104 君のおかげで

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「見つけたぞ、ロード・ケイン!」


 真宵田 夜子が居を構える街外れの廃ビル。

 その屋上に着地して、カノンは声を張り上げた。


 まくらを背負って建物伝いに上空を跳んでやってきたカノンは、眼下でアリスたちがアゲハと衝突していることを確認していた。

 その上で、屋上の柵に寄りかかって呑気に下を観察しているケインの元へと、自分の役割を果たす為に訪れた。


「やぁ、カノンちゃん。来ると思ってたよ」


 ゆっくりと振り返ったケインは、カノンの姿を見るとふんわりと気の抜けた笑みを浮かべる。

 まるで道端でばったり会ったような、何の気ない笑みだ。


 そんな彼を、カノンはまくらを降ろしながら強い視線で睨んだ。

 ケインは自身の気配を隠すことなく堂々とこの場にやってきていた。

 そのあからさまな気配を追って、カノンがやってくることなど想定済みだったのだろう。


 その余裕、全てを見透かすような飄々とした振る舞いに、カノンは少なからず苛立ちを覚えた。

 しかしそれは彼としてはいつも通りの行い。ロード・ケインの傘下に属していたカノンにとっては、ある意味日常のような光景だ。

 今更腹を立てても仕方ないと、カノンは平静に努めて深く息を吸った。


「アタシが来ることがわかってたってんなら、用件もわかってんだろ? さっさとアイツを止めろ」

「うーん、それは難しい相談だなぁ」


 即座に木刀を取り出し真っ直ぐ突きつけるカノン。

 しかしそれを向けられたケインは、さして気にするそぶりを見せず、困ったように眉を寄せて肩を竦めた。


「彼女を止めることは、僕にはできないよ」

「ふざけんな。てめぇの差し金だってことはもうわかってんだよ」

「そう言われてもなぁ。しない、じゃなくてできない、だからねぇ」


 屋上の柵に背中を預け、ケインはうっすらと笑みを浮かべつつも、やはりどこか困ったような顔をする。

 そんな彼の言動に違和感を覚え、カノンは首を捻った。


「どういう意味だ。てめぇが差し向けてんだから、てめぇの指示一つだろーが」

「いやいや、僕は指示なんて出してないからね。飽くまで自分からやりたいと言うから、いいんじゃないの?って言ったまでさ」

「なんだと!?」


 我関せずといった顔で呑気に答えるケイン。

 そのあまりにも他人事然とした振る舞いに、カノンは少なからず動揺を隠せなかった。


 ロード・ケインがワルプルギスにスパイを差し向けていたことは確定事項だ。

 そしてそのスパイであるアゲハが、アリスと夜子の殺害を目論んでいる。

 それはつまりケインによる指示だと、普通の流れであればそうなるはずだ。


 しかし彼は今、それをいとも簡単に否定した。

 それは飽くまでアゲハの意思による行動であると。


「けどよ。アンタはこの間アタシに言ったじゃねぇか。スパイが真宵田 夜子を殺害する手伝いをしろって」

「まぁ言ったけどさ。でも別に、僕が指示したことだとは言ってないだろ? 彼女の行動が僕の益にもなるだろうから、手伝ってあげようと思っただけだよ」

「ふざけたことを……!」


 彼の言い分を信じるならば、それはアゲハの独断による行動。

 二人の殺害という目的は、ケインの直接的な意思によるものではないということになる。


「だがまぁ、てめぇらしいやり口であるな。どうせアイツが食いつきそうなエサでも垂らしたんだろうさ。飽くまで指示はしていないと、そう言い逃れできるようにな」

「酷い言われようだなぁ。まぁでもここは、どうだろうね、とでも言っておこうか」


 ケインは決して余裕を崩さない。

 しかしその答えはほぼイエスの意味だとカノンは受け取った。

 この男は、そういう男だと彼女はよく知っている。


「まぁそういうわけだからさ、僕のことをどうしたって彼女は止まらないと思うぜ? だから痛いのはやめようよ」

「悪いがそういうわけにもいかねぇんだよ。てめぇがそういうスタンスを取ろうが、てめぇが元凶であることにはかわらねぇからな」

「やっぱり君はおっかないなぁ」


 そう口では言いつつも、警戒の色さえ見せないケイン。

 うっすらと微笑んだままの彼に、カノンは木刀を握る手に力を込めた。


「口でなんて言おうが、てめぇがアリスや真宵田 夜子の命を狙ってることにはわかりねぇ。それに、アタシ自身のケジメもあんだよ」

「ケジメ? あぁ、その件ならいいよ。今回君はとっても役に立ってくれたからね。裏切りの件は特別に不問にしてあげるよ」

「は、はぁ!?」


 予想だにしない角度の発言に、カノンは思わずひっくり返った声を上げてしまった。

 そんな彼女を面白そうに眺めて、ケインは言葉を続ける。


「本来なら魔女狩りから無断で離脱し、魔女に肩入れして逃亡、しかも姫君の傍にいながらその自由を黙認した君は、然るべき厳罰を課せられるべきだ。けどまぁ僕も色々人のこと言えないしねぇ。それに、今回の君の功績も考慮して、全て不問だ」

「ちょ、ちょっと待てよ! どうしてそうなるんだ!」

「なんだ、不満かい? 特別褒賞とか欲しい?」

「そういうことじゃねぇ! 今回の功績って、どういうことだ!」


 あっけらかんと首を傾げるケインに、カノンは思わず木刀を降ろして声を上げた。

 魔女をスパイとして繋がっていた彼が、人のことを言えないというのはわかる。

 けれど、一体何を持って役に立ったと、功績があると言っているのか、カノンにはさっぱりわからなかった。


「何って、君のここ数日の立ち回りさ。君は僕の思い描く通りに動いて、いいデコイになってくれた。とっても満足だよ」

「そ、そんなバカなことあるか! アタシはてめぇの要求を全部蹴った! てめぇに寄与することなんて、なんもしちゃいねぇよ!」

「うん、それでいいんだ。もちろん素直に手伝ってくれたらそれはそれで助かったけど、でもそれでよかったんだ。君はそういう子だと、僕はわかってたからね」

「…………!」


 うんうんと愉快そうに頷くケインの言葉に、カノンはサッと血の気が引いていくのを感じた。

 それはつまり、彼女が助力を断りアリスたちを守るために動くことを、全て想定していたということだ。


 思わず木刀を取り落としそうになるのをグッとこらえ、カノンは歯を食いしばってケインを睨んだ。

 背後で心配そうにカノンの服を摘むまくらの存在が、辛うじて彼女の理性を保っている。


「だ、だとしても。アタシがなんの役に立ったっていうんだ。アタシは、別に何も……」

「君が姫様たちの周りにいてくれた、それそのものが大いに役立った。お陰で彼女たちの視線をそらすことができだし、事実を誤認させることができた。君は何にもしていないけれど、何にもせずそこにいてくれたことがとても役立ったのさ」

「ふざけ、やがって…………!」


 カノンがアリスに接触し、ケインがスパイを放っているという情報を伝えること。

 共に行動することでその側にいること。

 ケインが干渉していることで、彼女を通して何か手を打っていると思わせること。


 その全てが盛大なフェイント。

 カノン自身は何もせず、そしてカノンを通して何かが起きることもない。

 しかしケインに唯一接触した彼女がアリスの側にいること。

 ただそれだけで、思考を惑わし判断を誤らせる要因となる。


 カノンが助力を受けようが断ろうが、彼女を利用する手段をケインは全て用意していた。

 どの道を辿りどう作用しても構わないよう、あらゆる分岐を視野に入れていた。

 どう転ぼうが、カノンの行動は彼の思惑通りだった。


「ありがとう。君のおかげでここまでは想定通りだ」


 怒りと悔しさに打ち震えるカノンに、ケインはニッコリと微笑んだ。

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