第43話 安達ヶ原の一夜
「だけど、どうするんだよ斎原」
その斎原は正座したままお茶を飲んでいる。勢いに流されてここまで来てしまったけれど、これ以上は流石にまずい気がする。
「本当にふたりで泊まるのか。しかも同じ部屋で」
「こ、これはあくまでも調査のためなんだから、勘違いしないでよね。二人でお泊まりするのが目的じゃないんだから」
そういう斎原の目が、思いっきり泳いでいた。
「やはり、別々の部屋にしてもらった方がいいのでは……」
「何いってるの。斎原家の会計担当者は厳しいんだからね。これ以上の追加料金なんて事実上不可能なの。もう私たちは、ふたりで泊まるしかないんだよ。それに、わたしは、別に君依くんのことを取って喰おうとか考えてる訳じゃないんだから。本当に、本当なんだから」
やたらと饒舌だし、なんだか斎原の目が怖い。
☆
「うわー。ちょっと、すごいよ君依くん。見てみて!」
部屋の中を見て回っていた斎原は窓際で歓声をあげた。
「ほら、露天風呂がある。一緒に入ろうよ」
僕は飲みかけたお茶を吹いた。
「あれ、嫌なの?」
斎原、何を言っている。
「まさかな。それが斎原の命令なら僕は従うに決まっているだろう。だって僕はお前の従僕なんだから」
テーブルを拭きながら僕は言った。とうとう自分で従僕だと認めてしまったが、斎原と入浴するためなら、そんなの些細なことだ。
「よし、じゃあ君依くん。先に入っていて。すぐにわたしも入るから」
どうも本気らしい。
僕は斎原の気が変わらないうちに、浴衣を持ってその露天風呂に向かった。
それは二人でいっぱいになるくらいの小さな岩風呂だった。西向きだったおかげで、正面に夕日がきれいに見える。
見渡す限りこの旅館の敷地らしい。外から覗かれる心配はなさそうだ。
「あ、熱っ」
最初はちょっと温度が高めに感じたが、すぐに慣れた。そのまま岩に背中をもたれかけると、ざらっとした感触が気持ちいい。
「お邪魔するよ、君依くん」
斎原が僕のとなりに入って来た。
「お、おう」
バスタオルを外して湯船に浸かった斎原を、精一杯横目を使って観察する。
「って、水着じゃないかっ!」
しかも、うちの高校で正式採用されている、いわゆるスクール水着というやつだ。
「え、何を期待してたの? 裸でなんて入る訳ないでしょ」
そう言われると返す言葉も無いのですが。
「テレビでも『撮影のため水着を着用しています』とか出てるじゃない」
「がっかりだよ、斎原。おまえがそんなマスコミの悪習に染まっているとは思わなかったぞ」
これは決して斎原の裸が見たいという意味ではない。ただ単に、現在のマスコミの在り方について高校生としての純粋な意見を表明するという……。
「わかったよ。じゃあ脱ぐから。ちょっと向こうむいてて」
そう言うと斎原は水着の肩紐に手をかけた。
「すみません、冗談でした。勘弁してください!」
☆
「ああ、いいお湯だったね」
僕は色んな意味でのぼせそうだったが。
斎原は可愛らしい花柄の浴衣に着替えていた。僕のはよくある縞模様だ。
「へえ、君依くんって浴衣が似合うね。足の短さが隠れて、格好良さが一割増しだ」
どうも褒められている気はしない。
だが、斎原。僕は目のやり場に困る。
身長に合わせた斎原の浴衣は全体的に小さめだ。その結果、胸元の合わせ目の辺りがちょっと、その、危ないことになっている。
「けしからん。けしからんぞ、斎原」
「ちょっと。なに言ってるの、君依くん」
いや、何でも無い。風呂上がりで鼻血が出そう。
「お食事の用意ができました」
ちょうど見計らったようなタイミングで、さっきの若女将さんがやって来た。案内してもらい、食事会場へ向かう。
「ここから本館になります」
渡り廊下の突き当たりでそう教えられた。確かにさらに古色蒼然といった雰囲気になっている。
しん、と静まりかえった廊下を歩いて行くと、ある扉の前で彼女は立ち止まった。古い洋風の扉には時代がかった文字で『図書室』と刻んだ金属板が取り付けてある。
「この部屋には立入をご遠慮ください」
「どうしてですか」
斎原が眉をひそめた。
「もし、命が惜しいのなら……それ以上お訊きにならないでください」
若女将さんは妖艶に微笑んだ。
「いいですか。絶対に中へ入ってはいけませんよ」
食事が終わり、僕たちは部屋へ戻っていくところだった。
「美味しかったけど、なんだか……あれだったね」
斎原は少し困ったような顔を僕に向けた。どうやら同じ事を考えていたらしい。
確かに、”元気になる”という一点に集中した献立だったような気がする。特に下半身方面に向けてだが。
「やっぱり、新婚さん限定コースだからかな」
「いやー、そこまで露骨なことはしないと思うけど、……え、どうしたの斎原」
斎原はその部屋の前で立ち止まっていた。
僕を見て、意味ありげに笑う。
「ここ、開けてみない?」
そこは例の図書室だった。
☆
「だってあの若女将さん、中へ入るなとは言ったけど、扉を開けるなとは言わなかったじゃない」
「……お前、揚げ足取りの天才だな」
結局、僕が開けることになった。
ドアノブに手をかけ、回す。
鍵が掛かっていて欲しい、という僕の希望は叶えられなかった。
かちゃり、と音がしてドアノブは回った。
「ほら、早く」
後ろで斎原がせかしている。
そーっと扉を押し開ける。ほこりの匂いが流れ出してきた。
中は真っ暗だ。鎧戸をおろし、光が入らないようにしているのだろう。僕は扉の隙間から中を覗き込んだ。
壁に本棚が据えられている。目が慣れてくると、びっしりと並んだ本が見えてきた。こうして見る限り普通の図書室のようだった。
身をかがめた僕の背に肘をついて、斎原も中を覗き込む。
「……」
背中で、斎原が息を呑んだのが分った。
その本棚の本たちは、かすかな光を発していたのだ。僕と斎原にはお馴染みの光だと言っていい。
壁一面の本棚の本。その全てがその光を帯びていた。
「文妖が、こんなにいるなんて。信じられない」
その青緑色の輝きが、一斉にこちらを向いたのが分った。
そして後ろに、新たな人の気配があった。僕たちは恐る恐る振り返る。
「見てしまいましたね。この中を……」
そう言って、若女将さんがにいっ、と両の口角をあげた。その唇の端に、白い牙が顕れていた。
文妖の図書室を守る、安達ヶ原の鬼女。そんな言葉が浮かんで、消えた。
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