44 何と戦うのか

 駆け込むようにして廃ビルに戻った私は一目散に四階まで上がると、みんなにただいまを言うのもそこそこに氷室さんに飛びついた。

 何も言わずにその胸に飛び込んだ私に困惑する氷室さん。目を白黒させて、でも優しく私を抱きしめてくれた。


 不安で押しつぶされそうだった私はとにかく氷室さんが恋しかった。

 その華奢な体で抱きしめらると、じんわりと温かいものが心を包んでくれるのを感じた。


 しばらくそうした後、落ち着いた私は氷室さんから離れて、今何があったのかをみんなに話した。

 魔女狩りのD4と遭遇したこと。それをアゲハさんが助けてくれたこと。そしてそのアゲハさんに明確な殺意を向けられたこと。

 氷室さんに怒られると私は内心ビクビクしながら喋ったのだけれど、氷室さんはそのポーカーフェイスを崩すことなく私の手を優しく握ってくれた。


「それは災難だったねアリスちゃん。けれど君の行動が軽率だったことは非難させてもらうよ」


 代わりに口を開いたのは夜子さんだった。

 表情こそいつも通りの飄々としたものだけれど、その言葉にはいつもより棘があった。


「君は今までと変わらぬ日常を過ごしたいと言っているのだから、もちろん普段通り過ごすのは構わない。そこを咎めるつもりはないけれど、今日はもっと慎重に行動するべきだ。昼間に魔女狩りと遭遇することは予想外だったとしても、他のワルプルギスの魔女が接触してくる可能性くらいは予見できたはずだよ? それとも、そんなことも考えられないくらいお馬鹿さんだったのかな?」

「すいませんでした……」


 晴香を心配する気持ちが先に出て、無茶なことをしてしまった。

 今は自分の身の安全を考えるのが先決だった。私の身に何かがあれば、晴香にだって会うことはできなくなってしまうんだから。


「そのアゲハとかいうワルプルギスの魔女は、カルマの奴の居所を知ってんのか?」

「そこまではわからない。でもあの口ぶりだと、知っていたとしても連れ立っては来ないと思うけど……」


 ワルプルギスの魔女という言葉にカノンさんが反応した。

 わかればこっちから乗り込んでいくつもりだったのかもしれない。


「まぁまぁカノンちゃん、落ち着きなよ。カルマちゃんとやらは夜になれば現れると言ったんだろう? それまでゆっくり待っていればいいさ」

「けどよぉ、襲われるのを待ってるってのは性分じゃねえ。こっちから殴りこめるんなら、そっちの方が手っ取り早いだろう」


 拳をパチンと手のひらに打ち付けて、悶々とした気持ちを溢すカノンさん。

 夜子さんはそんな彼女を見てやれやれと肩を竦めた。


「とにかくだ、アリスちゃん。今君がした行動は決して褒められたものじゃない。下手をしたら敵をここに招き入れてしまうことにだってなりかねないんだ」

「……! もしかして私つけられて……!」

「あぁ、その点は心配いらないよ。そこら辺の魔女の結界ならいざ知らず、ここに張られているのは私が手ずから張った結界だ。この結界は、私が招いた者にしか居場所を知覚できない。君がそのアゲハちゃんを自ら連れ込んだならまだしも、ただ君をつけてきたくらいでは途中で認識齟齬を起こして追えなくなるよ。ただ、そうなってしまう可能性は考えるべきだったね」


 夜子さんの言葉にホッと胸を撫で下ろす。

 敵に襲われただけならまだしも、敵を招き込んだとなっては謝って済む問題じゃない。

 特にここは夜子さんの隠れ家なんだから。本来無関係の夜子さんに多大な迷惑をかけるところだった。


「だがまぁ無事で何よりだ。ひとまず今回はそれでおしまいにしよう」

「心配をかけてすいませんでした。氷室さんも、ごめんね……」

「あなたが無事ならば、それで」


 本来なら氷室さんにこそものすごく怒られてもいいはずなのに、彼女はただ優しく私を慰めてくれる。

 それが嬉しくもあり、でもやっぱり申し訳なかった。


「ただ、不安要素が増えたのは確かだね。カルマちゃんにアゲハちゃん。ワルプルギスの魔女がこぞって君を殺しにかかってくるとはね」

「この際一人だろうが二人だろうがかわらねぇさ。どっちもアタシがぶっ飛ばしてやる」


 少し殺気立ったカノンさんが余裕の笑みで言った。

 その言葉はとても頼りになるけれど、アゲハさんは魔法使いの魔法をものともしていなかった。強敵であることは確かだ。


「威勢がいいね。元気なのは良いことだ」


 そんなカノンさんを見て夜子さんはとても呑気に言う。


「けどね、カノンちゃん。事態は君が思っているよりも切迫している。君が戦うべき相手は、君の予想をことごとく上回るだろう」

「なんだよ、どういう意味だ」

「言葉通りの意味さ。人は見かけによらない。いや、この場合はよく見た方がいいと言うべきか。カノンちゃん。君はまだ自分が何と戦おうとしているのかわかっていないんだよ」


 夜子さんは全てを見透かすような目でカノンさんと、カノンさんの腕に抱きついているまくらちゃんを見た。


「並みの魔女なら君の敵ではないだろう。だが今回は相手が相手だ。君の覚悟が問われるよ」

「ワルプルギスを侮るなってことか?」

「まぁそれもあるけどね。ただ今回に関して言えば、更にもう一つの視点が必要だ。つまり自分が何と戦うべきなのか、きちんと見極めることだ。まぁそれはカノンちゃんだけじゃなくて、みんなにも言えることだけどね」


 ニヤニヤと笑みを浮かべて、飽くまで他人事のように夜子さんは言った。

 夜子さんは傍観者を決め込んでいる。既に一宿の恩を受けているし、それ以上のことを求めているわけではないけれど。

 でもその言葉は何故だか私の心にどっしりとのしかかってきた。


 その正体を現さない、夢の中に現れた魔女、カルマちゃん。

 友達だと気軽に接してくるも、刹那的な思考で殺意を向けてくるアゲハさん。


 私たちがこれから戦おうとしている敵は一体なんなのか。

 同じ魔女という立場を持ちながらも、その在り方や考え方が全く違う彼女たち。

 同じワルプルギスである二人でさえ、その足並みは違う。


 ただただ生き残るために、目の前の戦いを凌いでいくだけじゃダメなんだ。

 相手が何者なのか、それが自分にとってどういうもなかのか。それを知って正面から向き合わないことには、強敵を打ち払うことはできない。


 彼女たちと対峙するにあたって私がどこまでできるかはわからないけれど、私が一番その覚悟を持たないといけないんだ。

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