第47話 文妖の森に眠る

「古来、寺社というものは文書の印刷を行っておりましてね。出版業の元祖と言ってもいいのですよ」


 羽衣滝ういたき神社の神主、高代こうじろさんは神社奥の石段を登りながら静かに話し始めた。

「百万塔陀羅尼とか護符ですね」

「ええ。うちの神社は紙漉きから印刷までを行う工房を備えておりまして。その点では、図書寮さんとも縁があると言えるでしょう」


 斎原と高代さんは息も切らさず、急な石段を軽々と登っていく。

「ちょっと、何やってるの君依くん。早く来なさいよ」

 僕は膝がガクガクになりそうだ。


 やがて細い径は下りになった。舗装されていない土の道だ。きれいに道端の草は刈ってあるので歩きやすくはあるのだが。

「蛇が出ますから、気をつけてくださいよ」

 高代さんがにこやかに、嫌なことを言う。


 異世界に紛れ込んだのかと思った。


 竹林を抜けると、小高い丘に囲まれた中、きれいな小川のほとりに茅葺き屋根の古民家が建っていた。そしてその周囲には何棟もの木造の建物。これが高代さんの言う工房なのだろう。なんだか不思議な光景だった。


「日本昔話の世界みたいだね。『舌切りすずめ』とか」

 ほうっ、と斎原がため息交じりに呟いた。

「だとすると、意地悪ばあさんは入らない方が良いんじゃないか」

「それは誰のことを言っているのかな、君依くん」

 すごい目で、斎原に睨まれた。


 ☆


「はあ、家の中も昔のままの造りだ」

「これは斎原家うちと同じくらいの年代物だね」

 僕たちは口が開いたままになった。頑丈そうな柱に太い梁。斎原の家はどこか貴族的だが、ここは完全に実用を基本とした民家だった。


「君依くん……でしたっけ」

 母屋の奥から一人の女性が出てきた。顔が藤乃さんにそっくりだった。

「あ、藤乃さんのお母さん」

 一度、会ったことがある。すぐにもう一人出てきたのは。

「わざわざ来てくれたのか、君依くん」

 これは藤乃さんのお父さんだった。お父さんの方は、胸が藤乃さんにそっくり、と折木戸が言っていた。コメントは差し控えるが。


 藤乃さんの姿をした文妖がその後ろに隠れるように姿を見せた。こうして並んでいると、普通の家族のようにしか見えなかった。


「あの。藤乃さんは……」

 ご両親は顔を見合わせている。

「由依はここにいるんですけれど、……でも」

 困惑した表情で二人は斎原の方を見た。どうやら、斎原のほうに問題があるらしい。

「わたしが、何か?」


「いえ。そうではないんですが、あなたは図書寮の方ですよね。しかも、文妖を鎮めるのを専門とされているとか」

 藤乃さんから伝わっていたらしい。

「はい。まだ未熟者ですが」

 うーん、と藤乃さんのお父さんは唸った。


「いいじゃないか。せっかく来て下さったのだ。会ってもらいなさい」

 高代さんが声をかけてくれた。

「ですが、お父さん。由依は……」

 逡巡するその袖を引き、お母さんが僕たちを見て頷いた。


「案内します。どうぞ、上がってください」


 ☆


 一番奥の部屋は障子越しに光が入っている。ただ、古民家に似つかわしくないのは、部屋に漂う消毒薬の匂いと並べられた医療機器だった。


 壁際にベッドが据えられ、藤乃さんが横たわっていた。

 額には電極が貼り付けられ、鼻や腕には何本ものチューブが差し込まれている。痛々しい姿だったが、藤乃さんの表情は意外と穏やかだった。


「こうしてずっと眠っているんです」

 お母さんが静かな声で言った。

 文妖が同じ顔で、眠る藤乃さんを覗き込んでいる。


「この文妖を消したら、どうなるんでしょうか。これが存在する事で藤乃さんが目覚めないのではないですか」

 斎原がベッドの傍らに立つ文妖を指差して言った。

「それは、まったく逆です」

 慌ててお母さんが割って入る。


「由依は、文妖の力で生きているんですから」




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