18 甘えさせて
しばらくの間そうやってお母さんに抱き締められながら泣き続けて、落ち着いてきたところでリビングに移動した。
お母さんは私をソファに座らせると、温かくて甘いココアを入れてくれて、一緒に座ってそれを飲んだ。
蕩けるような甘さが口の中に広がって、熱々な温かさがじんわりと広がった。
その甘さと温かさにホッと息をついて、私はやっと落ち着くことができた。
お母さんは何も聞いてこなかった。
私がどうして泣いたのか。何を頑張っているのか。何一つ聞いてはこなかった。
何も知らないはずなのに私が今思い悩んでいることに気づいて、盛大に泣いた後も追求はしてこない。
お母さんというものの懐の深さに、感嘆とするしかなかった。
それからしばらくは何の変哲もないお喋りをした。
何も聞いてこないお母さんは、私が言い出さない限りはその話題に触れないようにしているのか、普段のお気楽な調子で家を空けていた時の話をしてくれた。
聞かれてもやすやすと答えられることじゃないし、その心遣いは嬉しかった。
実は異世界のお姫様でしたとか、私の中には古の魔女が眠っているみたいとか、日々色んな人たちから狙われているとか。
そんなことなかなか説明できる話じゃないし。
「そうだそうだアリスちゃん。お昼ご飯まだでしょ? 久しぶりにお母さんが作ってあげましょー!」
「でも、帰ってきたばかりで疲れてるでしょ? 私が作るよ」
お喋りが一段落したところで、時計を確認したお母さんが言った。
ガバッと元気よく立ち上がって、腰に手を当てて得意げに笑う。
けれど私が声を上げると、拗ねたように口をとんがらせた。
「いーのいーの! たまにはお母さんらしいことさせてよっ!」
そう言うが早いか、お母さんはパチンとウィンクをして台所の方へと足早に行ってしまった。
自分で言うのも何だけれど、お母さんは子離れが全くできていない私にべったりな人だから、久し振りに帰ってきて世話を焼きたいんだろうなぁ。
ここは子供として素直にお母さんに甘えるべきかと、私はソファに体を預けながら懐かしいお母さんの台所姿を眺めることにした。
「ちょっとアリスちゃん。冷蔵庫の中スカスカだったんだどー」
ジト目でそう文句をこぼしながら、お母さんが用意してくれたのはサンドウィッチだった。
お母さんとしてはもっと腕によりをかけて料理を振る舞いたかったみたいで、とても不満げだった。
それでもこのサンドウィッチには色々手間をかけてあるように見える。
パンは軽くトーストしてあって、一枚一枚丁寧にマーガリンとマスタードが塗られているし。
挟まれている野菜類も食べやすいように丁寧に揃えられていて、マッシュされた卵も絶妙な潰し加減と味付けになっている。
「今日帰りにお買い物してこようと思ってたとこでさ……」
お母さんお手製のサンドウィッチを頬張りながら私は苦笑いをした。
正直なところ、ここ数日は食生活に気を使う余裕はあんまりなかったから、あるもので適当に済ませたりすることが多かった。
今日ちゃんと学校に行っていれば、放課後に買い物をしようとは思っていたんだけど……。
「まぁ高校生を一人置いて家を空けてるお母さんが言えることじゃないけど、あんまり買い食いや外食で済ませちゃだめだからね? アリスちゃんはちゃんとお料理できるんだから」
「うん、わかってるよ」
何でもない普通のお小言を言われるのがなんだか嬉しかった。
ここには普通があるって、何気ない日常があるってそう思えて。
きっと緩い顔をしているだろう私の顔を見て、お母さんは眉を下げた。
元々怒っているわけでもないし、私の態度に毒気が抜けてしまったようだった。
二人でわいわいお喋りをしながらの食事は新鮮だった。
食べる時は大抵一人だったし、人と食べるのは学校のお昼休みくらいのものだった。
晴香や創が来てくれたり、家にお呼ばれすることはあったけれど、でも私は一人で食べることに慣れていた。
お母さんと一緒にお母さんの作ってくれたご飯を食べるのって、こんなに楽しんだ。
さっきケーキを二つも食べてきたことなんて気にもならずに、ペロリと平らげてしまった。
食べ終わった後でお腹の苦しさに気づいて、食べ過ぎたことを後悔した。
だって久し振りのお母さんの手料理に手が止まらなかったんだもの。これがお袋の味の威力なのかもしれない。
「ねぇねぇアリスちゃん! 甘えさせてー!」
ご飯の片付けを終えたところで、急にそんなことを言い出したお母さん。
台所から戻るや否や、先にソファに座ってきた私に飛びついてきた。
「えー。それって普通逆じゃないの? お母さんが娘に甘えさせてくれるものじゃないの?」
「だってお母さんも甘えたいもん。可愛い娘に甘えたいもーん」
まるで子供のようにただをこねる。
四十歳のいい歳をした大人とは思えないわがままっぷりだ。
一緒にいられなくて寂しかったのは私だけじゃなかったんだなって思って、私は自然と笑みがこぼれた。
「もー仕方ないなぁ。ちょっとだけね」
「やったー! アリスちゃん大好き愛してるぅ!」
私が渋々という体で頷くと、お母さんは大げさに万歳して笑った。
そして私のリアクションが間に合わないスピードで体を倒してきて、その頭をポンと私の太ももの上に横向きに乗っけた。
まさかの膝枕かと思いつつ、ふわふわと毛量の多い頭を撫でてみると、お母さんは気持ちよさそうに息をこぼした。
「アリスちゃん、お母さんいなくて寂しかった? ちなみにね、お母さんはアリスちゃんに会えなくて寂しかったよ?」
「そりゃあまぁ、寂しかったよ」
先手を打たれてしまっては寂しくないなんて言えない。
でも実際寂しかったわけだし、さっき胸を借りてわんわん泣いた手前、強がって嘘言う必要もない。
私が素直に答えると、お母さんはクスリと笑った。
「まぁでもアリスちゃんには友達多いからねぇ。お母さんなんかいなくても平気だったんじゃないの? ほら、創くんや晴香ちゃんも側にいてくれてるし……」
「もう、なんでそんなこと言うのさぁ」
ちゃんと素直に答えたのに意地悪を言ってくるお母さん。
反撃とばかりに頭をぽかぽかと叩く。けれどお母さんはそれに何の反応も示さなかった。
「……お母さん?」
「え、あ、ごめんごめん」
改めて声をかけてみると、お母さんはハッとして慌てて笑顔作った。
少しぼーっとしていたみたいだし、見かけによらず結構疲れているのかもしれない。
膝枕で横になって眠気が襲ってきたのかな。
「お母さん疲れてるんじゃない? 長旅の仕事だったんだし。少し休んだら?」
「……うーーん、そうかも……? お言葉に甘えてちょっとお昼寝しようかなぁ。アリスちゃんの膝の上でね!」
「足痺れちゃうから寝るならちゃんとベッド行ってねー」
「えー冷たーい!」
お母さんはぶーぶーと不満を溢しながらもシャキッと起き上がった。
いつも通りの賑やかな笑みを浮かべつつも、でもやっぱり疲れがあるのかほんの少しだけぎこちない気がした。
「もっとアリスちゃんと色々お喋りしたかったんだけどなぁ」
「後でもできるでしょ。それに、しばらくは家に居られるんでしょ?」
「それも……そうだねっ!」
お母さんはニカッと笑って頷くと、ぴょんとソファから立ち上がった。
そのいつも通りの元気さになんだか安心して、やっぱりお母さんがいてくれるのは幸せだなぁなんて改めて思った。
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