第57話 秋は文妖の季節

「おっはよーう、がっちゃん!」

 教室に入った途端、折木戸が僕の背中に飛び込んできた。というか、なぜか天井から降って来た。


「ぐわっ」

 床に押しつぶされて僕は呻いた。なんだか以前、斎原でも同じような事があった気がする。小柄な斎原でさえ結構な重さがあって無理だったのに、長身の折木戸を受けとめられる訳がない。

 やはり、二人そろって床に転がることになった。


「なんだかこうしていると、がっちゃんのベッドの中にいるみたいだな」

 僕の首に手をまわし、なぜか折木戸は照れている。

「また、あんな事やこんな事をして虐められるのかと恐れおののいているぞ」

 その割には嬉しそうだが。


(君依くん、なんてひどい)

(やっぱり折木戸さんにそんな事してたんだ。思ったとおり最低)

 とか教室のなかで、ささやき声が聞こえてくる。


 いや、僕は折木戸を虐めたりしてないから。本当なんだから。


 とうっ。掛け声とともに折木戸は僕の上から勢いよく立ち上がった。

 スカートが大きくひるがえり、折木戸はあわてて裾を押えた。

「しまった。がっちゃんに私がパンツを穿いているのを見られてしまった。学校では絶対に下着を着用するなと、きつく言われていたのに」

「言ってないわっ。頼むからこれ以上誤解を拡散しようとするな!」


「おっと、がっちゃん。こんな事をしてふざけてる場合ではないぞ。もう授業が始まる」

 手を差し出して僕を引き起こす。今回は幸い、どこも怪我はしてないようだ。


「うるさいよ。だいたいお前、さっきまで何処にいたんだ」

「うん? あそこだぞ」

 そう言って入口付近の天井を指さす。


 どうやら、壁の隅の直角のところを手足を突っ張りながら登って行き、最後は壁と天井の間で、そうやって留まっていたらしい。

 いったい、何ていう身体能力だ。


「ふふ。こんな事で驚いてもらえるとは、がっちゃんも大したことないな」

「驚くよ、普通!」

 忍者か。この時代に。しかも良く見たら壁に足跡が残ってるし。


 これじゃ、また斎原に怒られる。


 ☆


 昨日の斎原のトラ型文妖、通称『李徴さん』と藤乃さんの炎の紫ネコ文妖『あずきちゃん』の対決は実にあっけなく終わった。


 しばらく睨みあっていた二匹、というか二体だったが、ごろりと横になった李徴さんの腹のところにあずきちゃんも丸くなった。

 李徴さんが大きな舌であずきちゃんの身体を舐めてやると、あずきちゃんもお返しに李徴さんの顔をぺろぺろと舐めている。


「ネコ科の動物がじゃれてるだけだね、これ」

 斎原が苦笑する。とても戦いにはなりそうにない。

「はは、可愛い。文妖には縄張り争いとか無いのかな」

 藤乃さんも細い目をさらに細めている。


 その時、図書館のどこかから半透明な塊がふわふわと流れて来た。実体化し始めている文妖だった。

 あずきちゃんが顔をあげた。天井近くに漂うそれを目で追っている。

 頭上に来たところで、あずきちゃんは助走もつけずに真上に飛び上がった。鋭い爪で文妖を捕らえると、そのまま引きずりおろした。


 がふがふ、とあちこち嚙みついては、いったん離す。

 文妖が逃げようとするとネコパンチを繰り出してまた床に叩きつけている。

「遊んでるよ……」

 でも、遊びというには思いのほか壮絶な光景だった。


 やがて、あずきちゃんは動かなくなった文妖を咥えて藤乃さんの前にやって来た。

 どさ、と獲物を落とすと、座って藤乃さんを見上げている。

「すごーい。えらいね、あずきちゃん」

 藤乃さんがその燃え上がる頭を撫でてやると、あずきちゃんは喉を鳴らし、嬉しそうに身体をくねらせた。

 獲ったネズミとかを飼い主に見せに来るのと同じ行動だった。


 その様子を眺めていた斎原は、ふと気が付いたように顔をあげた。

「この二匹がいれば、図書館内の文妖発生が抑えられるかもしれない」


 夜間、図書館内に放しておけばこんな文妖を捕まえてくれるかもしれないのだ。

「きっと、わたしたちの仕事も減ると思うんだけど」

 それはずいぶん魅力的な提案だった。


「でも、どうかな……」

 藤乃さんが首をかしげた。

「気が向かないと獲らないんじゃないかな」


 そうだった。

 こいつら、ネコだった。


 ☆


 放課後の生徒会室だった。

 生徒会書記の月沼さんがノートPCを難しい顔で睨んでいる。

「これが今年になってからの文妖出現数をまとめたグラフです」


 斎原と僕、それに藤乃さんは後ろから覗き込んだ。

 基本的に右肩上がりなのに加え、何度か大きく増えているのが分かる。


「例年、秋になると発生件数は増える傾向にあるんですが、今年は特に多いですね。当たり年というのは本当らしいです」

「この調子じゃ、秋になったら手に負えなくなるかもしれない」

 うーん、と斎原は唸った。


 読書の秋は、文妖の秋でもあるらしい。


「だけど、ここ。この件数が突然増えているのはなんだろう」

 ある数日間、件数が倍増しているのだ。

「日付を見なさい、君依くん。わたしたちが藤乃さんを探しに行った時でしょ。才原さんと先に帰って対応したんだから」

 そうだった。僕が折木戸と居残って、辱めを受けたあの日か。


「二十人くらいの藤乃さん型文妖が図書館にあふれていたんだから。大変だったんだよ。全員捕まえて消滅させるのって」

「それは、ご迷惑をおかけしました」

 ちょこんと頭を下げる藤乃さん。

「あれは藤乃さんの残留思念が文妖の卵と反応しちゃったんだと思うから、まあ仕方ないよ。気にしないで」

 斎原は頷く。

「でも、よく捕まえられたな。どうやったんだ?」


 え? と斎原は目を丸くした。

 しばらく沈黙して天井に視線をそらす。

「おい、斎原」

 何を隠している。月沼さんも顔が赤くなっているし。


「まあ……君依くんの、…を借りて、あれなのよ、ねえ月沼さん」

「はい。生徒会長代理。あれでしたよね」

「まったく分からないんだけど」


 こほん、と斎原はひとつ咳をした。

「だから、君依くんのパンツを図書館中にばら撒いて、藤乃さん’S をおびき寄せたの!」

 僕にも、藤乃さんに対しても、問題がありすぎる。


「そ、そのパンツはどこから」

 変なところに藤乃さんが食いついてきた。うん、確かにそれは気になるところかもしれないけど。

「ああ。才原さんに持ってきてもらったの。今、君依くんの家に住んでいるんでしょ?」


「まさか使用済みですか?」

 藤乃さん、何を言い出す。


「残念ながら、それは無かったよ。ちょうど文さんが洗濯してたからね」

「そうですか……」

 ふたりとも本当に残念そうなんだけど。

「お前たちは、変態なの?」


「普通の文妖は君依くんのパンツなんか見向きもしないだろうから、もうその手は使えないし。ちょっと困ったね」


 

 東雲高校図書委員による文妖対策会議の終わりは見えそうになかった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る