24 夢と記憶

 これが夢であることはすぐにわかった。

 ふわふわと移ろうような感覚は、目が覚めていて現実にいる時とは違う。


 だからといって、ここ数日の心の中に落ちている感覚とはまた違った。

 これは本当にただ夢の中で、そこで起きている出来事をまるで映画でも見るように眺めているだけだった。


 自分の意思が介入する余地はなくて、ただ見ているだけ。

 普通に眠っている時に見る夢とそう変わらないけれど。

 違うことといえば、私自身がこれをはっきり夢だと認識していることと、どうやらこれは私が見ている夢ではないということだ。


 私が眠っている間に見ている夢であることに変わりはないけれど、でもこれは私自身の夢ではない。

 これはきっとどこかから流れ込んでくる映像だ。

 誰かが見ている夢を覗き見してしまっているような感じかもしれない。


 この夢が誰の夢なのかは、考えるまでもなかった。


 女の子が二人いた。

 小学校に上がったばかり程のまだ小さな女の子。

 それが幼い日の私と晴香であることは一目瞭然だった。

 晴香の部屋で二人で遊んでいる。

 つまりこれは、晴香の夢だ。晴香の記憶だ。


 この日のことはよく覚えている。

 晴香はこの日、お母さんに教わったという三つ編みを私にしてくれたんだ。

 ただ何となく髪を伸ばしているだけだった私に、晴香が三つ編みに結わいてくれた。


 初めての三つ編みはそれはとても不恰好で。

 でも晴香が私のために一生懸命やってくれたことが嬉しくて、晴香のお母さんが直してくれようとしたのを断ったっけ。

 その時この髪型が似合うと晴香が言ってくれたから、私はそれからずっと三つ編みのおさげばっかりだったなぁ。


 小さい頃の懐かしい記憶に浸っていると、場面がくるくると変わった。

 また私と晴香だ。でももう少し大きくなっている。

 今度は私の部屋に場所が変わっていた。


 さっきより大分大きくなっている晴香が、珍しくとても怒っていた。

 私はといえば頰を押さえてしょんぼりしていた。

 これはあれだ。晴香に怒られた時だ。

 今までで唯一晴香に怒られた、その時の光景。


 あれは確か五年前の夏。つまり小学六年生。

 あの話と照らし合わせてみれば、時期はぴったりと一致する。

 つまりこれは、晴香が魔女になって私を守ると決めてくれた直後のことだったのかもしれない。


 この夢の中でも、結局私が何で怒られたのかはわからなかった。

 もしかしたら晴香にとっても、それそのものは些細なことだったのかもしれない。

 ただあのことを念頭に置いて晴香の気持ちを考えてみれば、私が何か軽率なことをしようとしたら怒りたくなるかもしれない。


 あの時何をしようとしていたんだっけ。

 誰かに、会いに行こうとしていた気がする。

 その相手は誰だったかな。どこに、行こうとしていたんだっけな。


 また場面がくるくると変わった。

 今度はどちらの部屋でもなかった。

 学校だ。今私たちが通っている加賀見高校だ。

 咲き終えた桜の木の下。校庭の隅に晴香がいた。


 でもそこに私の姿はなくて、代わりに氷室さんの姿があった。

 何となくだけど二人ともちょっぴりだけ幼い。

 制服のサイズが微妙に合いきっていないように見える。

 これはもしかしたら入学したての頃のことかもしれない。


「どうして、あなたがここに……」


 晴香が驚きながら問いかけていた。

 怒っているようではなかったけれど、その顔つきは少しだけ強張っていた。

 対する氷室さんは俯いていて、黒髪が垂れてその表情は伺えなかった。


「アリスは今、何も知らないの。普通の女の子なの。私は、このままにしてあげたいの」


 晴香の言葉に氷室さんは俯きながらも頷く。

 手をもじもじと合わせて、その肩はほんの僅かに揺れていた。

 一年以上前のことだから、今よりももっと内気で人見知りだったのかな。


「わ、私は……陰ながら…………だから……」

「まぁ、うん。私もアリスに本当のことを話すことはできないし……立場は似ているかもね。何かあった時は、力を貸し合うようにしようか」


 眉を寄せた困り顔で言う晴香に、氷室さんは無言でコクコクと頷いていた。

 確かに特別仲が良さそうには見えない。なんとも言えない距離感に見えた。


「あ、あの……」


 じゃあこれからよろしく、と晴香が立ち去ろうとした時、その背中を氷室さんが弱々しく呼び止めた。


「あの……アリスちゃんは────」


 その先が聞こえる前に視界が遠のいてまた場面が変わった。

 氷室さんの言葉を聞いた晴香が、とても悲しそうな顔をしたように見えたのは、気のせいかな。


 次の場面はまた晴香の部屋だった。

 最近の晴香にとてもよく似ているから、本当に最近のことかもしれない。


 窓際で電話を終えた晴香は携帯電話を床にぽいと放り投げると、乱暴にベッドに身を投げ出して丸まった。

 その額には玉のような汗が浮かび上がっていて、顔は赤く息は荒かった。

 その姿はとても苦しそうで、もしかしたら『魔女ウィルス』の侵食の限界がきた最近の出来事かもしれない。


「アリス……」


 苦しげに晴香が私の名前を呼ぶ。

 それにつられて私も晴香の名前を呼ぼうとして、声も出ないことに気が付いた。

 でもどっちにしたってこれは夢で、その中で見ている過去の記憶、みたいなもの。私の声は届かない。


「私が、守れたら……私には、この役目しか……」


 私が色々な戦いをしていることを心配してくれているのかもしれない。

 今まさに自分が『魔女ウィルス』に苦しめられているというのに。


「いやだ……痛いよ、苦しいよ、辛いよ……私を一人にしないで…………助けて、アリス……」


 けれど溢れるその言葉に、晴香の本当の気持ちがあるんだと思った。

 私の前では決して出さない言葉。

 言ってはいけないとわかっているから、私を戸惑わせるとわかっているから、晴香は決してそれを口にしない。


 けれどだからといって、思っていないわけじゃない。

 長い時間の中で覚悟を決めて、恐怖と戦ってきたといっても。

 晴香も一人の人間で、一人の女の子であることに変わりはないんだから。


 私にできることはないのかな。

 避けられない死を前に、私にできることは。

 覚悟を決めて死ぬことを受け入れている晴香。

 そんな晴香の覚悟を受け止めて、私もこの現実を飲み込まなきゃいけないだけれど。


 でも、何か一つでも、ほんの僅かでも晴香が生き残る手段があるのなら、私は────


 ベッドの上で丸まる晴香に手を伸ばそうとして、でも伸ばせる手はなくて。

 苦しむ晴香の姿をただ見つめることしかできないまま、その夢はやがて霞となって消えて、そして私の夢の中の意識も遠のいていった。

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