21 闇と蝶
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「あんなガキンチョ相手に、何やってんのアンタ」
アリスが家の中に入っていくのを見送ったレイは、正面の家の屋根の上まで跳び上ると、そこに座り込んでアリスの部屋の窓を眺めていた。
そんなレイの背後に、一人の女がふわりと降り立つ。
二十代前半頃の、派手な格好の女。
暗い夜の空でも映える、鮮やかプラチナブロンドの髪を短めに切り揃え、一つの隙間なく整えられた化粧も相まって、とても煌びやかな姿。
臍がよく見えるほどに短い丈に、豊満な胸元に刻まれた大きな蝶のタトゥーがよく見て取れる、胸元が大きく開いた服。
極端に短いショートパンツから覗く白い太腿の片方には、胸元と同じ蝶がもう一羽。
そしてなによりも目立つのは、彼女が羽織っている真紅のレザージャケットだった。
「いくらお姫様だからって、アンタがあんなに媚び売るなんてね。見てて惨めだったわ〜」
「お姫様の『庇護下』に入るのは、最重要事項だからね。それに僕は、好き好んでやっていたんだよ。アリスちゃんは可愛いからね」
「可愛い、ね。アンタがあんなお子ちゃまがお好みなんて。あんまり良い趣味とは言えないんじゃなあい?」
「それは嫉妬かな、アゲハ。残念ながら君は僕の守備範囲外だよ。僕は可憐な女の子が好きなんだ」
「違うわ!」
ニヒルな笑みを浮かべて流し見るレイに、アゲハと呼ばれた女は地団駄を踏んで否定した。
そんな彼女を見て楽しそうに笑って、レイは再びアリスの部屋に目をやった。
もう電気は消えている。
「心配しなくても、一晩くらいなら相手してあげるって」
「だから違うって言ってんでしょーが! 私だってアンタみたいなのは願い下げだし!」
キンキンと金切り声を上げるアゲハと、のらりくらりとあしらうレイの相性が、良いようには見えなかった。
しかしこんなものは、二人にとってはいつものことだった。
「それで、その『庇護下』には入れたわけ? アンタのことだからそこら辺、抜かりないとは思うけどさ」
「問題ないよ。我らが麗しのプリンセスは、僕を受け入れてくれたさ」
「ではでは、計画は順調ということでございますねぇ」
また一人、女が舞い降りた。
アゲハとは対照的に、闇に溶け込みそうな黒い出で立ちの女だ。
ゴシックな真っ黒のドレスに身を包み、黒いグローブまでしている彼女は、アゲハとは真逆にその顔と指先以外の肌の露出はなかった。
そして唯一見て取れるその肌はとても白く、もはや蒼白といっても過言ではなかった。
年頃はアゲハよりは上だろうか。外見からは見て取れないが、この中で一番大人びた雰囲気を帯びている。
重く墨を垂らしたように黒々とした髪は、クルクルと優雅に巻かれており、真冬の夜中だというのに黒い日傘を差している。
その佇まいにはどこか気品が感じられるが、そのあまりにも黒々とした出で立ちからは、どことなく底知れぬものが感じられた。
「レイさんのことですから、心配することなんてありませんでしたけれど、それでも相手は姫様でございますから。わたくし、ほんの少しだけハラハラしておりました」
「それは悪かったね、クロア。けど問題ないよ。万事抜かりはないさ」
クロアと呼ばれた漆黒の女は、その口に微笑を浮かべる。
その静かな佇まいは、この場にいる誰よりも大人の女性然としていた。
「そのお言葉を聞いてホッと致しましたわ。我らがレイさんに於いて、失敗などあり得ない。杞憂でございました」
「いやいや、そんなことはないよ。実際彼女は、一筋縄ではいかない子だ。本番はこれからさ」
「まだなんか必要なわけ? 『庇護下』に入っちゃったんだから、さっさと首根っこ捕まえて連れてきゃいーじゃん」
「あらあらアゲハさん。物騒な物言いはよろしくありませんよ」
じれったそうに言うアゲハを、クロアが優雅な口調で窘めた。
「姫様は丁重に扱わなければなりません。もしものことは許されないのです」
「でもさぁ、イライラすんじゃん。もっとパッと行ってパッとやっちゃおうよ。私に行かせてくれたら、一瞬でコロっとしてきちゃうよ?」
「クロアの言う通りだよ、アゲハ。ことは慎重に進めるべきだ。確実にお姫様を連れて帰るためには、焦っちゃいけない。それはリーダーからのお達しでもある」
レイの口から出たリーダーという言葉に、少なからず二人の背筋が伸びた。
それが絶対的なものだというかのように。
「でもさ、そこまで慎重になる必要もあるわけ? 『庇護下』に入ったんなら、もう信頼関係は問題ないわけっしょ? 後はちょちょいのちょい、じゃないの?」
「そういうわけにもいかないんだよ。アリスちゃんは芯の通った女の子だからね、なかなか意思を曲げないさ。それに、向こうにはどうやら、『寵愛』を賜っている魔女がいるようだ」
「まぁ! 『寵愛』を!?」
クロアが頰に手を当てて、大袈裟に声を上げた。その蒼白な頰にほんの僅かに赤みが刺す。
そんな彼女を見て、アゲハは胡散臭そうに目を細めた。
「『寵愛』? なにそれ」
「アゲハ。君はもっと色んなことに興味を持った方がいいよ。そんなことじゃあ、お姫様に気に入ってもらえないよ」
「うっさいなぁ! 別に私はあんなガキンチョ自体には興味ないし!」
小馬鹿にしたレイの物言いにキーキー喚くアゲハを、クロアはまぁまぁとなだめた。
「『寵愛』とは、姫様が特に想い入れのある者に与えられるものです。その影響は、『庇護』を賜るのとは比べ物になりません」
「マジで。アンタよりお姫様に気に入られてるヤツがいんの? ウケるー! 負けてんじゃん、ダッセー!」
腹を抱えて笑うアゲハの甲高い声が、静かな夜の街に響く。
しかしそれは、レイの鋭い眼光によってすぐに遮られた。
アリスには決して向けることのなかった、突き刺すような鋭い目だ。
「…………!」
アゲハは自らの腕を抱いて僅かに身動いだ。
苦々しく顔を歪めて、仕方なく押し黙る。
それを見届けたレイは、満足そうに元の微笑みに戻った。
「僕は一度目をつけたものは逃さないよ。絶対にね」
「あらあら。レイさんには、もうこの先の流れが決まっていらっしゃるのですね」
「もちろんさ。面白いおもちゃも見つけたことだしね」
レイの口元が釣り上がる。
それは、余裕に満ちた確信の笑み。
「ゆっくりおやすみ、アリスちゃん。今はその眠りを楽しむ時だ。けれど目覚めの時は、もうそう遠くはないよ」
屋根の上の三人の人影は、闇に溶けるようにすっと消えた。
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