第54話 しばらく本は見たくない

 呼吸ができなかった。

 僕の上には崩れた大量の本が積み重なり、胸を圧迫されて徐々に意識が遠くなっていった。雪崩に巻き込まれた人の気持ちが初めて分った気がする。

(助けてくれ……、斎原)

 僕の意識は途切れ、目が覚めた。


「あれ……ここは」

 天井が見える。

 今までのは夢だったみたいだ。


 でも、ここ。どこだ? 僕の部屋ではないのは確かだけど。


 夢から醒めても、やはり胸が押さえられているのは変わらない。

 思い切り息を吸い込むと、なんだかいい匂いがした。

 首をまげて胸の上を見る。

 なぜか僕の胸の上には、黒髪の頭が乗っていた。


 えーと。


「あれ……ここは?」

 僕と同じ台詞で斎原は目を覚ました。

 顔をあげたところで、僕と目が合った。


「……やあ、君依くん。おはよう」


 眠そうな目で、ふにゃ、と笑った斎原は、そこでやっと状況に気づいたらしい。


 えーと。

 やはり僕と同じ反応をしている。


「君依くん。念のため訊いてみるんだけれど。これ、女子としては悲鳴をあげるところなのかな」

 うん。よく分らないけれど。

「多分、そうだと思う」


「ああ、もう信じられない。なんで君依くんがわたしの下にいるの」

 それは斎原が僕の上に乗ってきた以外、考えられないけど。


 ☆


 結局僕は一晩中、本の整理をさせられていたのだ。

 斎原は器用に本を積み上げていくが、僕がやるとなぜかすぐに崩れてしまう。積んでは崩れ、崩れては積みの繰り返しだ。

「何やってるの、君依くん。不器用だね」

 冷たい目で睨みつける斎原。

 ここは、賽の河原か。だとしたら斎原は……。

「誰が鬼だって」

 いえ、まだ何も言ってませんが。


 片づけ終わったのは明け方になった頃だった。さすがの斎原もふらふらになっている。もちろん僕は言うまでもない。

「寝よう、君依くん。そこ空いてるから」

 そう言って斎原はベッドを指さした。僕は深く考えず、というより思考力が無くなっていたので、そのままベッドに倒れこんだのだ。


「確かにそう言っただろ、斎原」

「わたしが言ったのは、ベッドと壁の隙間のことだよ。何を勘違いしてるの」

 そんな所で寝るなんて、誰が考えつくか。

「ほら、こんなに埃が溜まってるし」

「わたしにとって君依くんは、お掃除モップと同じくらい大切な人という事だよ」

 斎原は、思い切って告白しました、みたいな顔をしているけれど。

「つまり、僕の体で掃除させようとしただけじゃないのか」

 

「でも君依くんは抱き枕として悪くないね。どう、アルバイトしない、時給30円くらいなら出してもいいよ」

「絶対、やらない」


 ☆


「あれ、がっちゃん。朝帰りか」

 玄関先で折木戸に出会った。どうやら朝のランニングらしい。

「ふん、この匂いは斎原だな」

 相変わらず、その能力には感心するしかないが。


「えっちな匂いはしないから、つまりそう云うことか。……ご苦労だったな」

 ぽん、と僕の肩を叩く。

「今夜はわたしをマッサージさせてやる。ただし一時間1,200円だがな」

 僕が払わないといけないらしい。


「当然だろう、こんな美少女を好きなだけマッサージできるのだぞ。一万円でも安いくらいだ」

 だったら斎原の抱き枕になってるほうがマシだけど。


「あ、燎里かがり。やっと帰ってきたか、この放蕩くん」

 店を開けようとしているあやさんが、にやりと笑った。

「困ったものだね。こんなところはお父さん似だものな」

「ちょっと待て。父さんは単身赴任してるんだよな。帰ってこないのは別の女のとこに入り浸ってるから、とかじゃないよな」

 さー、どうかしらね。とか言っているが。大丈夫か、うちの両親。


「ところで、かがり。昨日買ってきた本、まだ整理してないから。ご飯食べたら手伝ってね」

 しまった。古本市のあとは、これが待っていた。

 もうしばらく、本は見たくないんだけど。


 ☆


『寝台を支配する執事』

 大量の古本の中に、それはあった。

 1巻から60巻くらいまで。ただし途中いくつか欠けた巻もある。3巻とか。

「なんで、こんなものが」

 

「ああ、それ。凄いでしょ、掘り出し物なんだから。もう十年くらい探してたんだよ。こうなるともう商売抜きだからね」

 えへん、と胸を張る文さん。

「まあ、さすがに全巻揃えるのは無理だったわ。もうこの世に存在しないんじゃないかと思うね、特に3巻とか。あー、読みたいわー」

 はあ。やはりそんな希少本なんだ。


「あらすじなら話してやってもいいけど。65巻まで読んだことあるし」

 文さんの目つきが変わった。

「才原から聞かなかった?」

「なに? 未散ちゃんのうちにあるの?」


「母さんも会ったことあるだろ。藤乃さんって子が持ってるんだ。『浴場に欲情する執事』って本も」

 それを聞くと、がたんと音をたてて文さんが立ち上がった。


「かがり、今からその子の家に挨拶にいくよ。こんなバカ息子ですが、末永くお願いしますって」

 落ち着け、母。僕を人質にして本を手に入れようとするな。


「やっぱり駄目? だったらわたしがその子と結婚する! この店、結納代わりに持っていく!」


 よく、古本には魔物が棲むというけれど、ここまで人を狂わせるものとは思わなかった。


 古本、恐るべし。できれば、僕はこれ以上深入りしたくない。

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