第59話 文妖は藤乃さんを喰らいつくす
その日、図書別館が消失した。
木造の建物があった場所は地面がむき出しになり、土台となる敷石の列だけが残っているのだった。
「どういう事よこれ!」
そこに駆け寄ろうとして見えない壁に跳ね返された才原未散が、隣にいた埜地に当たり散らしている。
「ぼくに言われても……、ぼくがやったんじゃないよぅ」
埜地は後ろから首を絞められ、弱々しい声で反論する。
さらに才原は、その態勢で埜地のお尻のあたりに膝蹴りをいれている。最近になって、よく見る光景だった。
「あー、仲よきことは美しき哉、だねえ」
他の図書委員たちはそれをなま暖かい目で見守っている。
ただひとり、藤乃さんを除いて。
「どうしたの、藤乃さん。顔色が悪いけど」
斎原が眉を寄せ、藤乃さんの顔をのぞき込む。たしかに唇まで色を失っている。
「どうしよう、……わたし」
やっとのことで藤乃さんは口を開いた。
「あそこに本を置いていたんです」
「まさか、文妖につながるような本だったのか?」
小さく首を横に振る藤乃さん。
「そうじゃないんですけど。貴重な本で」
貴重な本……。僕はふとイヤな予感がした。
「ほう、何てタイトルだったんだ、藤乃」
やめておけばいいのに折木戸が訊いてしまった。
「それが……『陥落街で歓楽する執事6』という、確か5巻で絶版になったはずのシリーズ、幻の第6巻なんです。学校でゆっくりと読もうと思って持ってきていたのに、まさかこんな事になるなんて……」
それは藤乃さんとしてはショックだろう。でも僕には全く理解できない。
そもそもタイトルが意味不明だし。
誤植か? でも執事が歓楽街で陥落してたら、それはそれでダメだろうけれど。
☆
警察の現場検証の結果、ここには元から何も無かった、という事になったらしい。黄色い「KEEP OUT」テープだけ残してみんな帰ってしまった。
「こんなことで大丈夫なのだろうか、わが日本の警察は」
折木戸にまで心配されている。
「ああ、それは、
平然とした顔で斎原美雪が言った。
「お前の家は国家権力を超越しているのか、斎原」
「当然でしょ、図書寮なんだから。たかだか明治時代にできた警察なんかとは、圧倒的に重ねてきた歴史が違うの」
確かに発祥は奈良時代だという図書寮だが。だけど別に歴史の長い方が偉いと云う訳ではないだろうけれど。
「だから君依くんの戸籍に”斎原家養子”と書き込むことも、実は簡単にできるんだからね」
本当にやりそうで怖い。本人の知らないところで婚姻届け出したりとか。しかも普通に受理されてそうだし。
☆
「だけど、こんな事ってあるんだな」
折木戸がどこか嬉しそうに言った。それは僕も同感だった。図書館が消えるなんて、各地で文妖被害の噂を聞くけれど初めてだ。
「でも、どうせなら学校が消えてくれればよかったのに。なあ、がっちゃん」
お前は小学生か。
生徒会室に集まった僕たちは、月沼さんが淹れてくれたお茶を飲みながら対応を検討していた。
「うちの特殊部隊が出動して、これ以上の被害拡大は抑えてくれる事になったんだ」
それなら、ひとまず安心だ。もうこれは高校の図書委員の手におえる状態ではない。
「あとは原因を突き止めて、図書別館を取り戻すのがわたしたちの仕事だよ」
結構な仕事が残っていた。
「うっ……」
突然、胸を押えて藤乃さんが立ち上がった。
「ご免なさい。わたし、先に失礼します」
いつの間にか顔が蒼白になっていた。本当に具合が悪そうだ。
藤乃さんは歩きかけて、膝から崩れた。
「あぶない!」
僕はとっさに手を差し伸べ、藤乃さんを抱きかかえる格好になった。
「あれ?」
なにか柔らかいものが、僕の手のひらの中にあった。
ふにゅ、ふにゅ、と揉んでみる。
僕の頭の中に「?」が乱舞している。これ、斎原ならともかく、藤乃さんだぞ。手のひらに伝わる感触を、僕の脳が必死で否定しようとしている。
「あの、そんなに胸を揉まないでください」
やはり藤乃さんの胸だった。斎原ほどではないが、ちゃんとしたおっぱいが僕の手の中にあった。
「何やってるの君依くん。この変態!」
「え、だってこんな機会はめったに……、いやいや。でも、お、おお?」
もう自分でも何を言っているのか分からない。
藤乃さんは僕に背を向けてうずくまる。斎原と才原が、藤乃さんを支えるように、左右に膝をついた。
「ちょっと藤乃さん、胸のボタンを外してみて」
「は、はい」
僕もあわてて覗き込む。
「そうなんだ。藤乃さんの胸が苦しそうで……」
「男子はあっちへ行けい!」
「おおう、これは」「すごい」
二人のうめき声が同時に響いた。
「裏切者ぉ!」
これは折木戸だった。負けた……と、自分の胸をおさえ、その場に崩れ落ちる。
「ん、……だけどこれ本物じゃないよ」
「どういう事、斎原」
文妖だ、藤乃さんの身体のなかに……。斎原は呟いた。
「く、苦しい」
藤乃さんが呻く。僕は才原を押しのけ、藤乃さんを抱きかかえた。
「うっ」
僕は目を疑った。藤乃さんの胸だけでなく、お腹にも瘤のような膨らみが出来ては消え、身体の皮膚が波打っているのだ。
そして、藤乃さんの胸に残る大きな傷跡からは、半透明な塊が盛り上がってきている。
「君依くん、藤乃さんのこの傷。どうしてできたか聞いたことがある?」
どうだったろう、小さい時の事故だとしか……。
「これ藤乃さんの中に、文妖の幼生が入ってたんだよ。きっかけはその時の事故。そしてその事故が起きたのはきっと、図書館だ」
今、その時の幼生が成体となって、藤乃さんから抜け出そうとしているのだ。
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