだもん。その気持ちが、私の心に流れ込んでくるんだもん。そんなの、放っておけるわけないよ」


 ぎゅっと襟元を握り締めながら、振り絞るように言葉を紡ぐ。

 気がつけば、私の頬にも涙が伝っていた。

 言葉を口にする度に、涙が溢れて止まらない。


「千鳥ちゃんはお姉さんたちが大好きなんだよね。ツバサさんが、アゲハさんが大好きなんだよね。その願いを、生きて欲しいって望みを叶えて、背負っていきたいんだよね。それはいいと思う。それが千鳥ちゃんの一番大切なことなんだから。でもさ、一人は苦しいでしょ? 寂しいでしょ? 一番じゃなかったとしても、千鳥ちゃんにとって友達も大切でしょ? だったら、私にもその荷物を背負わせてよ。一緒にいれば、寂しくない。苦しさは半減するし、楽しさは倍増だよ。だからさ、千鳥ちゃん。友達を諦めないでよ。はじめからいなかったなんて、そんな寂しいこと、言わないでよぉ…………」


 気が付けば、千鳥ちゃんに掴みかかってはずの私は、その体に縋り付いていた。

 馬乗りになって襟首を握り締めたまま、その胸に頭を預けてしまっていた。

 涙で体が震えて、力が入らない。


「アリ、ス…………」


 そんな私に、千鳥ちゃんはひどく弱々しい声を上げた。


「私、そんな欲張って、いいのかな。自分のことしか考えられない私が、そんな何でもかんでも、欲しがっちゃっていいのかな。自分のこともろくにできない私が、人に頼っていいのかな。私の為だけに全てを投げ打ってくれたお姉ちゃんたちに、それは、いいことなのかな……」

「当たり前だよ。そんなの、決まってんじゃん」


 震える声で言う千鳥ちゃんに、私は迷いなく答えた。

 その命を懸けて守り続けてくれたお姉さんたちに、自分もまた全てを持ってその想いに応えないと思っていたんだ。

 だからこそ、それを絶対に叶えるためにそれ以外を切り捨てる覚悟を決めた。


 その気持ちそのものは間違っていないけれど、その選択はあまりにも失うものが多すぎる。

 千鳥ちゃんにとってデメリットが多すぎる。

 今の千鳥ちゃんには友達がいる、居場所がある。

 その全てを打ち捨てるのは、例えお姉さんたちの願いを叶えられたとしても誰も幸せない。


「千鳥ちゃん、一緒に生きよう。千鳥ちゃんのことは私が守る。だから、私のことも守ってよ。お互い助け合って、補い合って、力を合わせて生きていこうよ。そうすれば、きっとできないことなんてない」

「…………アリス、私……」


 顔を上げて手を放す。

 そしてその乱れた髪を掻き分けて、千鳥ちゃんの顔を両手で包み込んだ。

 泣き腫らした目と真っ赤になったぐちゃぐちゃの顔が、弱々しく私を見た。


「私、記憶と力を取り戻して、その力も全て使いこなして、『魔女ウィルス』をなんとかするから。そうすれば、魔女が死に怯える生活はなくなる。魔法使いとのいがみ合いもきっとなくなる。そうすれば、もう誰も傷つかなくて済むはずから。お願い、私を信じて。お願い、私から千鳥ちゃんを奪わないで。千鳥ちゃんがいない日々なんて、私には耐えられないんだ……」

「……アリス……アリス、アリスッ…………」


 大きな鳥の翼が逆再生のようにすーっと消えた。

 千鳥ちゃんを取り巻いていた禍々しい気配は消え去って、周囲を圧迫していた威圧感がなくなる。

 私の目の前にいるのは、なんの変哲もない、どこにでもいるような小さな女の子だった。


 嗚咽混じりに何度も私の名前を呼びながら、千鳥ちゃんはおっかなびっくり手を伸ばしてきた。

 まるで割れ物に触れるようにそっと、千鳥ちゃんの手が私の体に触れて、ぎゅっと服を握った。


「いいの……? 私なんかがまだ友達で……私なんかと一緒にいて、本当にいいの……? こんな、私なのに…………」

「当たり前だよ。千鳥ちゃんじゃなきゃダメだよ。私は、そんな千鳥ちゃんが好きなんだ。意見が食い違ったら、気持ちがぶつかったら、いつでもこうやって喧嘩すればいい。それでも一緒にいたいと思うから、私たちは友達なんだよ」


 眉を下げて私を見つめていた千鳥ちゃんは、うぅっと声を漏らした。

 止まらない涙に更に大粒の滴が続いて、堪え切れない声を唇から溢す。

 私のことを力強く握って、千鳥ちゃんはゆっくりと口を開いた。


 唇を震わせながら、おっかなびっくり。


「…………アリス……私、私────────なさい……ごめん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさい……! アリス、私が……馬鹿だった……!!!」


 声を震わせ、嗚咽混じりに千鳥ちゃんは叫んだ。

 涙を振り撒きながら、恥も外聞も捨てて喚くように。


 私にぎゅっとしがみついて、もたれかかってくるように謝罪の言葉を並べてくる。

 背中を掻き抱き、私の手の中を滑り落ちて胸に頭を預けてくる。

 まるで小さな子供のように、泣き喚きながら謝り続ける千鳥ちゃん。


 そこにはもう何の意地もなくて、ただただ素直な気持ちの言葉を吐き出しいた。


 私はそんな千鳥ちゃんを優しく抱きしめた。

 翼のなくなった小さな背中に腕を回して慈しんで包み込む。

 私も、涙が溢れて止まらなかった。


「大丈夫、大丈夫だよ千鳥ちゃん。弱いのは千鳥ちゃんだけじゃない。みんな弱くて寂しいから、力を合わせて生きていくんだよ。失敗したって、間違ったっていい。一緒に乗り越えていこう。大切な人たちの為に、頑張って生きていこう」

「うん……うん、うん……! ごめん、ごめんアリス。私、アリスが…………大好きだよぉ」

「知ってるよ。だって私もだもん、ばか……」


 わんわんと声を上げて泣く千鳥ちゃんの言葉を受けながら、私もまた嗚咽を漏らした。

 そしてお互いの好きを証明するように、強く強く抱き合う。

 もう放さないと、決して手放さないと、その想いを込めて、固く。


 私たちはお互いを強く抱いて、共に泣いた。

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