15 真理の剣

 氷室さんは抵抗しない。いや、抵抗できないんだ。

 あの部屋に飛び込んできてから、今ここまで逃げてくるまでに大分消耗しているはず。

 挙げ句の果てに足に怪我を負って、もうそんな力は残ってないんだ。


 D8が掲げる炎の球は、見ているだけで体が竦み上がってしまう。

 まるで、火山の火口の前に立っているかのようだった。

 あと一歩、あと一手進めば終わってしまう。そんな絶望感。


「せめてもの情けだ魔女。最後に言い残すことはねぇか?」


 D8の言葉に、氷室さんの瞳が揺れた。

 透き通るその瞳の奥で、何を思っているのか。

 弱々しくも、その瞳には確かに力があった。


「…………」

「何だ。聞こえねぇよ」

「……私はまだ、負けてない」


 その瞬間、D8が掲げる炎の球からレーザーのような熱戦が放たれて、氷室さんの両肩と両腿を撃ち抜いた。

 声にならに悲鳴を上げて、氷室さんは仰け反った。


「馬鹿野郎。この期に及んで反撃なんかさせねぇよ。魔法使いナメんな」


 四肢を撃ち抜かれた氷室さんは、完全に脱力して吊るされていた。

 あまりにも酷い。無残すぎる。鉄と肉が焦げる匂いが、余計にその残酷さを表していた。


「もうやめて」


 もう嫌。もう嫌だよ。

 私のせいで友達が傷ついていく。

 私なんかを助けにきてしまったせいで、こんな目に……。

 これ以上友達が傷つくのを見たくない。氷室さんに、傷ついて欲しくない。


 もう嫌だ。私の与り知らないところで、みんなが争ってる。それで私の友達が傷ついてる。

 私が悪いのに、その私の何が悪いのかもわからない。

 私だけが蚊帳の外で、指をくわえて見ているしかないなんて。


「悪いがアリス、それは聞けない相談だ。俺を恨むなら恨んでくれていい。俺は、お前になら恨まれても仕方ないと思ってる」


 まただ。そういうこと言えばいいと思ってる。

 私のためだとか仕方がないんだとか、そんなことばかり。

 意味深なことしか言わないで、大切なことは何も教えてくれない。

 それなのに、私のためにそういう顔をする。

 もう、うんざりだ。


「あなたを恨んだって何にもならない。それじゃ誰も救われない。私は嫌なの。もう、こんなことは!」

「……! アリス!」


 さっきまで力の入らなかった脚に、力が入る。

 しっかりと踏み締めてD8を見た。


「誰が正しいとか、誰が悪いとか私にはわからない。私が何をするべきかとか、そんなのもわかんない。でも、今の私の気持ちならよくわかる。私は、友達を守りたい!」

「友達、だと……? ふざけたこと言ってんじゃねぇ! こんな魔女、どこに守る必要があるってんだよ!」

「魔女とか魔法使いとか、そんなの私は知らない。関係ない! 私はただ、友達を守りたいだけなんだから!」


 D8が憎たらしげに歯切りする。

 その顔は怒りというよりは、動揺だった。


「お前に何ができる!? 何にもできねーだろうが! お前は黙って、俺たちの言うこと聞けばいいんだよ! そうすれば……そうすれば、全部元通りなんだ!」

「D8! 落ち着きなさい!」

「もういい、終わらせてやる。そもそも、魔女なんてのがいるからこんなことになるんだ」


 炎の球が膨張する。

 凝縮された熱エネルギーが、今にも爆発しそうに膨れ上がる。


「たかだか魔女一人に過ぎた代物だが、もう加減はなしだ。これでもう、終わりだ!」


 磔の氷室さんに、太陽のようの炎の球が今まさに振り下ろされる。

 触れたものを一瞬で蒸発させるようなその炎の球は、ただ一直線に。


 目の前が真っ白になった────


「ぁぁああああああああああ────!!!!」


 横薙ぎに一閃。気がついた時には終わっていた。

 斬り裂かれた炎の球はまるで、最初から何もなかったかのように霧散した。

 業火も、熱も、激震も。何もかも跡形もなく。


 たった一太刀で消え去った。


「────おい、どういうことだよ。アリスッ!!!」


 D8が目を見開いて叫んでいた。

 信じられないものを見る目で、現実を受け入れたくないという目で私を見てくる。


「それは、『真理のつるぎ』……! 何でお前が、使えるんだよ!」


 気がついた時には、私の手に一振りの剣が握られていた。

 切っ先から柄に至るまで、無垢な純白の西洋剣。重さはほとんど感じない。

 まるで身体の一部のように、私の手に馴染んでいる。


 そう。あの炎の球を切り裂いたのは、私だった。

 いつのまにか体が動いていた。自分でも信じられないスピードで距離を詰めて、いつのまにか手にしていた剣で、炎の球を掻き消していた。


 まるで私じゃないみたい。

 意識ははっきりとしてるのに、どこか自分を俯瞰していてふわふわする。

 まるで私がもう一人いて、その子が体を動かしているみたい。

 体の内側から、何かとてつもない力が溢れ出しているのを感じる。

 その力のせいか、それとも燃え盛っていた炎のせいか、髪が解けてしまっていたけれど、そんなことは気にならなかった。


 磔にされる氷室さんとD8の間に割るように立つ私は、彼を見据えたまま後ろ手に剣を振るった。

 そこに大した力はこもっていなかったのに、氷室さんを拘束していた磔や錠は、パラパラと砕け散った。

 地面に崩れ落ちる氷室さんの傍に立って、剣の鋒をD8へと向ける。


「何のつもりだ、アリス」

「…………」

「俺と、やろうってのか?」

「ダメだよD8!」


 私たちの背後にいるD4が声をあげた。


「アリスと戦ってはダメ! そんなこと、絶対に」

「そうしたいのは山々だけどよぉ。アリスのやつがなぁ……」


 力がぐるぐると巡る。この力が何なのか、今の私にはわからない。

 意識は未だ少し上にあって、自分自身のはずなのにどこか他人事に見える。

 でも、今私たちが無事にこの場を切り抜けるためには、この二人を乗り越えていくしかないのは確かだった。


「やらなきゃやられる。手ぇ抜いてる暇はなさそうだ」

「まちなさい!」

「D4、お前はそこにいてくれ。もしも何かがあった時のためにな」


 D8が双剣を構えた。赤い刀身に炎が灯る。


 もうお互いに引くことはできなくて。

 私たちには、戦うしか選択肢がなかった。

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