第44話 滅びゆく図書室

「そうやって一体何を嗅ぎ回っていらっしゃるのです、お客さま?」

 どこか年齢に似合わない古い言い回しで、若女将さんは斎原を睨んだ。

「さあ、ここで正体を明かしていただきますよ」


「東雲市の斎原といえば、お分かりでしょ?」

 斎原はそう言って、浴衣の中からIDカードのようなものを取り出した。

「わたしたちは斎原特殊書籍研究室の者です」

 斎原家の家紋らしきものが表面に印刷されている。


 斎原、それはもしかして……。僕は気付いた。

「いま胸の谷間から出さなかったか?」

 思わず覗き込んだ僕は、斎原の裏拳を浴びて、鼻を押さえうずくまった。


「やはり、図書寮の……。でも、ならば尚更です。この部屋を見られたからには、ただで帰す訳にはいきません」

「ほう、わたしを図書寮の斎原と知って、まだ抵抗するつもりですか」

 思い詰めたような若女将さんに対し、斎原は強気な姿勢を崩さない。

 若女将さんは、ぐっと言葉に詰まった。


 しかし、すぐにまた邪悪な表情を浮かべて、斎原を見返した。

「本当はこんな事はしたくありませんが、仕方ありません。お二人の宿泊料金を3割増しにしちゃいます!」

 ……あの。若女将さん?

 だが斎原は呻いた。相当なダメージを受けた様子だ。ぐらり、とよろめく。


「な、なんと卑劣な。……分りました。この部屋は見なかった事にします」

 案外簡単に折れたな。


「だって、仕方ないよ。うちの会計担当は」

「うん。それは何度も聞いた」


「でも、もし良ければ理由を教えてもらえませんか。この図書室が、こんなに荒れてしまった、その訳を」

 斎原の言葉に、若女将さんは俯いた。


 ☆


「実は、私は本が嫌いで」

 若女将さんは、指先でそっと涙を拭った。よくみると八重歯が可愛い。


「そうでしょうね」

 斎原が容赦なく言った。まあ、これだけ文妖が増えるまで放っておいた時点で、本好きではあり得ないだろう。

 要するにズボラで、図書室の管理を怠っていたという事らしい。


「いつからか、この図書室を利用した人から色々な噂が立つようになって……」

「それも、でしょうね」

 よっぽど鈍感でない限り、病気になってもおかしくない程の文妖濃度なのだ。

「こんな状態だと、きっと莫大な罰金を取られるのでしょう」

 そう言って斎原の顔色をうかがう。


「そんな事やってるのか、斎原家って」

 文妖の発生源を取り締まって、罰金を科しているとは。結構、極悪非道だ。

「いや、知らないよ。うーん、でも特殊書籍研究室の活動資金がどこから出てるか不思議だったけど、こういう事だったのね」

 斎原家、恐るべし。

「でも、僕たちがそんな事する訳にもいかないだろ」

「それは、あくまで臨時職員だからね。たしかに権限はないけどさ、うーん、でもね……惜しいよね」

 斎原は不承不承、頷いた。やはり金の匂いに敏感なやつだ。


「よし。じゃあ、わたしと君依くんで、ここの文妖退治をしますか」

 斎原は顔を赤くしながら言った。

「もちろん、君依くんの遺伝子の力を借りてね」


 ☆


「も、もうちょっと強めに……、そう、あ、だから胸は触らないで」

 後ろから斎原を抱く格好で、僕たちはその図書室へ入っていった。

 斎原が本棚の本に触れる度、文妖が消えて行くのが分った。


「あ、あの斎原……」

 しばらくして、僕は自分の異変に気付いた。次々に文妖を消滅させていくと、身体が重いというか、だるさを感じ始めた。

 力が入らなくなり、斎原の後ろで、膝をついた。

 ちょうど顔の正面に斎原のお尻が来たが、それはただの偶然だ。


「あ、ちょっと。お尻に顔を埋めないで、この変態!」

「……ごめん。でも、わざとじゃない。……なんだか立っていられないんだ」

 ものすごい疲労感に、僕は意識を失いそうになる。そしてそのまま床に倒れこんでしまった。


「君依くん、しっかりして。ああ、やっぱりこの方法は限界があるのか」

 斎原が何か気になる事を言っている。


「おい、斎原。まさか原因が分ってるのか?」

「え、ええ、まあ。……、だけどこれ、君依くんが体力が無いのがいけないんだからね。本当にもう、君依くんったら。ちゃんと反省しなさいよ」

 一体、なんで僕はこんなに責められているんだろう。


「君依くんがこんなにひ弱だとは思わなかったよ。まだ図書室の四分の一も終わってないのに」

「それって、僕の生命力か何かを使ってる、という事か?」

「う、うーん。そうとも言うけどね」


 ☆


 しばらく斎原の膝枕で休んでいると体力が回復してきたようだ。

 やはり、膝枕は斎原に限ると思う。藤乃さんは細すぎて頭を載せるのも憚られるし、折木戸の足は筋肉が付き過ぎて固そうだ。

 この適度に肉付きがよくて柔らかい太もも。それに、なんだかいい匂いがするし……。


「ちょっと、君依くん。いま、なにかエッチなこと考えてるんじゃないの?」

「なんだよ斎原。まるで僕の心を読んだみたいな事を言うな。そんな訳ないだろ」

 ふーん、そういうと斎原は僕の顔から目を逸らした。

 僕も斎原の視線を追う。その先で、僕の浴衣の裾がはだけて、パンツが見えていた。

「……、あれは何」

 氷点下の声で斎原が言った。

「あ、あれは膨らむ好奇心、というか、子供たちの簡易テントというか、そこは、その……」

「最低」




「やはり、君依くんの遺伝子を直接摂取した方がいいみたいだね」

 常時接触していては、斎原の代わりに僕の体力が急激に奪われていくのだ。つまりこの状態では、斎原にとっての僕はロケット打ち上げの際のブースターみたいなものとして働くらしい。延々と体力を搾り取られていくのだ。

 

「これは君依くんのためなんだから、勘違いしないでよね」

 斎原の目付きが妖しくなった。ごくり、と唾を呑み込んでいるし。

 別な意味で、僕は体力を根こそぎ奪われそうだった。


「ちょっと待ってくれ、斎原」

 僕はどうにか身体を起こした。

「僕はこんな形で貞操を失いたくはないから!」


「今更、何言ってるの。折木戸さんとは一線を越えたらしいじゃない」

 ああ。それは。

「折木戸の一線は、午前0時のことだから」

「言ってる意味が分らないですけど」

 斎原の頬がピクピクと動く。


「いつもは日付が変わるまでに追い返していたからな。でもその日は、ちょっと訳ありで朝まで居たから、それを一線を越えた体験、と言っているだけなんだ」

 いわゆる一線とは少し違うのだ。

「どんなシンデレラなのよ、折木戸さん」

 斎原は額を押さえた。


「じ、じゃあ、キスまでにしてあげる。だからわたしに力を貸して。それならいいでしょ?」

 でも、これだけの文妖を処理しようと思ったら。


 唾液が枯れ果てるんじゃないか。


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