35 氷と炎の夢

 また、夢を見た。

 夢だと明確にわかる夢を見た。

 今度は誰かが見ている夢ではなくて、私自身が見ている光景だということがわかった。


 そこは一面氷に覆われた場所だった。

 足元に広がるのは分厚い氷の地面。

 まるで海の水を全て凍らせたらこうなるのでは、と思わせるような見渡す限り一面の氷だった。


 そして周囲には氷でできた木々が生えている。

 樹木が凍りついているのではなく、気を模した氷細工のような、完全な氷だ。

 地面には木だけではなく草や花も生えていたけれど、それともまた氷でできていた。


 少し遠くに見える大きな山も透き通るような水色で、きっとあれも氷でできているんだろう。

 とにかく見渡す限り、全てのものが氷でできていた。


 雪国のような印象だったけれど、きっと北欧とかの北国へ行っても、ここまでの氷景色は流石に見ることはできないんじゃないのかな。


 空は澄み渡った快晴で、暖かな日差しが降り注いでいる。

 けれどここにある全ての氷に溶ける節はなかった。

 全てが氷でできているこの場所だけれど、辛さを感じさせる寒さはなかった。

 ただ澄み渡った爽やかさを感じるだけだった。


 そんな氷の世界の真ん中に、これまた氷でできたドーム状の物があった。

 人一人が入ってそれでおしまいくらいの、かまくらみたいな穴蔵のようなもの。

 その中から一人の人が出てきた。けれどその人は淡い水色の光に包まれていて、その姿を見ることはできなかった。

 私にはなんだか氷の精のように思えた。


 そこは家だったのか、ドームから出た氷の精はその傍に座り込んで、ぼーっと遠くを眺めていた。

 穏やかに一人でその静寂を楽しんでいるみたい。

 氷で埋め尽くされた、全ての動きの停止した世界で、その静けさに浸っているようだった。


 きっとそれが氷の精の日課みたいなものんだろうなと、漠然とそう思った。

 氷の精にとって、この静かな世界で穏やかな時間を過ごすことが楽しみなんだと。


 けれど唐突に、轟々と何か熱いものが降ってきた。

 一瞬太陽が落ちてきたのかと思ってしまうほどに、空から降ってきたものは炎に包まれた塊だった。

 炎の塊はドームの傍に落下して、あっという間に周囲の氷が解け出した。


 炎の塊の中から現れたのは、氷の精と同じように赤い光に包まれている人だった。

 あれは炎の精なのかもしれない。

 唐突な来客に戸惑う氷の精の周りを、炎の精はぐるぐると周った。


 すると周囲の氷はどんどんと解けていき、氷のドームも跡形もなく解け去った。

 氷は解けて水になり、それすらも蒸発していく。

 そして代わりに地面は炎に覆われて、草木も炎の花を咲かせたように燃え盛った。

 氷で埋め尽くされた世界は、あっという間に炎に包まれた世界に変貌してしまった。


 残ったのは氷の精だけ。

 しかしここにはもう氷の精の居場所はなかった。

 炎の精は、氷の世界を失い弱り切った氷の精を掴むと、おもむろに遠くに向かって放り投げた。


 それはたまたまか、私がいる方だった。

 いや、これは私が夢としてみているだけだから、ここに私の体があるわけではないんだろうけれど。

 でも投げ飛ばされた氷の精は、まっくすぐに私の方に飛んできた。

 私は思わずそれを受け止めるように手を広げようとして、でもそんな体はなくて。


 氷の精が私にぶつかった、ような気がしたところで視界はブラックアウトした。


 次の瞬間、私は何もないまっくらな場所にいた。

 さっきまでいた氷の世界も、その後の炎の世界もなかった。

 何もない、ただ真っ暗な場所だった。


 けれどそんな暗闇の中で、小さな淡い水色の光がゆらゆらと揺れている。

 それはきっとさっきの氷の精で、けれどもう人の形はしていなかった。

 光の玉のように、野球ボール大の大きさで揺らめいている。


 氷の精は闇の中を彷徨いながらゆっくりと私の元までやってきた。

 今度は体があるように感じた私がそっと両手を目の前に広げると、その中に収まるように氷の精は降りてきた。


 私の掌の上に落ち着いた氷の精は私に向けて瞬いた。


『────────』


 何かを喋った。何かを語りかけてきた。

 でもその声は遠くてよく聞こえない。

 心に直接語りかけてきているように、光が瞬く。


『────アリス、ちゃん』


 ようやく、少しだけ聞き取ることができた。

 とても落ち着いた、弱々しい声。

 でもそれはとても澄んでいて清らかさを感じさせた。


『────アリスちゃん』


 もう一度の呼びかけで、私はその声に聞き覚えがあると思った。

 誰だかはわからないけれど、でも確かに感じるこの温もりのある声を。


 それを聞いたのは私の心の中だ。

 アゲハさんたちとの戦いの中で、私は心の中に誘われた。

 そこで私が深い場所へと進んでいくのを止めてくれた声。

 そして私の力だという彼女の元まで行ってしまった私に、手を差し伸べて守ってくれたあの声と同じだ。


 確かにあの時の声。

 けれど、それよりもっと前にも、私はこの声を────


「あなたは誰なの?」


 出ないと思いながらも口を開いてみれば、以外にも声が出た。

 私の問いに氷の精は瞬いた。


『────今の私には、名前はない。でも……あなたは知っている────』

「そんなこと言われても……」


 確かに妙な信頼を覚えるけれど、でもこの氷の精には心当たりがなかった。

 その声に馴染みを覚えるけれど、でもその声が誰のものなのかは今は全く見当がつかない。


『────あなたは、私が守る、から。だから、信じるものを、間違えないで────』

「どういうこと……?」


 氷の精が言わんとしていることがわからなかった。

 その静かな声が紡ぐ言葉の意味が理解できなかった。


『────私は、いつでもあなたの心と共に……だから、私を、探し……て────』


 氷の精の瞬きは次第に弱くなって、それに合わせるように声も段々と遠くなっていった。

 私の手の上でまるで消えてしまうように小さくなっていく。


「ま、待って! どういうことかわからないよ! あなたは誰? 私はどうすればいいの!?」


 私は慌てて問いかけたけれど、でもその光が弱まる速さは緩まない。

 氷の精は弱々しく瞬いた。


『私はあなたの────』


 その言葉を聞き取ることはもうできなかった。

 パンと軽い音を立てて、淡い光だった氷の精は消えてしまった。

 そしてそれと同時に、この暗闇での私の意識も落ちていった。


 これは夢。ただの夢。眠っている間に見る空想。

 けれど、氷の精のその淡い輝きは私の心の片隅に静かに残った。

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