第55話 藤乃さんは二股恋愛にあこがれる①

「ところで、更級日記は読んだことがありますか」

 藤乃さんが真剣な顔で、僕に聞いてきた。


 ごめん、まず『更科』が読めないんだけど。ん、でも待てよ、この字どこかで……。

 あ、そうだ。


「おお、読める、読めるぞ!」

 僕は古代文字の解読に成功した某大佐のように声をあげた。

「これ、お店の暖簾のれんに書いてあるやつだ」


 藤乃さんの細い目がさらに細くなった。

「誰がお蕎麦屋さんの話をしているんですか。違います、『更科さらしな日記』です」

 あれ。テーブルとかに置いてある、”ご自由にお書き下さい”というノートの事ではないのか。


「……で、更科日記って何?」


 ☆


「そうしたら、バルス! って言われたんだけど」

 それを聞いて折木戸が爆笑する。

「それは、がっちゃんが悪いぞ。更級日記くらい、乙女の嗜みとして読んでおかなくては駄目じゃないか。まあ、わたしは読んでないけどな」

 確かに僕も折木戸も、乙女とは言い難いところがある。


「ところで、その更科日記にはどんなBL要素があるのだ?」

 いや、いかに藤乃さんでもBLばかり読んでいる訳ではないと思う。この前の『雨月物語』はギリギリの線だったけれど。

 いずれにせよ、読んだことがない僕たちの手に負える問題ではない。


 ということで斎原に聞いてみることにする。僕たちは生徒会室へ向かった。



「なに、わたしの抱き枕になりに来たの?」

 ―――時給30円で。

 冷静に考えると悪くないアルバイトだとは思うのだが、僕が寝不足になりそうなので遠慮しておく。

「いや、違うんだ斎原」

 僕は藤乃さんに訊かれたことを斎原に話した。


 さすがの斎原も首をかしげている。

「うーん、どうだろう。更科日記って平安時代の女官がみずからの半生を振り返って書いたものだしね。BLが入り込む余地はないと思うよ」


 そこで何故か、斎原は含み笑いを浮かべた。

「でもその主人公がね、面白いんだよ」

「私も読んだことあります。源氏物語が大好きなんですよね」

 月沼さんも身を乗り出してきた。

「源氏を読むことに比べたら『きさきの位も何にかはせむ』でしたっけ。その気持ち、すごくよく分かります」

 斎原も、うんうんと頷いている。


 うーん。全く理解できない。


「そういえば、猫のエピソードがあったじゃないですか、斎原生徒会長代理」

「ああ、『大納言の娘の生まれ変わりの猫』ですね」

 なんだ、それは。


「主人公のお姉さんが飼っている猫なんだけど、夢に出て来て『わたしは死んだ大納言の娘の生まれ変わりです』っていうんだよ」

「ほう」

「ええ。ですから彼女のお父さんも一緒になって、じゃあ大納言さんに教えてあげに行こう、という事になったんですよね」

「……大丈夫か、その一家」

 折木戸が少し引いている。


「そういえば、折木戸の家にも猫がいたよな」

「ああ、三代目ノブナガだな。うちの猫は代々ノブナガを襲名しているのだ」

 確か先代はメスの三毛猫だったはずだが。

「あいつも誰かの生まれ変わりじゃないのか。最近、妙に態度が大きいぞ」

「そ、そうかな。別に中の人が織田信長になってたりする訳ないだろう。変なことを言うなよ、がっちゃん。は、はは……」

 もちろん、そんな事がある訳はないのだが。


「源氏物語、か」

 斎原が呟いた。

 あ、と小さく叫んで斎原が顔をあげた。にーっ、と笑う。


「そうかそうか。やっと分かったよ君依くん。……藤乃さんは君依くんに飽きちゃったみたいだね」

 な、なんと。

「どういう事だ、それは。詳しく教えてくれ、斎原」


 ふふふ、と斎原は笑う。

「藤乃さんは『浮舟の君』のように、もっと刺激的な恋を求めているんだと思うよ」

 ああ、そうか。と月沼さんも納得したように頷く。


「そうですよね、実は私も以前からそう思っていました。どうして君依さんなんだろうって。一体こんな人のどこがいいのかと、ずっと不思議でしたから」

 ここぞとばかりに集中攻撃を喰らう。ちょっと泣きそうだ。


「おっと、もう授業が始まるよ。じゃあ、この続きは放課後の図書館で」

 この続きはWebで、みたいな……。


 当然、午後からの授業は全く頭に入らなかった。




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