20 信じようと思う気持ち

「今日はもう帰ろうか」


 すっかり元の静寂に戻ったところで、レイくんは普段と変わらない穏やかな笑みで言った。

 さっき木偶人形を相手にしていた時の鋭さはもうない。


「今のは、なんだったんだろう」


 差し出された手を取りながら私が尋ねると、レイくんは困ったような顔をした。


「僕たちがアリスちゃんの家を出た時から、ずっと視線は感じてたんだ。恐らくあれは、アリスちゃんを狙う何者かの手によるものだろうね」

「もしかして、魔法使い?」

「どうだろう。魔法使いの仕業にしては、あまりにもお粗末だった。あんな何の役にも立たない人形数体を、ただ無造作に放ってくるなんて、魔法使いがするとは思えないなぁ。でもだからといって、魔女の魔法でもなかった」


 レイくんは少し難しそうな顔をしながら、握った私の手を当たり前のように自分の上着のポケットに入れた。

 繋いだ手の温もりとレイくんの体温が狭いポケットの中に満ちて、なんだかどぎまぎしてしまう。


「これだけではなんとも結論を出せないな。でも、取り敢えずこれ以上の夜遊びは控えた方が良さそうだ。大切なお姫様に傷がついたら大変だ」


 魔女としての知識も経験もない私では答えを見出せそうにはないし、今はレイくんの判断に従うしかない。

 気がつけば結構な時間出歩いていたみたいだし、早く帰って寝ないと明日の朝起きられない。


 もう当たり前のように手を繋いだまま、私たちは元来た道を戻った。

 冷静に考えてみれば、どうして私は今日出会ったばかりの人と、仲良く腕を組んだり手を繋いだりしているんだろう。


 相手がいくら男の子じゃないとはいっても、これはいくらなんでもスキンシップが過ぎるんじゃないだろうか。

 私が晴香と仲良く手を繋ぐのとはわけが違う。晴香は長い付き合いの、気心知れた女友達だから。


 でもレイくんは違う。レイくんは今日が初対面で、まだ私は何も知らない。

 なのにどうして私は、まるで恋人とするように密着して歩いているんだろう。


 きっと相手がレイくんだからだ。別に、私がレイくんに特別な気持ちを抱いているというわけじゃなくて。

 レイくんがさも当たり前のようにそうしてくるから、それにつられて応えてしまうんだ。

 さも当たり前のように手を取ってくるから、それに乗せられてその手を握ってしまうんだ。

 決してレイくんのことを信じきって、心を寄せているわけじゃない。


 でもそれって、女として大丈夫なんだろうか。私って流されやすい女?

 勢いや流れに任されて、何でも許してしまう女になってる?

 もし今キスでも迫られようものなら、それを受け入れてしまうような女!?


 唐突な自己嫌悪に陥りながら、でも自分は決してそんな女じゃないと心の中で唱える。

 全部レイくんが悪いんだ。そういうことにしよう。


「今度こそ、今日はもうお別れだね」


 家の前まで送ってくれたレイくんは、少し寂しげに言った。

 その仕草がいちいち私をやきもきさせる。


「本当に今度こそだよ。どうせまたすぐ会いにくるんでしょ?」

「まぁそうだね。振り向いてもらうまでは、何度でもアプローチするよ」

「熱心なことで。でも、レイくんがどんなに会いに来てくれても、私はあっちの世界に行くつもりはないよ」


 それは心の底からはっきりと言えることだった。

 私は今の生活を捨てるつもりはないから。何があったって、ここで今までと同じ日々を過ごしたい。

 だからここを離れて別の場所に行くなんて考えられない。


「うん。今はそれでいいよ」


 レイくんは意外にもケロリとそう答えた。

 意外なリアクションに、私は思わずレイくんをまじまじと見てしまった。


「アリスちゃんならそう言うだろうって、今日一日でよくわかったよ。君の意思を曲げるのは、生半可なことじゃなさそうだしね」

「それだと私が頑固者みたいじゃん」

「ごめんごめん。そういうつもりはないよ。けど君はとても強い女の子だからね。僕がいくら誘っても、向こうまでついてきてくれるなんてもう思ってないよ」

「レイくんはそれでいいの?」


 自分から断っておいて、私はつい聞いてしまった。

 あまりにもその引き方があっさりし過ぎていて、どこか引っかかったから。


「良くはないよ。ワルプルギスの魔女としてはね。ただ僕個人としては、こうしてアリスちゃんと会えるだけで十分幸せなんだよ」

「……なにそれ」

「どうかな、アリスちゃん。僕は君のお友達になれたかな?」


 ここへ来てその質問はずるいと思った。

 ここまで私の側にぐいぐいと迫ってきておいて、今更そんなことを聞いてくるなんて。

 レイくんを信じるか信じないかなんて、もう今更そんな問題はとうに通り過ぎているのに。


「私は……友達だと思ってるよ。レイくんは怪しいけど、でも、信用はしてる」


 今私の目の前にいるこの人は、信用してもいいと思った。

 ワルプルギスの魔女としての一面はまだまだわからないし、そのワルプルギスに至ってはあまりいい印象はない。

 けれどそれは、レイくん個人とはまた別の問題だから。


 善子さんの話はきちんと覚えている。それはわかっている。

 それを踏まえたとしても、やっぱり私はレイくんを信じてみたいと思った。

 図々しくも誠実なレイくんを、ちゃんとまっすぐに見てあげたいと思った。


 だからその先に何があっても、それは私の責任だ。

 私が信じたレイくんが、例え間違っていたとしても。それは誰の責任でもなく、私の責任。

 だから今は信じよう。レイくんを。


 嬉しそうに微笑みながら見送るレイくんに、手を振って私は家に入った。

 レイくんに聞いた色んな話。そこで感じた私の気持ち。

 沢山のことを胸にしまって、今日は大人しく眠ることにする。


 考えるのはまた明日にしよう。

 氷室さんとも色々話さないと。聞かないといけないこともあるし。


 レイくんという魔女のこと。私のお姫様としての過去。木偶人形の襲撃。そして、私の魔法のこと。

 私の頭では考えきれない。もういっぱいいっぱいで限界だから。

 頼ってばっかりで申し訳ないけど、でも頼れるのは氷室さんくらいだし。


 それに単純に、氷室さんとゆっくりとお話したかった。

 今日は一日いろいろなことがあって、ゆっくり話ができなかったからかな。

 なんだか、少しだけ氷室さんが恋しい。

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