第52話 『雨月物語』をもう一度
こうして、またいつも通りの学校生活が戻ってきた。それは拍子抜けするくらい、本当に何も変わらない朝だった。
「まあ、わたしは元々存在感が有りませんでしたから」
久しぶりに登校してきた藤乃さんはちょっとだけ笑う。
でも僕はまた松葉杖を手にしている。
今朝、登校する藤乃さんを見つけて駆け寄ろうとしたところを、後ろからすごい勢いで撥ね飛ばされたのだ。
「師匠! 私です、一番弟子の才原未散です。よもやお忘れではありませんかっ!」
「はい。もちろん憶えています、……けど」
そう言って藤乃さんは、路傍に転がる僕を悲しげに見た。
「あの……君依くん、大丈夫ですか?」
その藤乃さんを制して、才原は、ふんと鼻を鳴らして胸を反らした。もう、それだけで制服のボタンが弾け飛びそうになっている。
「師匠。あんなもの放っておいても平気です。ちゃんと自然に還る素材で出来ていますから、環境破壊の原因にはなりません!」
僕、完全に生ゴミ扱いじゃないか。
「待て、こら才原。……あの、置いていく前に救急車呼んでくれない?」
激痛で足が動かないので。多分折れてるかどうかしてると思う。
まあ、こんな出来事も含めて、元通りだったのだけれど。
☆
「よかったですね、ただの捻挫で」
いや、普通なら結構な事故の筈なのだが。担任の深町先生はおろか、クラスの誰も気にしていない風なのはやはりへこむ。
(やっぱり、君依くんに松葉杖はデフォルトだよね)
とか、声が聞こえるし。
でもこうして藤乃さんのキラキラした瞳を見れて嬉しいのは確かだ。
「ところで、さっき図書館で借りた本なんですけど。こんなものが付着しているんですけど、これも文妖なんですかね」
藤乃さんがその本を差し出した。
タイトルは『雨月物語』、いつか僕たちがデータ登録した本だ。
「
「そうなんです。これ、何かの花みたいに見えませんか」
そのページには半透明な固まりが貼り付いていた。
それは細かな花弁が数多く集まった丸い花のようにも見える。これはやはり菊なのだろう。
「ですよね。菊、というのが大事だと思うんですよ」
藤乃さんの頬が赤くなっている。何に対して興奮を覚えているのか僕には分らないけれど、少し不穏な感じがするんですが。
「だって、菊といえば『菊門』じゃないですか!」
それは、そんな大声で言って大丈夫な事柄なんだろうか。一般的にはそういう共通認識はないと思うぞ。
「ここに、日本BL小説の原点が有ったんですよ。これぞJBLです!」
藤乃さんは両手をぐっと握って、感慨深げに天井を仰いだ。
ああ。なんだか以前にもそんな事を言っていたような気がする。でもJBLというと全く違うものになるから。たぶん音響機器メーカーだし、それ。
「魂だけになっても、愛する男のところに行こうとしたんですね、彼は。……なんだか他人事とは思えません」
藤乃さんは、もう瞳がうるうるとしている。そうかもしれない、文妖になって、この学校に来ていた藤乃さんだから。
どうやら、今度は『雨月物語』から僕たちの物語は始まっていくらしい。
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