第49話 今夜こそ一線を越えるのだ
遠ざかる戦闘ヘリを見送って、僕たちはまた家の中に戻った。
「いい君依くん、ちゃんと領収書をもらってね!」
ヘリに吊り上げられながら、悲鳴まじりに斎原が叫んでいた。旅館はもう一泊予約してあるのでキャンセル料が勿体ないからと、僕と折木戸が残ることになったのだ。
「いずれにしても、二人しか乗れないのだがな。あのヘリは」
藤乃さんはやはり眠ったままだった。
「なんだか、笑っているように見えないか?」
折木戸はその顔を覗き込んだ。つんつん、と頬を突っついている。
そう言えばさっきと表情が変わっているようにも見えた。少し穏やかな顔になったような気がする。
「きっと良い夢を見ているのだろうな」
これは、藤乃が自分で目覚めたくなるのを待つしかないのだろう、折木戸はそう言って藤乃さんの髪を撫でた。
「この本は置いていきます」
僕は『動物記』を藤乃さんのお母さんに手渡した。
「あそこは、まるで別世界だったな、がっちゃん」
藤乃さんのお父さんの車から降りて、折木戸は呟いた。旅館の近くで降ろしてもらい、しばらく歩くことにした。
別世界、そう、まるで藤乃さんが見ている夢のような。
「だが、藤乃が元気そうでよかった。いやまあ、元気と言うと、がっちゃん的には語弊があるかもしれないが」
折木戸は僕を見て肩をすくめた。
☆
「お帰りなさいませ、あら?」
僕たちを見て、若女将さんが首をかしげた。そうだろう、明らかに一人は別人になっているのだから。
「すみません、連れは急用ができて帰ることになりました」
「へえ……ふふ、いいですよ。若いっていいですわね」
意味深な笑顔を向ける若女将さん。どうも何か誤解があるようだが。
「わたしは君依
折木戸がめずらしく礼儀正しい言葉遣いになって……いるのだろうか。
「だから今晩の布団は一組で十分だぞ」
は?
「それから、夜中にあられもない声を上げていても、お気になさらないよう頼む」
「はいはい。心得ていますとも」
折木戸、一体何をするつもりだ。若女将さんも、はいはいじゃないから。
☆
「がっちゃん。わたしは知ってしまったぞ。一線を越えるとは、ああいうことでは無かったのだな」
居室に入り、お茶を飲みながら折木戸は熱く語り始めた。僕は額を押さえた。どうやら折木戸は禁断のリンゴを囓ってしまったようだ。
「ああー、裸で一夜を過ごしただけでは駄目だったのか。なぜ教えてくれなかったのだ。おかげで恥をかいたではないか」
得意げに、斎原と藤乃さんに自慢してたらしいからな。
「そんな事では赤ちゃんは出来ないと、才原に死ぬほど笑われてしまったぞ。責任は取ってもらうからな、がっちゃん」
「あの、折木戸。僕の子供がほしいと云うことか?」
折木戸は急に赤くなった。
「い、いや。そこまでは望んでいないぞ。わたしは
うーん。どうにも、よく分らないやつだ。
「お、おおー。なんと露天風呂があるではないか!」
部屋の中を見て回っていた折木戸が声をあげる。
これは、デジャ・ヴュ、というやつだろうか。
「もうこれは一緒に入るしかないな、がっちゃん」
……完全に昨夜の繰り返しだった。
まあ、でもそこは折木戸だから、スクール水着ではないだろう。
「なあ、がっちゃん」
折木戸が困惑を隠せない口調で言った。
「これは何だ。がっちゃんの趣味なのか?」
旅行バッグの中を覗き込んだ折木戸がそれを取り出していた。よく見ると斎原が忘れていったバッグだった。
「いや、これを着ろというなら、着ることにやぶさかではないが……」
折木戸が手にしているのはスクール水着とブルマーだった。
「がっちゃん。どこでこんな物を手に入れたのだ。わたしはその方が心配だぞ」
折木戸に心配されてしまった。
いや、だからそれは斎原の持ち物で。
「斎原、可哀想に。がっちゃんの毒牙にかかってしまったのだな……」
別にそういうプレイとかじゃないし!
「よし、分った。がっちゃんもいつまでも子供ではないのだな。こういうのが好きだというのなら、甘んじてその辱めを受けようではないか」
お前、僕をどんな奴だと思っているんだよ。
☆
僕は露天風呂にはいっていた。けれど。
「あのさ、折木戸。なんで僕は目隠しされているんだ」
おまけに両手首が頭の後ろで縛られているし。
「だって恥ずかしいじゃないか。全裸なのだぞ、こんな年頃の男女が」
なら無理して一緒に入らなくてもいいと思うのだが。それに、いつも裸に近い格好で僕のベッドに入って来るくせに。
「おい、何だか水流が僕の股間に当っているんだが、お前、何をしているんだ」
「え、別に何でも無いぞ。ほほう、こんなに揺らぐのだな」
あのちょっと折木戸。なんだか少し、気持ち良くなってきたんだけど。
「おおう、これぞ人体の神秘!」
やめて、恥ずかしいからっ!
「ああ、堪能した。では先にあがるからな」
「折木戸、その前に縛った手をほどいてくれ。目隠しもだっ」
無理に手を動かすと、どんどん首が絞まってくるのだ。でも、どうにか露天風呂から這い上がることはできたのだが。
「お食事の準備が出来ましたよ……」
その後、若女将さんの悲鳴が聞こえた。
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