30 甘く見ていた

「ほーら大したことない。大口叩いた割に、なーんにもできないじゃない。ま、そんなことわかってたけどさ」


 身動きの取れない私に、余裕の笑みをニタニタと浮かべるアゲハさん。

 蝶の羽を優雅に揺らめかせながら、片腰に手を当てて私の前に佇む。


「今のアンタの力なんてそんなもんよ。この間みたいに始祖様の力まで引き出されたら、流石にたまったもんじゃないけどさ。絞りカスの今のアンタじゃ、私の相手なんてハナから無理ってわけ」


 手をヒラヒラと振って、アゲハさんは小馬鹿にしたような声で嘲笑った。

 でも、言われた通りだ。今のこれだけの攻防で、私たちは全く歯が立たなかった。

 魔法使いすらも圧倒する転臨した魔女の実力を、少し甘く見ていたのかもしれない。


「……千鳥ちゃん! しっかりして!」

「この期に及んで人の心配? ちょーウケるんだけど」


 地面に倒れこんでいる千鳥ちゃんに呼びかけると、アゲハさんは手を叩いて笑った。

 けれどそれでも構わず、私は声を張り上げた。


「千鳥ちゃん! 大丈夫!? 千鳥ちゃん!」

「…………っさいわね。聞こえ、てるわよ……」


 消え入りそうな声を上げながら、震える腕を地面に立てて千鳥ちゃんがゆっくりと顔をもたげた。

 けれど受けたダメージは大きようで、なかなか起き上がれずにいる。


「あぁ、千鳥ちゃん……! よかった……」

「人の心配してる場合!? アンタは今から死ぬのよ、アリス!」


 とりあえず千鳥ちゃんが意識を保っていたことに安堵していると、アゲハさんが金切り声を上げた。

 そして透かさず鋭い平手打ちが私の頰を殴った。

 身動きが取れない私はただされるがままに殴打を受け、打たれた頰が鋭い熱を持った。


「あー見てるだけでイライラする。アリス、アンタの友達ごっこは胸糞悪いのよ。アンタはもう、今ここで死ぬの。他人のことより、自分の心配をしなさいよ」

「……自分がピンチだって、友達のことは心配です。どんな時だって私は、友達の身を案じてる」

「意味わかんない。友達ごときに、どうしてそこまでムキになれるわけ? 友達なんて結局赤の他人なのに」

「赤の他人なのに、想い合えるから素敵なんじゃないですか。私は巡り会えて、仲良くなれた運命を大切にしたい。せっかく友達になれたんだから」

「…………!」


 アゲハさんは怒りに顔を歪めて舌打ちをした。

 刹那主義でその場の感情に付き従うアゲハさんにはわからないかもしれない。

 友達であろうとなかろうと、その場で楽しければ仲良くし、必要があれば殺してしまうアゲハさんには。


 でも、これが私の考え方で気持ちだから。

 せっかく出会えて、仲良くなって友達になったんだから、大切にしたい。

 この巡り合わせを大事にしたい。だから、大好きな友達には大好きの分だけ想いを込めるんだ。


「もういい。アンタと言い合ってても仕方ないもんね。だって、もう死んじゃうんだから!」

「やめて! やめなさい……!」


 声高々に叫ぶアゲハさんに、地に伏したままの千鳥ちゃんが吠える。

 けれどまだ体を持ち上げるまでには至っておらず、弱々しい叫びが夜の闇に溶けるだけ。

 そんな千鳥ちゃんを一瞥したアゲハさんは、嘲笑うように鼻を鳴らした。


「アンタはそこで大人しく見てなさい。アリスが死ぬとこをね」


 静かに言い捨てると、アゲハさんは私の顔に手を伸ばして頰を掴んだ。

 力強く指が食い込ませて、冷ややかな目で私を見る。

 けれどその表情はどこか優しげだった。


「ごめんねアリス。アンタ個人には別に恨みとかないんだけど。でも、これも仕方ないのよ。私にもさ、なんていうか、事情があんのよ」

「ワルプルギスを裏切って、私を殺してまで、何が……」


 私の問いかけに、アゲハさんは静かに微笑んだ。

 冷ややかな瞳で私を射殺さんばかりに見つめながら、口元をスッと釣り上げる。


「そ。他のものなんてどうでもいいの。レイやクロア、それにアリス、アンタもね。私は私の目的を果たすためならなんでもする。何を裏切って、何に与しても」

「アゲハさん。あなたは、一体……」

「……さぁ、なんだろうね。私のことも、別にどうでもいい」


 一瞬、とても寂しい目をした。

 けれどそれはすぐになくなって、射殺すような鋭い目に戻ってしまう。

 その変化はほんの一瞬で、見逃してしまいそうだったけれど。

 でも私は、確かにそれを見た。


「そんじゃ、終わりにしよっかアリス」


 ニカッと笑って、気さくに言い放つアゲハさん。

 まるで普段の人当たりのいい時のような表情。

 これから人を殺そうとしている人の顔とは思えない。


 それはアゲハさんが残忍だからできる表情なのか。

 それとも、もう既に割り切っているからなのか。


 それは私にはわからない。


 アゲハさんは私の顔から乱暴に手を放すと、数歩後ろに退がった。

 そして私を縛り上げる糸に向かって腕を広げる。

 アゲハさんから発せられる魔力が糸に満ち満ちて、これで細切れに縛り殺されるんだと容易に想像できた。


「バイバイ、アリス」


 猶予はなく、容赦もない。

 なんのも迷いもなくアゲハさんは腕を振り、それに従って糸たちが私を絞めあげようとした、その時────


「はーいタンマタンマタンマ〜〜〜〜! それ以上のお姫様への狼藉ぃ?は許さないぞぉー!」


 突如空から鋭い何かがいくつも降り注いできて、私を縛り上げている糸をことごとく切り裂いた。

 支えるものを失った私は地面に降ろされ、締め上げられていた体でなんとか倒れずにしゃがみこむ。

 そんな私の目の前に、黒い何かがドサッと着地した。


 それはどうやら人の形をしていて、立ち上がると私よりも小柄な頭の上に、大きなツバのついた三角帽子が乗っているのがわかった。


「お姫様をコロッと殺しちゃおうとする悪い魔女さんめ! ゆーるさないぞぉー! あれ、今のって正義のヒーローっぽかった? ん、ヒロインかな? まぁどっちでもいいや。カルマちゃんカッコイイ〜〜〜〜! イェイ!」


 黒いマントをはためかせ、三角帽子のとんがりをぴょこぴょこ跳ねさせて一人ハイテンションで叫び散らしたそれは、紛れもなくワルプルギスの魔女・カルマちゃんだった。

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