62 話したい

「でもね、アリス。私、アゲハの奴と戦うって、言ったんだけどさ……」

「うん、わかってるよ。千鳥ちゃんがしたいのはアゲハさんと倒すことじゃなくて、話すことでしょ?」

「う、うん……」


 私の顔色を伺うように言う千鳥ちゃん。

 私がにこやかに返しても、どこか不安げな表情が残っている。


「アイツが憎たらしくて堪んない。ツバサお姉ちゃんの仇を討つんだって、ギャフンと言わせてやるんだって気持ちはある。でも私はまず、アイツに全部洗いざらい喋らせたいの。アイツが、何を考えてるのか」


 私の手をもじもじと握りながら、千鳥ちゃんはおずおずと言った。

 まるで私に怒られるのを恐れているような、そんな態度だった。


「もちろん、少なからず戦うことは避けられないと思う。でも私がしたいのは、アイツと腹を割って話すことだから。だから────」

「よかった。千鳥ちゃんがそう思ってて良かったよ」


 まるで罪を告白するような切羽詰まった声を出す千鳥ちゃんを遮って、私はぎゅっと手を握り返した。

 千鳥ちゃんは出鼻を挫かれたようにキョトンとして私を見つめてくる。


「アゲハさんをボコボコにしたいとか、下手したらしたら殺したりしたいとか、そういうことを考えてたら嫌だなぁって思ってたの。でも、千鳥ちゃんが話したいって思ってて良かったよ」

「でも、これは私の都合なのに。アンタはそれでいいの?」

「どうして?」

「だって、私はアンタの命を狙ってる奴を殺さないつもりなのよ。下手したら殺すことよりも大変かもしれないし、何よりアンタはアイツが憎くないの!?」


 クエスチョンマークを浮かべる私に、千鳥ちゃんは焦った様子で早口で言う。

 自分のことで精一杯のはずなのに、それは私を気遣ってくれている言葉だった。


「確かに命を狙われたのは怖かったし、友達を傷付けられたのは許せない。でも私言ったでしょ? 千鳥ちゃんのしたいことに力を貸すって。それに、私だって殺したいとまでは思わないよ。私も、ちゃんと話してその気持ちを知りたいの」

「…………アンタってなんていうか、お人好しよね」


 千鳥ちゃんは複雑な顔しながら溜息をついた。


「私が言うのもなんだけどさ。自分を殺そうとしてる奴と話がしたいとか、結構ヤバイと思うわよ」

「うーん。人を殺したりしたくないっていう、私の臆病さかもしれないけど。でも私は、ちゃんと話をして解決ができるなら、やっぱりそれが一番だと思うんだ。綺麗事かもしれないけどさ」

「まぁアンタらしくは、あるわね。それに、アンタが誰かを殺したいほど憎んでるようなところなんて、想像できないし」


 そう言うと、千鳥ちゃんの表情は穏やかさを取り戻した。

 こんな時だって私のことを慮ってくれるんだから、なんだかんだ言って、千鳥ちゃんは人のことがちゃんと考えられる子だ。

 そうやって想ってくれているということがとても嬉しかった。


「あの時のアイツの行動の理由もそうだけど、今回のこともちゃんと聞き出さないといけないわ。どうしてアリスを殺そうとしてるのか」

「やっぱり、千鳥ちゃんもわからないんだね」

「……ええ、意味がわからないわ。大方前と同じような感じな気もするけど。でもそんなのはアイツの勝手な動機で、私の為になんかなりゃしないわ」


 千鳥ちゃんのことを散々責め立てて貶しておきながら、守ると言ったアゲハさん。

 千鳥ちゃんには理解できない、アゲハさんの中だけで成立している何かがあるのかもしれない。

 それはなんだか、私に対するクロアさんの態度に似ているような気がした。


「私の為とか、ホント意味わかんない。私を守るとか救うとか解放するとか。勝手なことばっかり言ってさ……」


 それは憎しみのこもった言葉というよりは、寂しさを孕んだ言葉だった。

 わからないなりに、アゲハさんの言動には思うところがあるのかもしれない。

 それがアゲハさんに対する怒りや憎しみ以外の感情を揺らしているんだ。


「とにかくさ!」


 少し俯いた千鳥ちゃんに、私は元気よく声をかけた。

 ハッとした千鳥ちゃんが慌てて私を見上げる。


「今日はしっかり休んでさ、明日みんなでアゲハさんを探そうよ。レイくんたちも後を追っているだろうから、先に見つけないと」

「そう、ね。今ぐちぐち考えていても仕方ないし、まずは取っ捕まえてふん縛らないと。それから全部吐かせるしかないわね」


 千鳥ちゃんはやんわりと微笑んで頷いた。

 まだ不安や怖さはあるだろうだろうけれど。

 それでも立ち向かうと、ちゃんと話すと決めた千鳥ちゃんの目に、もう迷いはなかった。


「よし! それじゃあみんなの所に戻ろっか!」


 立ち上がって手を引くと、千鳥ちゃんはぐっと腕を引いて立ち上がるのを拒んだ。

 首を傾げて見下ろすと、千鳥ちゃんは恥ずかしそうに顔を背けた。


「アンタ、先に降りててよ。私は、後から行くからさ」

「別にいいけど……どうしたの?」

「な、なんでもないけど! いいから、先行っててってば!」


 今の今まで、もう迷わないって感じの目をしていたのに。

 私から気まずそうに顔を背けている千鳥ちゃんは、下に降りていくことを躊躇っているようだった。

 どうして今になってそんな……と再度尋ねようとした時、私はやっと気付いた。


 千鳥ちゃんの頬にはくっきりと涙の跡が残ってしまっている。

 しかもさっき結構しっかり泣いたから、誰が見ても一目瞭然なくらいに泣いた後の人の顔だ。

 それに目もまだ泣き腫れたままだし、確かに人前に出られる状態ではなかった。


「わかった。じゃあ先に戻ってるけど、後からちゃんと来てよ? また家出とか、しちゃダメだからね!」

「しないわよ! わかったから、早く行きなさいよ。霰がそろそろ根をあげてんじゃないの?」


 千鳥ちゃんは顔を背けたまま、氷室さんのことをからかうような笑みを浮かべた。

 私もまくらちゃん相手にあたふたしている氷室さんの姿を想像してしまって、思わず口元が緩んでしまった。

 慣れないことを任せてしまった氷室さんのこともそうだけれど、みんなが待ってくれているし、私だけでも早く戻った方が良さそうだ。


「そうだね。じゃ、すぐ行くよ」


 千鳥ちゃんの手を放して、手を振りながら階段に向かう。

 少し離れると、寒さ除けの魔法の範囲から外れたのか途端に冷たい風が体を撫ぜてきた。

 突き刺すような寒さに身をすくめながら足を進めている時だった。


「────アリス!」


 思わぬ呼び止めに、私はビクッと足を止めて慌てて振り返った。

 そこにはしゃがみ込んだままの千鳥ちゃんが、顔を真っ赤にしながらこっちを見ていた。

 少し口をパクパクさせて、でも意を決して声を出す。


「あ、ありがとう! アンタが友達になってくれて、私よかった!」


 それが精一杯だったのか、千鳥ちゃんはすぐに俯いてしまった。

 けれど千鳥ちゃんの気持ちは全部伝わってきた。

 強がりで意地っ張りな千鳥ちゃんのその素直な叫びには、全てがこもっていたから。


「私もだよ! 千鳥ちゃん大好き!」


 だから渾身の笑顔で大手を振って叫び返した。

 すぐさま千鳥ちゃんは顔を上げて、首元まで真っ赤にしてキーキーと喚き声をあげた。

 でもその口元は、誤魔化しようもなく緩んでいたのを私は見逃さなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る