第45話 藤乃さんの手がかり

「なあ、斎原」

 僕は我に返った。あー。つい、キスに夢中になってしまっていた。口の周りを手の甲で拭う。

「……なに? 君依くん」

 斎原は蕩けきった表情で目を開けた。目がとろんとして、頬が赤く染まっている。改めて、斎原は可愛いと思う。

 でも。

「僕たちはここで何をしてるんだ」

「え?」



「まったく、君依くん。そういう事は早く言いなさいよ」

 僕の腕を振り払い、浴衣の衿元とか裾を直しながら斎原が怒っている。

「ここの文妖を本に戻すんでしょ。なのに、ここぞとばかり、わたしの身体をもてあそんで。ああ、もう、どうしよう、これじゃ君依くん以外にお嫁に行けないじゃない!」

 完全に、二人とも目的をはき違えてしまっていた。でも、本当にキス以外はしていないから、って。

「なに斎原。いま、お嫁に、って言った?」


「そんなこと言ってません!」

「いや、でも確かに…」

「言ってません。それ以上、何か喋ったら、幼女にして異世界に追放するからね」

 ……お前は存在Xか。


「まったくもう。君依くんは相変わらず君依くんなんだから」

 そう言って、斎原は浴衣の裾を払って立ち上がった。

「はい、続きやるよ……、あ、続きと言っても文妖の処理の方だからね」

 そう言いながら斎原は困った表情を浮かべた。

 うーん、と渋い顔だ。


「どうしよう、あんまり怒ったから口の中が乾いちゃったよ」

 斎原は僕を見下ろした。

「あのね、君依くん。もう少しだけ、……君の遺伝子を補給してもいいかな」


 ☆


「驚きました。変な気配が無くなってますよ」

 若女将さんが図書室に入って歓声をあげた。そして振り返って僕たちの顔を心配そうに覗き込んだ。

「あれ、どうしたんですか。すごくお疲れの様子ですが」

 いや。疲れたというか。


「そうですよね、こんなに大量の文妖を一晩で消すなんて、いかに図書寮の方でも大変ですよね。ありがとうございました」

 若女将さんは大喜びなのだが、……、言えない。文妖処理より、斎原といちゃついていた時間の方が長かったなんて。


「どうぞ、朝ごはんの用意ができてますよ」

 今朝は薄化粧らしい若女将さんが無邪気な笑顔をみせた。最初の印象より、ずっと若いみたいだ。僕たちとそんなに変わらないのかもしれない。

「それよりもお風呂がいいですか。いまなら大浴場が貸し切りに出来ますよ」

 別にやましい事はしていないのだが、結構汗だくになった僕たちにはすごく魅力的な提案だった。


入浴はいる、斎原?」

「ま、まあ。せっかくだからね。でも君依くんは、庭の池で十分でしょ。ほら、ドクターフィッシュも、あんなにいるじゃない」

 ああ。古い角質を食べてくれるというドクターフィッシュ。

 いやいや。


「あれは、普通の鯉だから。英語でいうとカープだから!」

 更に正確に言うなら、錦鯉だが。


「あの。実は、池に入って頂くのは公然猥褻に問われますので。たとえお客さまの趣味であってもそれはお断りするしか……」

 若女将さんが申し訳なさそうに頭を下げる。

 いや、そんな事考えてもいませんでしたけど。


 ☆


「ああ、羽衣滝ういたきさんですね」

 食事が終わり、これから向う先の住所を見せた途端、若女将さんは声をあげた。

 この辺りでは有名な、由緒ある家なのだそうだ。


「この前から、お孫さんが戻ってきてるらしいですよ。でもなんだか、病気だとかで、すぐ入院されたと聞きましたが」

 僕は斎原と顔を見合わせた。


 やはり、藤乃さんはここにいた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る