17 子供のように
やっぱり流石に家の前まで送ってもらうのには抵抗があったから、近くまで来た所でここまでで、と断った。
もしかしらそれでも食い下がってくるかと思ったけれど、クロアさんは意外にもあっさりと頷いた。
ここまで一緒にいられたことに満足してくれているようで、ニコニコと温かい笑みで見送ってくれた。
さっき垣間見えたねっとりとした感覚は、もう無くなっていた。
あれは勘違いだったのかと思うほどに。けれどあの時私に向けてきた執着とも言える感情は、確かに私にねっとりと絡みついてくるものだった。
ワルプルギスの目的、考え方は教えてもらったけれど、クロアさんが何を考えているのかはあまり見えてこなかった。
リーダーのホワイトの考えやレイくんの動きに付き従っているように見えるのに、でもさっきの発言はワルプルギスの方針とは異なっていた。
まるでワルプルギスが掲げる目的よりも、私個人のことを優先しているかのように。
でもあまり深く考えても仕方がない。
クロアさんのことよりも、今の私には色々と考えなきゃいけないことがあるんだから。
少なくとも大きく害をなしてきそうにはないから、考えるのは後回しだ。
「あれ、開いてる……」
平日の昼間、それも正午頃に家に戻るものなんだか変な感じだと、そんなことを思いながら家まで帰ってきた時だった。
ぐるぐると回る頭を抱えながら、取り敢えずは家に入って落ち着こと鍵を差し込んだ。
けれど予想していた抵抗感はそこにはなくて、すかっと鍵は空回った。鍵が開いていた。
確かに半ば取り乱しつつ家を飛び出したけれど、最低限のことはしたはずだ。
鍵だってちゃんと閉めて家を出たはず。なのにどうして……?
まさか空き巣にでも入られたのか。もしくは魔法使いや魔女の招かれざる客が侵入してきたのか。
不吉な予想が頭をよぎって血の気が引き、私は慌てて扉を開いた。
そこにあったのは────
「おっかえりマイドーター! そしてたっだいま私ー!」
大手を広げて満面の笑みを浮かべるお母さんの姿がそこにあった。
ビシッとレディーススーツを着こなしながらも、所々緩やかに着崩していて、長い髪はいつもと変わらず奔放にふわりと流している。
今ちょうど四十歳とは思えないくらい若々しく、そして何より子供っぽく溌剌に笑顔を浮かべる様は、紛れもなく私のお母さんだった。
「おかあ、さん……?」
「なになにぃ? ちょっと家を空けてただけでお母さんの顔忘れちゃったの? ちょっと酷くない? お母さんショック……」
全く予想だにしていたなかったお母さんの登場に私はついていけなくて、項垂れるお母さんを目を点にして見つめた。
それが本気で落ち込んでいるわけじゃないことはわかる。
基本自由人で奔放でおちゃらけているこの人は、常にこんなふうに騒がしい。
いい大人だっていうのに、私に構って欲しくて仕方がないお子ちゃまなんだ。
花園
私が高校に入学してからは、家を長期間空けて仕事に出てしまうことが多くなってしまってなかなか会えないでいた。
そういえばこの間電話した時、もうすぐ帰ると言ってはいたけれど、こんなにすぐだなんて。
「お母さん……おかえりなさい」
いつもと全く変わらないお母さんの様子を見て、私はなんだかものすごくホッとしてしまった。
ここ数日私の身に起きている、非現実的でめちゃくちゃな出来事が全部嘘に思えてしまうくらいに、お母さんの存在が私の心をどっぷりと満たしてくれる。
「たーだーいま。ほらほら、早く上がって上がって」
絞り出すように言った私に、お母さんはにっこりと微笑んで返してくれた。
その笑顔は誰にも真似できない本物の母の笑顔。
温かくて、強くて、優しい笑顔。見ると心から安心できるお母さんの笑顔だった。
私は慌てて靴を脱いで、綺麗に揃えるのも億劫で放り捨てた。
カランと乾いた音と共に靴が玄関に散乱するのを気に止めず、鞄を適当に放ってお母さんに抱きついた。
どんと突っ込むように身体を委ねた。
ふんわりと温かくて、それでいてしっかりと受け止めてくれる力強さがそこにはあって、私はそれに埋もれるようにきつく腕を締めた。
大きく息を吸ってみれば、私のよく知るお母さんの匂いが鼻腔をくすぐって、更に私の心は安心で満たされた。
「もうどうしたの? アリスちゃんそんなに甘えん坊さんだったっけ? そんなにお母さんに会いたかったかぁ。照れちゃうなぁ」
そんなちょっとふざけたことをとっても柔らかな口調で言うものだから、なんだか余計に甘えたくなってしまう。
私を優しく抱き返してくれるその腕は、私を守ってくれているかのようでとても頼もしく思えた。
ずっとずっとこうしていたくて、私は夢中でお母さんに抱きついた。
お母さんもそれを放そうとはしなくて、私が抱きしめる限り同じように私を抱きしめてくれた。
お母さんがいない日々にはもう慣れていたはずなのに。
感じる寂しさはあくまで日常的なもので、どうしようもないものではなかったはずなのに。
でも今は、少しでも強く、確かにお母さんの存在を感じたかった。
「アリスちゃん、なんだか大人になったね」
甘えまくっている私のことを抱きしめたまま、お母さんはポツリと言った。
その声は普段のお気楽なものよりは少し引き締まって聞こえた。
「お母さんがいない間、一人でたくさん頑張ったんだね。えらいえらい」
「そんなこと、ないよ。私、一人じゃ何にもできないから。いつも誰かに、友達に助けてもらってる」
「助けてって言うのも案外勇気がいるものだよ。それに、頑張っていない人を助けてくれる人なんていない。アリスちゃんがちゃんと頑張ってるから、あなたの友達は助けてくれるんだよ」
私のことを助けてくれる友達は、私が諦めないから力を貸してくれているってことなのかな。
私が逃げないから、立ち向かおうとしているから。
私は私なりに、頑張れているのかな。
「アリスちゃんはよく頑張ってるよ。それはアリスちゃんの顔を見たらすぐにわかった。大丈夫、アリスちゃんはちゃんとやれてるよ」
「どうして、わかるの……?」
ずっとずっといなかったのに。
私が何をしてきたのか何にも知らないのに。
どうしてそんなに自信たっぷりに言えるの?
「そりゃわかるよー。だって、アリスちゃんのお母さんだもんねっ」
私のことを一段とぎゅっと抱きしめて、お母さんはニィっと笑うように言った。
見なくてもその顔が小気味な笑みを浮かべているだろうことは想像がついた。
「だからねぇ、色んなことわかるよ。どうせアリスちゃんのことだからずっと我慢して泣かなかったでしょ? 泣いたらダメだって思ってさ」
「だって、私が泣いたら……」
私が泣いたら周りのみんなを困らせてしまう。
私のために戦ってくれている人たちが、私を守ろうとしてくれている人たちが、困ってしまう。
だから私は、どんなに辛いことがあっても泣かないようにしてきたんだ。
「女の子なんだから、泣きたい時は泣いておきなさい。大丈夫。アリスちゃんの涙を迷惑に思う人なんて、あなたの周りにはいないから」
「でも、私……」
「いいからほら、泣いちゃえ〜」
お母さんは私をぎゅぅーっと強く強く抱き締めて、その胸にぐいっと押し付けた。
強く優しく全てを包み込むように抱き締められて、その温かさと柔らかさに満たされて、今まで張り詰めていたものが一気に解けたような気がした。
理不尽に訪れた非現実。理解が追いつかない不可思議な真実。ぶつけられる感情と勝手な思惑。迫り来る恐怖と果てのない悲しみ。
何度も経験した身の危険。私のために傷ついた友達の痛み。
身に覚えのないことに対して叩きつけられた様々な感情。
掛け替えのない、大好きな晴香の死の悲しみ。
ここ数日で私に降りかかってきた様々な事柄と、それによって駆け巡った私の感情が一気に溢れかえってきた。
お母さんの腕が全てを包み込んで、私の心すらも優しく
だから私はもう涙が堪えられなくなって、声を上げて泣いてしまった。
まるで小さな子供のようにお母さんに縋って、わんわんと泣いてしまった。
今まで溜め込んできた感情を全て吐き出すように、泣いた。
お母さんはそんな私を、ただただ優しく抱き締めてくれた。
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