25 真夜中の訪問
トントンという固い音が私の眠りを妨げた。
うっすらと目を開けてみると、まだまだ部屋の中は暗かった。
晴香は私の隣ですーすーと穏やかな寝息を立てている。
その無防備な姿が可愛らしいなと思いつつ、私はふと時計に目をやった。
私の部屋にかけてある時計は、暗い中でも文字盤がうっすらと光って時間が見られるようになっている。
時刻は二時過ぎ。十二時前に寝たから、まだ二時間ちょっとしか経っていなかった。
寝直そうと体勢を整えて目を瞑る。
けれど今見ていた夢の光景が脳裏をよぎった。
あれは、あの夢は晴香の記憶。そして私の知らない晴香の……。
トントンと、また同じ音がした。固くも軽い音が繰り返し。
この音には聞き覚えがあった。
その音は窓から聞こえてくる。二階の窓をノックされるというデンジャラスな経験を、残念ならが私はしたことがある。
嫌な予感、というと大袈裟だけれど、一抹の不安を胸にベッドから起き上がってカーテンを開いてみた。
するとそこには案の定、レイくんがにこやかな笑みを浮かべていた。
「やぁアリスちゃん。会いにきたよ」
そのまま見なかったことにしてカーテンを閉めてしまっても良かった。
深夜に女の子の部屋に窓から訪れるこの非常識者に、構ってあげる必要ないだろうと。
けれどだからといって無下にしても可哀想かと、私は窓を開けてしまった。
レイくんは相変わらずの人の良さそうなクールな顔で私に笑いかけてきた。
どうやら窓の外でぷかぷかと浮いているようだった。
人に見られたらどうするんだろう。
「レイくん。何か用?」
「冷たいなぁアリスちゃんは。用がなきゃ会いにきちゃダメかな?」
「うんまぁ、少なくともこの時間はね」
なんといっても深夜だから。常識で考えれば人の家を訪ねる時間じゃない。
電話だってそうだし、今時はメールすらも憚った方がいいと言う人がいるくらいだ。
まぁ用があったとしても迷惑なことには変わらないんだけど。
私は大分スパッとあしらったつもりだったけれど、レイくんはあんまり気にしていないようだった。
私に向かってその綺麗な顔でニコニコしている。
「つれないなぁ。またデートでもしようと思ったんだけどなぁ」
「そんなの、この間したでしょ」
「好きな子とのデートは何回したって楽しいものだよ?」
「…………」
あまりにもさらっと爽やかに言われてしまって、私は言い返す言葉が出てこなかった。
この人はこういうことを当たり前の顔をして言ってくるから困る。
「でも、今は……」
静かに眠る晴香の方を見やって私は口ごもった。
今は晴香と一緒にいる時間を少しでも大切にしたいし、何よりもし晴香が目を覚ました時に私がいなかったら心配するかもしれない。
レイくんとなんていつでも会えるし、今相手をする選択肢なんて……。
その時、私はふと思い出した。
レイくんはワルプルギスの魔女。その仲間であるアゲハさんと戦った時、彼女はなんと言っていたか。
────『魔女ウィルス』による死はもう克服してるの────
────私は一度死んで、それを克服して今がある────
それはつまり、ワルプルギスの魔女はその手段を知ってるということだ。
死を回避できなくても、それを乗り越える方法を。
あの夢の中での晴香の言葉を思い出す。
晴香は私に助けを求めるてる。
覚悟を決めたといっても、死を受け入れたといっても、だからって自ら望んで死にたいわけじゃない。
もし晴香を救える方法があるのなら、私はなんとしてもそれを知りたい。
「わかった。ちょっとだけなら、付き合ってあげる」
「嬉しいなぁ。じゃ、下で待ってるよ」
私の返答にレイくんは嬉しそうに微笑んで、ひょいと下へ降りていってしまった。
私はしっかりと窓とカーテンを閉めてコートを羽織った。
部屋を出る前に晴香の頭をそっと撫でる。
私が、晴香を守ってあげるんだ。
玄関を出ると、レイくんはニコニコと家の前で待っていた。
そういえば今回は全く入ってこようとしない。
「レイくん、どうしてここに来られたの? ここには氷室さんに結界を張っておいてもらってるんだけど」
「この手の結界は認識阻害だからね。元々この場所を知っていれば基本的には効果がないよ。まぁ彼女は大分警戒心が強いようだから制限を増しているみたいだけれど、僕にそれは効かないなぁ」
私の問いかけに軽く答えて手を差し出してくる。
私は仕方なくその手を取った。
しっかりと、でも優しく私の手を握ると、レイくんはどこへともなく歩き出した。
「まぁそれでも、結界の中にまでは入れなかったよ。彼女は僕の侵入を危惧していたみたいだね」
やれやれと肩をすくめるレイくん。
だから今日は入ってこようとしなかったのか。
前回やってきた時は、当たり前のように窓枠に腰掛けて部屋に入ってきたもん。
氷室さんにはお礼を言っておかないといけないかもしれない。
「それで? 本当に何の用もないわけじゃないでしょ?」
「流石はアリスちゃん。まぁでも、アリスちゃんとデートしたいっていうのも本音だよ?」
「そういうのいいから」
誤解されちゃ困るからね、と付け加えるレイくんに私はぴしゃりと言った。
会ったばかりの時はレイくんの言動にどぎまぎしたものだけれど、もう慣れてきてしまったし、何より今日まで色々あったからそれどころじゃない。
少し気持ちに余裕を持って対応できるようになってきた気がする。
「H1とH2に会っただろう? どんな話をしたのか、聞きたくてね」
「…………」
善子さんが二人の存在を確認していたんだから、レイくんも知っていて当然だ。
そして私の動向をチェックしているワルプルギスが、私と彼女たちの接触を知っているのもまた当然。
この話題の可能性は十分にあった。
「どうしてレイくんがそんなこと気にするの?」
「アリスちゃんも意地悪だなぁ。そんなこと聞かなくても君はもうわかっているだろう? 鍵のこと、聞いてないの?」
しらばっくれてみれば、レイくんは意外にもストレートに問いかけてきた。
五年前の戦いで、レイくんは二人から鍵を奪おうとしていた。
結果奪うことができなかったからこそ今があるわけだけれど、彼女たちが再びこの街を訪れたことで、鍵に対する動きを気にしているんだ。
「……五年前に何があったのかは、聞いたよ。でも、鍵の在り処は二人も知らないんだって」
嘘は言っていない。二人は知らない。
鍵の在り処を知っているのは私だけだ。
「私の封印を解く鍵。それをレイくんたちが奪おうとしたんでしょ?」
「もちろんじゃないか。我らが姫君の力を封じ込める魔法なんて見過ごせなかったからね」
「でもレイくんは前に、私には自然に取り戻してほしいって言ってた。だったら、鍵なんて必要ないんじゃないの?」
「そんなことはないよ。確かに僕は、君が自然にかつてを取り戻してくれることを望んでいるけれど、それはできても過去だけだからね。その先、深奥への扉を開くためには、やはり鍵は欠かせない」
レイくんは不敵に微笑んだ。
浮かべているのは確かに笑みなのに、その眼差しはどこか鋭い。
深奥。それはきっとあの私の心の奥底にある力の根源、彼女のことだ。
かつてお姫様と呼ばれた頃も、その力の全てを使いこなしていたわけじゃないらしいし。
記憶と力を封じられて、そこに干渉することを制限されている今の私でも、過去が切り離されたあの『お姫様』にほんの少しなら接触できた。
だから多分、何かきっかけや糸口があれば、そこまでなら自力で取り戻せるかもしれないってこと。
でもその先は、やっぱり鍵が必要なんだ。
「レイくんは、もし鍵が手に入ったら私を向こうに連れて行くの?」
「そうなるね。もちろん無理強いはしたくないから、飽くまで君の意思を尊重するけどね」
「私、もし記憶と力を取り戻しても、向こうになんて、行かないよ」
「それはわからなよ」
私のことなのに、レイくんは断言するように言った。
「記憶を取り戻せば、かつてを思い出せば君は帰りたくなると思うよ」
「どうしてそんなこと言い切れるの?」
「ワルプルギスの見解を言えば、君の中の力が目覚めれば、その力が帰還を望むだろうってとこ。僕個人の意見を言うと、君の過去の記憶には帰りたいと思うだけのものがある、ってとこかな」
はっきりしない物言い。
けれどそこは私の過去に関わることで、聞いたとしても結局理解できない部分だろうな。
「もちろん最後はその時のアリスちゃん自身の判断だ。僕はその判断と、その時の君の気持ちを大切にして欲しいのさ。だからできれば、君の解放は僕がしてあげたいと思うのさ」
レイくんは空いた方の手を伸ばして、私の頰を指先でツンと突っついた。
それがなんとなく気に障って顔をしかめると、そんな私を見てレイくんは笑った。
レイくんが信用できないわけではない。
友達という意味ではだけど。
けれどレイくんはワルプルギスの一員で、その立場での思惑は私にとって好ましいものとは言えない。
ワルプルギスは私に対しては一応静観をとってはいるけれど、ホワイト率いる彼女たちは基本的には過激な集団だ。
私の護送と鍵の封印をしたロード・ホーリーの一派と、それを奪おうとしたレイくんをはじめとするワルプルギス。
そのどちらが正しいかなんて、そんな判断は私にはできない。
今の私からしてみれば、この平穏な日常を過ごせるようにしてくれたことはありがたいけれど、かつての私にとって記憶と力を封じられることが良かったことなのかはわからない。
でも確かに言えることは。
今の私には帰るつもりはないということ。
今を守るために、友達や色んなものを守るためには記憶と力を取り戻さなきゃいけない。
でも、そこに何があったとしても、私は今を大事にしたいと思うから。
そういう意味ではやっぱり、レイくんよりもシオンさんたちの方が私の味方と言えるかもしれない。
「それでも私は、帰りたくないよ」
だから私は抗うようにそう答えた。
レイくんはただ、微笑んで頷いただけだった。
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