34 わかり合えない時

「アリスちゃん。ちょっと僕の目を見てくれるかい?」


 レイくんに連れられるままにホテルを出てしばらく歩いた頃。

 街外れから駅の近くまで来た辺りで、レイくんが唐突に言った。


 私は特に考えず、言われるがままにその目を見た。

 柔らかくも鋭さを感じさせる瞳と目が合った瞬間、ほんの一瞬だけれど僅かな眩暈を感じた。

 私は思わずレイくんの腕にもたれかかる。

 けれどその眩暈は本当に一瞬で、すぐに気分は元に戻った。


「レイくん、何かした?」

「ごめんねアリスちゃん。簡単な暗示をかけさせてもらったよ」

「暗示?」


 体を離して問いかけてみれば、レイくんは申し訳なさそうに眉を潜めた。


「僕らの住処を君が認識していると、敵に知られてしまう恐れがあるからね。僕らが誘わない限り、君自身もあの場所を認識できないようにさせてもらったよ」

「私が、レイくんたちの居場所を喋るかもってこと?」

「違うんだ。ごめんごめん。誤解させちゃったかな」


 そのつもりはなかったけれど、咎めているように聞こえたのかレイくんは慌てて言った。


「僕が気にしているのは、君が思考を読み取られたり記憶を覗かれたりした時の場合だよ。アリスちゃんが自ら僕らに仇なすことをするとは思っていないよ。ただ、君自身は普段魔法に対する耐性は低いからさ。用心に越したことはないんだ」


 言われてみればそうだ。

 私自身は自分からワルプルギスを攻撃したり、魔法使いに居場所を教えようとは思わない。

 けれど魔法使いや敵対する勢力のようなものが、私から情報を引き出そうとする可能性は否定はない。


 それに、別にこれから私が自ら望んであそこに訪れることはないだろうし。

 あの場所がどこかわからなくなっても別に困らないだろうな。


「ねぇ、レイくん」


 レイくんに手を取られてまたしばらく歩いていた頃、私は口を開いた。

 レイくんはにっこりと優しい笑みを向けてくる。


「レイくんは、透子ちゃんのこと知ってるんでしょ?」


 ホワイトと会った時の夜。レイくんは確かに透子ちゃんの名前を口にした。

 夜子さんも、透子ちゃんはワルプルギスとなんらかの関わりを持っていたようだと言っていたし。

 ずっと気になっていたことを、聞いてみようと思った。


「……あぁ。アリスちゃんは透子ちゃんに助けられたことがあるんだったね」


 私の言葉にレイくんは特に顔色を変えることなく、微笑んだまま答えた。

 よく知る友達の話をするような気軽さだった。


「透子ちゃんのことは……知っているよ。彼女はワルプルギスに属してはいなかったけれど、似たような志を抱いていたからね。特に姫君に対して、つまり君に対しての執着は強かった。だからこそ君が魔法使いの襲撃を受けた時、身を呈して助けに入ったのさ」

「私は、あの時透子ちゃんにとっても助けてもらったのに、何もできなかった。私は透子ちゃんのこと何も知らないまま、どうして私のことを助けてくれたのかも、結局わからなくて……」


 私のために傷つくことを厭わなかった透子ちゃん。

 彼女が助けに来てくれなければ、きっと今私はここにいない。

 けれど透子ちゃんはあれから眠ったまま目を覚まさない。

 だから、彼女が何を思って、どうしてそこまでして私を守ってくれたのか。それを知ることができなかった。


「それを僕の口から説明することはできないなぁ。確かに彼女と交流はあったし、似たような思想を持ってはいたけれど、透子ちゃんは僕らにその胸の内を明かしたことはなかった。でも一つだけわかるのは、透子ちゃんが君を助けたのは、ただ君が姫君だったからというだけじゃなくて、彼女自身にとって君が必要な存在だったから、ということだね」


 もしかしたら、透子ちゃんもまた過去の私と何か関わりがあったのかもしれない。

 私が覚えていない、お姫様と呼ばれていた頃に。

 全てを忘れてのうのうと過ごしていた私のためにあそこまで戦ってくれたのは、もしかしたらそういう繋がりがあったからなのかもしれない。


「透子ちゃんの気持ちは透子ちゃんにしかわからない。だからその思惑は推し量るしかないけれど。でもアリスちゃん。もし透子ちゃんの気持ちが、君の思うものと違ったらどうするんだい?」

「え?」


 唐突に問いかけに私はただレイくんの顔を見つめた。

 レイくんは優しく微笑むと空いた方の手で私の頭を撫でた。


「透子ちゃんに限った話じゃないよ。君は人に寄り添うことのできる子で、友達を作るのがうまく、相手に厚い信頼を寄せることのできる子だ。けれど、君が友達と呼ぶ人たちと気持ちが通じ合わなかったり、意見が食い違ったり、ぶつかってしまった時、君は一体どうするんだい?」

「え? そ、それは……」


 そんなことを具体的に考えてことはなかった。

 もちろん今まで友達と喧嘩をしたことがないわけじゃないけれど。

 でもそこまでかしこまって考えたことなんてなかった。


「私は、友達ならまず話し合ってわかり合える場所を探すよ。相手が何を思ってどうしたいのかわからないと、何もできないでしょ?」

「実に君らしい答えだね。それじゃあ、どんなに話し合ってもそれでも糸口が見つからなかったら? 平行線のまま交わることなく、どうしようもなくぶつかるしかない時は、君はどうする? 大切な友達と、どう向き合う?」

「そうなこと……」


 その時になってみないとわからない。

 けれど、レイくんがそんな言葉を求めているわけではないことくらいわかる。

 それに、それは今実際私の身に降りかかってもおかしくないことだ。


「その時はきっと、まっすぐ正面からぶつからないといけないんだと、思う。どうするのが正しいのかなんて私にはわからない。でも、そこまでわかり合えないのなら、後はもうぶつかるしかないんじゃないのかな。ぶつかって、ぶつかり尽くして、お互いの想いを伝え合えば、きっと何か答えが見えてくるかもしれない」

「それが例え、お互いの命を奪うことになっても?」

「そんなことは、私はしたくないよ。でも、友達なら目をそらしちゃいけないと思うんだ。わかってもらいたいなら、わかりたいと思うなら、傷付くことを恐れちゃいけないんだと思う」


 正解なんてわからない。

 まだまだ子供の私には、そんな時どんな行動をとることが正解かなんて知らない。


 けれどそれが敵じゃなくて大切な友達ならば、私は最後まで向き合いたい。

 傷付くことを恐れずに、そして傷付けることだって恐れちゃいけない。

 わかり合いたいと思う友達には、時として容赦をしてはいけないと、私は思う。


「そうか。やっぱり君は、強いんだね」


 レイくんは微笑んだ。

 でもそれはいつもの優しい笑みとは少し違って、どこか寂しさを含んでいるように見えた。


「透子ちゃんは、私にとって良くないことを考えているの?」

「さぁ、どうだろう。僕には何も答えてあげられないなぁ。意地悪をしているわけじゃなくて、わからないからね」

「じゃあ、レイくんが……?」


 レイくんが私にそんな質問をしたことには、絶対的に意味があるように見えた。

 それはつまり、私の気持ちや考えとは反するものが、どこかにあるということ。


「さぁ、どうだろうね」


 レイくんはニコリと微笑んだだけで答えようとはしなかった。

 追求しても、きっと何も答えてはくれないだろう。


 人の数だけ考えがあって、気持ちがあって、正義がある。

 どれか一つだけが絶対に正しいなんてことは、きっとないんだ。

 だから私の意思と合わない考えや気持ちを抱く友達がいたって、それは十分にあり得ること。


 それはつまり、私を守ってくれる人が必ずしも私のためになることを考えているとは限らないということ。

 そして同時に、私に仇なす人が私に悪意を抱いているとは限らないということ。


 何が正しいかなんて、きっと誰にもわからない。

 だから私にできることは、一人ひとりときちんと正面から向き合うこと。

 その相手が大切な友達ならば尚更、何があったって逃げない。


 今の私にできることは、きっとそれたけだ。


 レイくんはそれ以上その話を続けようとはしなかった。

 何事もなかったかのようにとりとめのない話をしながら、残りの道を歩いた。


 結局家の前まで送ってもらって、闇の中に去っていくその背中を見送ってから私は家に入った。

 忍足で部屋に戻ってみれば、晴香は変わらず穏やかに眠っていた。


 寒い外に出て身体は完全に冷えてしまっていた。

 温かいシャワーでも浴びたかったけれどそれも面倒で、私はそのままベッドに潜り込むことにした。


 晴香を冷やしちゃ悪いと思ってあんまりくっつかないように気をつけたけれど、シングルベッドの狭さではそれも難しくて。

 私がベッドに入ったのをわかったかのように、晴香がもぞもぞと抱き着いてきたので、私はそれを甘んじて受け入れた。


 晴香の温もりと香りに包まれながら、私は巡る思考を押し殺してもう一度眠りにつくことにした。

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