63 この街で

「ごめん、お待たせ」

「アリスちゃん……!」


 一足先に三階へと降りると、真っ先に氷室さんが私に顔を向けた。

 ポーカーフェイスを僅かに綻ばせて、安堵したように緩やかな瞳を向けてくる。

 私の名前を呼ぶ声は、どこか力が抜けていた。


 私たちが部屋を出た時は正面から抱きついていたまくらちゃんは、今は氷室さんに膝枕をしてもらっていた。

 抱きつかれるよりは幾分かハードルは落ちているだろうけれど、それでも氷室さんは僅かに引き腰に見えた。


 それでもまくらちゃんは楽しそうにしているし、それなりにコミュニケーションは取れていたみたい。


「あれ、アイツは? 一緒じゃないのか?」

「あ、うん。えっと……ちょっと一人で外の風に当たりたい、みたいな感じかな? そのうち降りてくるよ」


 私がみんなと同じようにブルーシートに上り込むと、カノンさんが透かさず尋ねてきた。

 泣き顔をみんなに見られたくないから、なんて言えるわけがないから適当にはぐらかす。

 幸い、誰も深くは突っ込んでこなかった。


「まくらちゃんお待たせ。こっち来ていいよ」

「わーい。わかった!」


 氷室さんの隣に腰を下ろして手を広げると、まくらちゃんはニコッとして起き上がった。

 さりげなくホッと息を吐いた氷室さんに目でお疲れ様と伝えると、慌てて真っ平らな真顔を取り繕って僅かに頷いた。


 起き上がったまくらちゃんは、私に背を向けて膝の上に座り込んできた。

 千鳥ちゃんよりも小柄だから、その体は私の前にすっぽりと収まってしまう。

 ふわふわな茶髪を少しくすぐったいと思いつつ、後ろから包み込むように抱き込んであげると、まくらちゃんは嬉しそうにニコニコと笑った。


 ふわふわと柔らかいまくらちゃんを抱きしめていると、まるで大きなぬいぐるみを抱いている気分になる。

 腕の中で収まりがいいのも相まって、抱っこするために存在しているかのような愛くるしさだ。

 無邪気に子供っぽくひたすら甘えてくれるのも、とっても保護欲が掻き立てられる。


 数日前まで、カルマちゃんというもう一つの人格を夢の中で抱いて、カノンさんと放浪していたまくらちゃん。

 元から明るくて元気だったけれど、前会った時よりもより溌剌になったような気がする。

 カルマちゃんに強制的に眠らされたりすることがなくなったからなのかな。


 そんなことをふと考えて、色々と聞かなければいけないことを思い出した。

 数日振りに会った二人には、聞かなければいけないことが、聞きたいことがありすぎる。


「カノンさん。それに、まくらちゃんも、かな。改めて、さっきは助けてくれてありがとう」

「当たり前のことをしたまでだ。気にしなくていいさ」


 爽やかで気の良い笑顔を浮かべて、カノンさんは軽やかに応えた。

 私の腕の中に収まるまくらちゃんは、なんだか嬉しそうにニコニコしている。


「カノンさんたちは、あれからどうしてたの? さっきの話だと、近くに住んでるみたいだったけど」

「ひとまずはこの世界に、この街にいることにしたんだ。向こうの世界に戻るには、なんつーか色々問題が残ってるしな。真宵田 夜子を通じてこっちの魔女のコミュティってやつの力を借りて、部屋を借りたり仕事を回したりしてもらって、何とか生活してるって感じだな」


 私が尋ねると、カノンさんは軽やかに応えた。


 まくらちゃんが魔女である以上、向こうの世界にいると魔女狩りに襲われるリスクがある。

 それに、魔法使いと魔女狩りの立場を捨ててまくらちゃんを連れているカノンさんも、決していやすい所じゃないんだ。


 それにしても、夜子さんが二人のこちらでの生活の手助けをしていてくれたなんて。

 確か氷室さんも、魔女のコミュニティを通じて生活をしているって言ってし。

 カノンさんたちもきっと同じようなことをしているってことなんだ。

 でもカノンさんは魔法使いだから、夜子さんが仲介になってあげているってことなのかな。


「住んでんのは、ここよりももっと街外れギリギリにあるボロ屋だけどな。まぁ落ち着ける場所があるだけマシだ。それに今の所、食うのには困ってねぇし」

「アリスお姉ちゃんたち、今度遊びに来てよ! 一緒のお布団で寝ようっ!」


 まくらちゃんが楽しそうににっこりしながら言う。

 カノンさんと二人での生活が楽しくてたまらないといった感じだった。

 そんなまくらちゃんを、私は頷きながらぎゅっと抱きしめてあげた。


「じゃあ、この街にいたからこそ、私たちが戦ってることに気付いて助けに来てくれたんだね」

「いや、まぁそうと言うとそうなんだが、ちょっとちげーんだ」

「…………?」


 頭を掻きながら言い淀むカノンさん。

 私が首をかしげると、小さく溜息をついてから真剣な面持ちに変わった。


「実はな、昨日の夜アタシたちの所に、ロード・ケインが来やがった」

「そ、それって……!」


 その名前には聞き覚えがある。

 先日シオンさんたちが魔女狩りの事情について色々教えてくれた時出た名前だ。

 魔女狩りを統べるという四人のロードの内の一人。そしてたしか、C9シーナインと名乗っていたカノンさんの直属の上司。

 そんな人が、カノンさんの前に……!?


「ロード・ケインは……かつての部下だったアタシを追って、こっちまでやって来やがった」

「じゃあ、もしかしてカノンさんを処罰する為に……?」

「違う。いや、まぁそういう意図もあったんだろうが、アイツの目的は違った。アイツは、ロード・ケインは、ワルプルギスにいる自分のスパイの手伝いをしろって、アタシに言ってきたんだ」

「……!?」


 ワルプルギスにいる魔法使いからのスパイ。

 そこから連想される人は、一人しかいない。

 ワルプルギスを裏切って、魔法使いと通じているだろうとレイくんに言われていた、アゲハさんに他ならない。


「あれ、でもじゃあ、カノンさんは私を────」

「バカ、そんなことあるわけねぇだろ。ロード・ケインはアタシに、そのスパイが何をしようとしているかまでは言わなかった。ただお前に何かしようって魂胆は見え見えだったから、もちろん突っぱねてやったさ。まぁお陰で殺されそうになったけどな」

「えっ!? 大丈夫だったの!?」


 一瞬嫌な予感が頭を過ぎってしまった私を、カノンさんはキッと睨んでたしなめた。

 それから大したことなさそうにとんでもないことを口にするものだから、私は思わず身を乗り出してしまった。


 ロード・ケインの実力そのものはわからないけれど、ロードなのだからロード・スクルドと同等の実力者のはずだ。

 そんな人に殺されそうだったというのに、どうしてそんな平然としていられるんだろう。


 焦る私をよそに、カノンさんは特にトーンを変えることなく言葉を続けた。


「流石にアタシも覚悟を決めたけどよ。何とか逃げられたんだ。まぁそれが、カルマのお陰なんだが……」


 そこまで言って、カノンさんは言いにくそうに苦笑いを浮かべた。

 カルマちゃん。そう、カルマちゃんだ。

 まくらちゃんの夢の中で生まれた、もう一つの人格であるカルマちゃん。

 それはこの間『真理のつるぎ』の力で消滅させたはずなのに。


「アイツが何で復活したのかは……多分アタシが説明するより本人から聞いた方がいいだろう。なんつーか、正直アタシもまだ戸惑ってんだ」


 訝しげな表情が全面に出てしまっていたようで、カノンさんは私を見てより苦笑い強めた。

 それから言いにくそうな顔をしてまくらちゃんを見ると、パチリと手を合わせた。


「悪いまくら。カルマの奴とくれるか?」

「いーよー! まくら難しい話わかんないし。それじゃあちょっと寝てるねー」


 申し訳なさそうに言うカノンさんに、まくらちゃんはケロッと答えた。

 替わるってどういうこと? と首を傾げている私に振り向いたまくらちゃんは、ふにゃっと柔らかく笑った。


「じゃあおやすみ〜」


 そう言うが早いか、まくらちゃんは私に抱かれたまま目を閉じて、そして体を傾けてきた。

 自立して座っていた体から力が抜けて、ぐにゃりと私に寄りかかってくる。


 不意のことに驚きながら、その体を支えるために慌ててしっかりと抱きしめた、その時だった。

 私の腕の中で収まっているまくらちゃんの体から、ボワンと煙が吹き出してその姿を覆い尽くした。


 この安っぽい演出のような煙を、私は知っている。と言うかさっき見たばっかりだ。

 カルマちゃんが不意に寝てしまってまくらちゃんに変わった時と同じ、狸が化けた時のような煙。


 嫌な予感、というか胸騒ぎを感じた時、もう事は済んでいた。


「夜だけど今起きたからおはようグッモーニーン! 変身系魔女っ子美少女カルマちゃん、元気いっぱい登場でーーーすっ!!!」


 私の腕の中に、大人しくて無邪気な女の子の姿は、もうなかった。

 まくらちゃんが身につけていた、シンプルなボーダー柄のラフなワンピースはもう無くなっている。

 身にまとうのは大きすぎる三角帽子と大仰なマント、そしてビキニのような露出の高いボンテージ衣装。


 私の膝の上に座り込んでいる女の子は、この一瞬でまくらちゃんからカルマちゃんに変わってしまった。

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