42 考え方の違い

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「いったぁ……夜子さんめ、なんてことすんのよ」


 夜子によって遠くへと投げ出された千鳥は、地面につんのめった体を悪態をつきながら持ち上げた。

 不意打ちのような投げ飛ばしと強力な強制力で体を持っていかれた千鳥は、体勢を立て直す余裕もなく吹き飛ばされたのだった。


「…………」


 そして同じく夜子によって放り投げられた氷室は、しかし千鳥とは違い着地直前に地面に打ち付けられることを回避していた。

 校庭の土にまみれて起き上がる千鳥とは違い、氷室は綺麗な出で立ちのまま自らの足で着地していた。


 ぶつくさと文句をこぼしながら立ち上がる千鳥を尻目に、氷室はすぐさまアリスの元へ戻ろうと足を向けた。

 しかしその瞬間、つんざく雷鳴と共に眩い電撃が眼前を通過し、氷室は足を止めざるを得なかった。

 電撃が発せられた方を見てみれば、身体中から放電している千鳥が口をへの字に曲げながらこちらを見ていた。


「悪いけど、アンタを向こうには行かせらんないから。無理矢理任されたとはいえ、アンタを足止めするのが私の役割だし」

「…………」


 どこか不満を滲ませながら、千鳥はぼやくようにそう言った。

 その言葉に対して向けられる氷室の鋭い視線に怯みそうになるも、眉をぎゅっと寄せて堪えた。


「…………」


 氷室は千鳥へと向きながらも、横目でアリスの方を見やる。

 あちらには善子がいるとはいえ、相手は真宵田 夜子だ。

 一筋縄でいく相手ではないのは当然のこと、敵に回れば危険極まりない相手だ。

 しかし目の前で構える千鳥を素通りして向かえるはずもなく、氷室は小さく唇を噛んだ。


「まぁ安心しなさいよ。夜子さんはアリスを殺すようなことはしないって。多少痛い目は見るかもだけどさ」

「…………」

「それにアンタ的にはアリスが無事ならそれでいいんじゃないの? アンタがあの晴香って子に思い入れがあるようには見えなけど」

「…………」

「ねぇちょっと! 何か言いなさいよ!」


 無感動で静かな視線を向けるだけで何もリアクションを取らない氷室に、千鳥は我慢ならずに喚き声を上げた。

 しかしそれでも氷室は言葉を発せず、千鳥のそんな様子を観察するような視線を向ける。


「はいはいそうですか。私とは別に話す気はないってことにね。アンタが無口なのは知ってるけどさ、ちょっとくらい何か言ってくれてもいいじゃん」


 千鳥は重い溜息をつきながら不満を露わにした。

 そんな様子に氷室は僅かに目を細める。


「まぁいいけどさ。でもアンタも本当はわかってんでしょ? このままあの子を放っておくより、今の段階で殺してあげた方がいいってことくらいさ。でもアリスがそれを拒むからアンタも戦う。ホント、アリスのこと好きねぇ」

「…………」

「アリスがいい子だってことは私もわかってる。だからできる範囲で手を貸してあげてもいいって思ってる。でもさ、私はともかく、夜子さんを敵に回してまであの子の肩を持つ必要ってあるわけ?」


 千鳥は臆病で保身的だが、それはつまるところ現実主義だからだ。

 損得勘定というよりは、より安全に生きる道を合理的に考える。

 何に従い何に逆らい、どう潜り抜ければ自分が無事に生きていけるのか。

 自分の気持ちや一過性のものよりも、より現実的で理にかなう選択をする。


 そんな千鳥にとって、何よりもその場の気持ちを大切にするアリスや、個人を想う気持ちを優先する氷室の行動原理は理解し難かった。

 合理性に欠ける。とても現実的ではない。そんな思いが先立って、千鳥にはなかなかそんな真似はできない。


「アリスがお姫様だから守らなきゃいけないのはわかる。でも今のこれはそういう問題じゃないし、そもそもアンタがアリスを守るのって、そこが理由じゃないでしょ? それがいまいち理解できないのよね」


 一見氷室の方こそ、物事を冷静に判断し合理的な道を選ぶように見える。

 その無感動に見える表情や、冷静沈着な佇まいはまさしくそう言った人間を感じさせる。

 そして実際、多くの場合氷室 霰という少女は確かにそういった行動をする。


 しかし、アリスが関わると途端に全てがそこに寄る。

 その冷静さも賢明さも合理性も、全てアリスを想うことに割かれる。

 それがどうしても千鳥には理解できなかった。


「私は……」


 そしてようやく氷室は口を開いた。

 返答が来るなど予想していなかった千鳥は、少し面食らったように目を見開いた。


「私は、花園さんを守ると約束した。だから私は、何があって花園さんを守る」

「そんなことはわかってんのよ。そうじゃないんだって、私が聞きたいのはさ。今はそんな時じゃないでしょ?ってこと。 あの晴香って子を差し出せばそれで万事解決なんだから。わざわざ戦う必要なんてないことくらい、アンタだってわかるでしょ?」

「……それは、花園さんを守ることではない、から。それでは花園さんの身は守れても、心は守れない。花園さんには、雨宮さんが必要。なら私は、花園さんが守りたいものを守ることで、花園さんの心を守る」

「意味、わかんないわ……」


 淡々と紡がれる氷室の言葉に、千鳥は頭に手を当てた。

 そこまでする必要があるのかと、千鳥は思ってしまう。

 飽くまで他人である氷室が、そこまでアリスの心を慮る必要が果たしてあるのかと。


 しかしそれはどうしようもない価値観の違い。

 最終的には自分が一番可愛い人間と、自分よりも大切な人を想える人間と。

 どちらがより良く正しいか。そんなものに答えはない。

 絶対的な正義が存在しないのと同じように、その違いにもまた成否はなく、ただひとえに在り方の違いなのだから。


「まぁ、私がこんなこと聞いても仕方ないけどさ。でも、一応聞かせてよ。アンタ、どうしてそこまでアリスのことが大事なわけ?」


 それは姫君の守護ではない。

 氷室がアリスを守るのは個人的な感情故だ。

 ならば、そこまで想う所以があるはずだから。


 千鳥の問いに、氷室は抑揚のない平坦な声で、しかし確かに想いのこもった言葉で短く答えた。


「彼女が、私を友達と呼んでくれたから」

「っ…………!」


 それは、やはり千鳥には理解し難い理由だった。

 友達。それは千鳥もアリスに言われた言葉であり、確かにその言葉と想いは少なからず彼女の心を軽くした。

 しかしそれだけを理由に自分の全てを投げ打てるかと言われれば、千鳥は首を横に振る。


 確かに友達という存在は心強く、それ故に思い入れもでき、力を貸したいと思える。

 時にはそれに絆されて、自分らしくないことをする時もあるだろう。

 つい先日の戦いで、まさに千鳥はそれをした。


 しかしそれは気の迷いのようなもので、それを主軸に据えることはできない。

 その言葉一つで、他人のために全てを懸けるなんてできない。

 友達という繋がり一つで、数多の危険を顧みないなんて、そんなことは千鳥にはできなかった。


「彼女が私を友達と呼んでくれる限り、私はあらゆるものから彼女を守る。例え、何が相手でも」

「……あっそ。霰さ、アンタってなんていうか、見かけによらず感情的なのね。顔に全く出さないからさ、ちょっと意外だった。まぁわかってたといえばわかってたんだけど」


 千鳥は再び重い溜息をついて肩をすくめた。

 そしてゆっくりと一歩足を前に出す。

 それを見た氷室は少しだけ警戒を強めた。


「つまり、アンタは私がいくら引き止めようとしてもあそこに飛び込んでいきたいんでしょ? だったらもう、力づくで止めるしかないじゃんね!」


 千鳥にも立場がある。そこからくる役割がある。

 ただアリスの気持ちを思えば味方もしたくなるだろうが、それを押してでもやらなければいけないことがある。

 だから今は戦わなければならない。アリスの味方をする氷室をここで食い止めることこそが、彼女の役目だから。


 自分を鼓舞するように声を上げ、帯電させていた電気の出力を上げる。

 冷たく乾いた空気の中で、光を伴って雷が弾ける。

 その目の覚めるような金髪と相まって、まるで千鳥自身が発光しているかのように煌びやかに光を放っていた。


 臨戦態勢を整えた千鳥に氷室も身構えた。

 側から見ればただ佇んでいるように見えて、その内側は一瞬たりとも気を抜いてはいない。

 静かに息を整えて、電撃が弾ける千鳥を見据えていた。


「アンタのこともアリスのことも嫌いじゃないし、私だって友達だって思ってるけどさ! でもやんなきゃいけない時があんのよ! だから、恨みっこはなしだからね!」


 落雷の如き轟音と共に、光速の電撃が今まさに千鳥から放たれようとした、その時だった。

 一瞬にして周囲の熱が消えていき、空気が地面が冷え切った。

 その刹那の移り変わりを千鳥が知覚する前に、既に彼女の周囲には氷の柱が連なって伸びていた。


 瞬きの間に千鳥を取り囲むように創り出された氷の柱たちは、彼女が電撃を放つ前にその中心に集結するように寄せ集まった。

 それは氷の柱によっる幽閉。囲い覆うように集った柱は隙間もなく千鳥をその中心へと押し込め、氷の牢獄を作り上げた。

 そして円のように柱が連なり閉鎖したその空間に蓋をするように、上空に創り出された巨大な氷の塊が落下した。


 一瞬の間に創り上げられた氷の牢獄は、静寂の中に冷たく佇み、その内に全てを飲み込んでいた。

 残るのは、無表情で白い息を吐く氷室のみ。

 内側に収められた千鳥の声は、聞こえなかった。

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