第50話 ラブコメのような朝

「申し訳ない、がっちゃんが大変見苦しいものを晒してしまったな」

「いえいえ、若いというのは結構なことです。でもこの旅館内で、あまりハードなことはご遠慮くださいましね」

「まったく、面目ない。以後、気を付けることにしよう」


 折木戸と若女将さんの会話を、僕は部屋の隅で膝を抱えながら聞いていた。見られてしまった、裸の下半身を。

 もう若女将さんと顔を合わせられない。



「なんだ、食欲がないのか、がっちゃん」

 折木戸は、あっけらかんと僕の料理に手を伸ばす。

「これは何だろう、ニンニクの挟み揚げかな?」

 明らかに周りの白身魚よりもニンニクの量が多い。どうやら今夜も新婚さん限定メニューらしい。


「なあ、折木戸。僕の食欲がない理由が分るか」

 怒りを押し殺し、低い声で凄んでみた。

「うん? なぜだろうな」

 折木戸は首をかしげ、おお、そうかと手を打った。


「さては、わたしの見ていないところで間食をしたのだな。だめだぞ、がっちゃん。いつも言っているだろう、食事前にお菓子を食べ過ぎてはいけない、と」

 いや、そんな子供じゃないから。


「しかし、よく食べるな、お前」

 自分の料理を平らげてしまって、僕のにも手を出し、さらにご飯を何回もお替わりしている。

 折木戸って、普段こんなに食べるやつだったっけな。


「そうだな。自分でもびっくりしているぞ。がっちゃんと一緒だと、食事がこんなに美味しいんだな、と思ってな」

 頬がほのかに赤くなり、目も少し潤んでいる。


 驚いた。折木戸なのにすごく可愛い、というか色っぽい。よく見ると浴衣がすごく似合っているし。繰り返すが、信じられない。折木戸なのに。


「なんだ、がっちゃん。そんなに見詰めないでくれ、照れる」

 ちょっとうろたえた様子で、杯をくいっと呷る。

 ……杯?


「お前、酒飲んでるじゃねえか!」

 折木戸はとろん、とした目を僕に向けた。

 色っぽいと思ったら、単に酔っ払っていただけだった。


「何を言う。わたしは高校生だぞ。酒など飲むわけがあるまい。そんな問題になりそうな発言は控えて欲しいものだな。だいたい、がっちゃんはだな…」

 どうも絡み酒らしい。

「分った、じゃあそろそろ、部屋に戻ろう」

「うむ。よかろう」


 折木戸は座ったまま両手を伸ばす。にへっ、と笑っている。

「なんだ、折木戸」

「抱っこして」

 僕は、黙って折木戸の顔面を足の裏で踏みつける。


「なんだ、がっちゃん。わたしのように重い女は嫌いか?」

「いわゆる『重い』の意味が違うだろ、お前は文字通り重たいんだ」

 だって僕より身長があるんだから。


「でも困ったな。なぜか立ち上がれないんだけど。ああ、酔っ払って、というのがマズければ足が痺れた、という事にしておいてもいいぞ」

 なぜか、じゃないだろ。だがそれなら仕方ない。折木戸に背中を向けてしゃがむ。


「へへ、かたじけない」

 折木戸の腕が僕の首に回された。背中に胸が押しつけられる。

「う……むぅ」

「なんだ、その残念そうなため息は。悪かったな斎原じゃなくて」

 それは置くとして。立ち上がったはいいが、歩けないぞ。


「ほほう、これはあれだな。母を背負ったら、あまりに軽くて三歩も歩けなかったという……」

「池に放り込むぞ」


 ☆


「しかし、どういう事なんだろうな。藤乃がいっぱい発生したというのは」

 布団にあおむけに倒れ、眠そうな声で折木戸が言った。

「ああ、それは藤乃さんのお祖父さん、高代さんから贈られた本から発生した文妖だと思う。なにかのきっかけで同時に出てきたんだろうな」


「ふーん。まあ、だったら斎原才原に任せておけば大丈夫か」

 あの二人を漫才コンビみたいに言うな。


「ところで、がっちゃん。わたしはもう限界だぞ。やることをしようではないか。ほら、わたしは今ちょうど下着をつけていないしな」

 そう言って折木戸は片膝をたてた。

 浴衣の裾が開き、白い内腿まで顕わになる。その奥にはなんだか黒っぽい物が見えているし。一瞬で僕の理性が蒸発した。


「お、折木戸ーっ!」

「待っていたぞ、がっちゃん」


 僕は折木戸に覆い被さる。彼女の浴衣の裾を掴んで、ばっ、と左右に拡げた。

 きゃん♡ 折木戸が可愛い悲鳴をあげた。


「あの、折木戸……」

 そこで僕の手が止まった。

「なんだ、がっちゃん」

 うん、少し言いにくいのだが。


「なんでブルマーなんか、はいてるんだ」

 確かにこれは下着とは言わないだろうけれど。だから下着をつけていないというのは決して嘘ではないのだけれど。


「うん? これが趣味なのではなかったか?」

「誰もそんな事は言っていないから」

 これは斎原の持ち物だし。なぜ斎原がこんな物を持っているのかも謎だが。


「まあ、いいではないか。こっちにおいで、一緒に寝るぞ」

 そう言うと折木戸は僕の手を引き寄せて腕枕にすると、すぐに寝息をたてはじめた。

 僕たちが一線を越えられない理由はこんな所にもあった。

 折木戸って、寝付きが良すぎるのだ。おまけに朝まで絶対起きないし。


 


「がっちゃん、大変だ。起きてくれ!」

 気付くと朝になっていた。窓の外で雀がさえずっていて、ラブコメなどでよくありそうな朝の風景なのだが。

「……なんだよ、折木戸」


「これは、どういうことだ、がっちゃん」

 折木戸はしきりとお腹を気にしている。訴えかけるような目で僕を見た。


「正直に言ってくれ。このお腹の子は、がっちゃんの子なんだよな」

 たしかにお腹がぽっこりと出ている。

「それに、この気分の悪さは、つわりというものではないか」


「そんなに早く妊娠するか。お前、昨夕、食べ過ぎなんだよ」

 優に三人前くらい食べていたぞ。……それに、気分が悪いというのは二日酔いの可能性もあるのだが。


「だいいち、何もしてないからな。その、妊娠するような事はっ」

 折木戸は口をへのじに曲げた。

「そんな気休めは聞きたくないぞ、がっちゃん。男なら、認知すると言ってくれ」


 だから、お前は現実を認識してくれ。 



「ああ、酸っぱい物がたべたい」

 朝食の間、言い続けていた折木戸は、おみやげに梅干しを買い込んでいた。



 僕たちは、若女将さんの微妙な笑顔に送られ、帰途に就いた。



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