第46話 藤乃さんとの再会

「ここ、だよね」

 斎原はそれを見上げて言った。

 石造りのその鳥居には『羽衣滝ういたき神社』と、額が掛かっていた。

「神社だったんだ……」


 僕たちは一礼して鳥居をくぐる。

 幹線道路からやや離れた場所というせいもあるだろうが、境内はしん、と静まりかえっていた。巨大な杉や銀杏の木が、この神社の歴史を感じさせた。

 ただ敷地自体はこぢんまりとしていて、すぐ正面に本殿があり、脇にやや新しい社務所が建っている。

 地面に露出した木の根っこに注意しながら本殿へ進んでいく。


「何か、ご用ですかな」

 横から声を掛けられた。神職の装束を纏った老人が庭を掃き清めているところだった。僕たち二人を交互に見て不思議そうな顔をした。

「こんな寂れた神社に参拝とは。珍しくも、有り難いことですが……」


「藤乃由依さんをご存知ですか」

 老人は目を細め、伺うように斎原を見た。

「お嬢さんは一体?」


「わたしは東雲高校の図書委員長で、斎原美雪といいます」

 そして、

「彼は単なる従僕です。お気になさらずに」

 そうですか。と頷くおじいさん。

 段々、僕の扱いが酷くなっているようなのだが。


「由依の事は、皆さんには伝えていない筈でしたが……」

 この羽衣滝神社の神職で、高代こうじろと名乗ったその人はやはり藤乃さんのお祖父さんだった。困惑した表情で口ごもる。

「どうやってここを突き止められたのですか」


「寄贈いただいた本の蔵書印と、藤乃さんが持っていた本に挟まれた栞の紋様が同じだと云うことに、この彼が」

「そんな事より、藤乃さんはどこにいるんですか」

 僕は斎原を遮って、身を乗り出した。


「由依はここにはいませんよ。入院していて……」

 高代さんは言葉を途切らせた。唇が震えている。

「ずっと、意識が戻らないのです」


 ☆


 二人の女子生徒が図書館で藤乃さんに乱暴し、彼女の本を破り捨てた事件。才原さいばら未散みちるが激怒し文妖を暴走させた、あのすぐ後からだという。


「やっぱり、あれからしばらくは藤乃さんじゃなくて、藤乃さんの姿をした文妖が学校にいたんだね」

 本当の藤乃さんは、数日後、容態が急変し、救急搬送されて、今はこの近くの病院へ転院しているそうだ。

 そして、それから意識不明の状態が続いている。


「まあ、こんな事は昔からよくあったから。そんなに心配はしなくていいんだよ」

 だがその表情は、高代さんの軽い口調を裏切っている。


「ですが、高代さん」

 斎原が何かに気付いた。神社の方を指差す。

「じゃあ、あれは誰です?」

 僕もその方向を見た。


 ☆


 ほっそりした少女が、制服姿で神社の石垣に腰掛けていた。

「藤乃さん!」

 僕は思わず大声で呼びかけていた。


 藤乃さんは全く表情を変えないまま立ち上がると、神社の後ろに小走りで消えていった。

「あれも文妖みたいだよ、君依くん」

 冷静な斎原の声。

 そんな事は分っていた。でも僕は後を追わずにはいられなかった。


「あなた方にも、あれが見えるのですか」

 高代さんは、さすがは図書寮、と小さく呟く。

「ええ。ですが意志の疎通などは勿論できませんが」


「ああ見えても、所詮、人ならざるもの、ですからな」

 哀しげに頷く高代さんだった。


 僕は藤乃さんを追いかけて、神社の裏まで来ていた。そこから、さらに苔むした石段が裏山まで続いている。

「藤乃さん! 待ってくれ」

 僕が呼びかけると、石段の途中で彼女は足を止めた。ゆっくりと振り返る。文字通り透明な表情だった。わずかに背後が透けて見える程に。


「捜さないで下さいって、言いましたよね」

 僕は驚いた。まさか喋ってくれるとは思っていなかったからだ。

「藤乃さん……本当に文妖なのか?」

 こうして会話が出来るなんて、実は本物じゃないのか。


 藤乃さんはしばらく考え込んだが、ゆっくりとブラウスのボタンを外し始めた。

「あ、あの。ここで?」

 いや。何がここでなのか、深く考えていた訳ではないのだが。


 そっと、胸元を拡げる藤乃さん。

「ああっ……」

 シンプルな下着に包まれた藤乃さんの胸は、やはり、ささやかな大きさだった。


「あからさまに落胆しないで下さい。見て欲しいのはそこじゃありません」

 もしかして、下着をずらしてもいいのだろうか。……では、遠慮なく。

「怒りますよ」


 もちろん、僕にも分っていた。

 この藤乃さんには、胸の傷がなかった。

 本当に、文妖なのだ。


「では、なんで、藤乃さん、いや、えーと。君とこうして会話ができるんだろう」


 藤乃さんは僕のバッグを指差した。

「その本です。ちゃんと修理してくれたんですね」

 僕はそれを取り出した。藤乃さんのお祖父さん手造りの和本だった。一度ひどく破損したために、元通り、きれいに修繕出来たとは自分でも言い難い。見る度に胸が痛む気がするくらいだ。

 だがこの本が媒体となって、目の前の文妖と僕を繋いでいるらしかった。


「本当に、君に迷惑をかけたくないんです。このまま帰って下さい。お願いです」

 泣き出しそうな表情で、藤乃さんは僕に訴える。

「それは、……それは藤乃さんの気持ちなのか」

 でも本当に藤乃さんがそう思っていたとしても、僕は……。


 背後に斎原たちが追いついて来た。

「君依くん、どうしたの」

 斎原が僕の顔を覗き込んだ。

「藤乃さんは、僕に会いたくないみたいなんだ……」

 その時、僕は半泣きの表情になっていたと思う。


 ぐい、と僕の胸元が掴まれた。

「そんな泣き言は聞きたくない。藤乃さんのところへ行くよ」

 僕はその手を振りほどく事ができなかった。普段の斎原からは考えられない程の強い力だった。

「だって。でも、どうすれば」


 斎原は僕から手を離し、胸の前で腕組みをした。 

「君依くん。……眠れる森の美女を起こす方法は一つだよ」

 まさか、斎原?


「わたしたちがキスしてるところを、見せつけてやるの」

 いや、それは少し違うと思うのだが。



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