第42話 斎原と調査に出発する
「でも、ちょっと困ったね。まさか歩いて行く訳にもいかないし」
斎原は真面目な顔で考え込んでいる。それはそうだ。
その住所にあった黒塚市というのは、歩き慣れた江戸時代の人でも、きっと三日くらいはかかる距離なのだ。
交通費だけを計算してみても、僕のささやかな小遣いでは結構厳しい。
「わたしも基本、お小遣いって貰ってないし。……よし、そうだ。いい方法があるよ君依くん。ちょっと待っててね」
斎原はどこかへ電話し始めた。
話がついたらしい。斎原は満足げに頷いた。絶対に嫌な予感がする。
「よし、それでは今日から君依くんは、斎原特殊書籍研究室の臨時職員です」
「あの。何ですか、それ」
これまでの従僕よりは、まだ待遇が良さそうだけれど、不安は隠せない。
「これで堂々と、文妖調査の名目で
なるほど。
「ああ、でもね。あとで領収書を出さないといけないから豪遊は出来ないよ。君依くんが好きそうな、いかがわしいお店も駄目だからね」
「あのな。僕はそんなつもりは一切ないから」
斎原は月沼さんを振り返った。
「という事なので、二人で出掛けてきますから、後はよろしくお願いします」
はい、と返事をしかけた月沼さんは慌てて立ち上がった。
「あの、生徒会長代理。いま、二人で、と仰いましたか?」
「はい。そうですよ」
斎原は平然と答えた。
「そんなのダメに決まってるじゃないですか。お二人は高校生ですよ。しかも、その、だ、男女ですし。い、い、異性との旅行なんて、天が許しても、わたしが許しません!」
「ご心配なく。君依くんとわたしは従兄妹ですから、これは単なる家族旅行です」
「そんな家族旅行はありませんよ」
月沼さんは泣き出しそうな声で言った。
「だって、…だって。君依さんは今でこそ真面目そうな顔を装っておられますけど、二人きりになったら、ケダモノに変貌されるに違いないですっ」
斎原と月沼さんは揃って僕の顔を見た。
「月沼さん……、その可能性を忘れていました。ちょっと考え直します」
この二人って、僕をいったい何だと思っているんだろう。
「心配しなくても、絶対にしないよ、そんな事は」
「本当に?」
「ああ」
僕は力強く肯く。
「本当に、本当ですか?」
「あ、はい。……おそらくは」
二人から交互に攻められると、段々、自信がなくなってきた。
でも、斎原と二人きりで旅行なんて、本当に大丈夫なのかな。
僕が、ではなく色々と。
☆
僕と斎原は駅で待ち合わせをしていた。
夏休みに入った初日だ。
これから行く先の交通機関と宿泊先の手配は斎原が引き受けてくれている。
「ちょうど近くに、うちの系列の旅館があるのよ。そこの格安プランを利用させてもらう事にしたから」
「格安って、食事は無しで……とか?」
「い、いや。そうじゃないんだけど」
なぜか斎原の顔が赤くなったのが、少し気になったのだが。
でもさすが斎原家。旅館業もやっているらしい。
と、これは先日の事。
間もなく、約束の時間だった。
小柄な斎原が小走りでやってきた。
「お待たせ。じゃあ、行こうか」
私服なのに、印象が制服の時と変わらないのは真面目な斎原らしい。
だが、そんな事よりも。
「あ、あぅぅ……」
「なによ、変な声出して」
これが声を出さずにいられようか。
「斎原、その眼鏡はどうしたんだ」
黒縁の丸い眼鏡。
「まあ、気分転換にね。どう、変じゃな…」
「好きです!」
最後まで言わせる必要などなかった。
「あ、ああ、そう」
斎原が一歩、後ろに下がっている。
危険生物を見る目付きで僕を見ているのだが、そんな事は全く気にならなかった。
「かかか、可愛いです。斎原さんの、そのメガネ」
「落ち着きなさい、君依くん。鼻息が荒いから」
「お、おう。すまない斎原」
つい我を忘れてしまった。ここは駅だった。
「いやぁ、危なかった。もう少しで斎原を押し倒して、そのメガネを奪い取るところだったからな」
まてよ、でもこれは斎原とともにあるから、このメガネの魅力が光り輝くわけで、外してしまったら、ただのメガネと、ただの斎原になってしまう訳だ。
ああ、なんて二律背反なんだ。
「世の中には不条理な事が多いな、メガネ斎原よ」
なぜだろう、それから斎原は列車に乗るまで一言も口をきいてくれなかった。
☆
夕刻になって列車が到着したのは『黒塚』という駅だった。
列車からバスに乗り換える。
市街地の外れに近づき、背後の山が迫ってくるあたりで、やっとバスは停まった。
バスを降りてから、もうしばらく歩くことになった。松林の間の細い道。ゆるい坂を昇りきったところで立派な建物が見えてきた。
「ああ、あれだよ。今日のお宿」
斎原が、さらっと言う。僕の口は開いたままだ。
それは国の重要文化財と言われても疑うことはないだろう。木造で風格のある造り。玄関前に立つだけで気圧される。重厚感とともに静謐な気配がある。
「こ、こんな所に泊まるの?」
「不満?」
『
“黒塚”で“あだち”なんて。どこか不穏な空気を感じなくもないが。
「お待ちしておりました、斎原さま」
奥から和服の女性が出迎えてくれた。20代後半くらいの若女将さんだろう。
色白で、少しだけ口角のあがった唇の赤が艶めかしい。輝くような長い黒髪を後ろでまとめている。
妖艶。他に表現しようがない。
自分がこんなに年上好きだとは気付かなかった。ついさっきまでは。
「おい、かがり」
不機嫌そのものの、斎原の声で我に返った。
「ああ、いたのか斎原」
「信じられない、完全に見蕩れていたでしょ。ほら、中入るよ」
僕を蹴飛ばさんばかりの勢いだった。
旅館の外見は純和風だったが、内部はどこか西洋風でもある。明治時代に一部改装したのだと教えてもらった。渋い光沢の出た廊下を通り、部屋に案内された。
まさかとは思ったが、やはり同室だった。
彼女がふすまを閉めたと同時に、僕は座卓の向こうに座る斎原へ身を乗り出した。
「斎原、この旅館っておかしくないか。普通、高校生二人だけなんて泊めないだろ」
「まあそこは、ご主人様と従僕だし」
「いや、そういう話じゃなくて」
食い下がると、斎原が不機嫌になってきた。
「うるさいな、ほんと細かいんだから。嫌なら庭で寝なさいよ。お腹が空いたら庭の葉っぱでも食べればいいんだわ」
「いい、君依くん。私達は新婚旅行の夫婦、ということになっているんだよ」
真っ赤な顔になって、突然宣言する斎原。
「なんで」
斎原は、そんな、なんでって言われても、と口ごもっている。
「仕方ないのよ。ちょうど格安プランがあったんだから。このご時世、少しでもコストは下げなきゃいけないの。だって、
新婚さん割引のお手頃プランなんてあったんだ。
こんな高級そうな旅館なのに。
「普通のビジネスホテルとかでも良かったんじゃ」
ふっ、と斎原は鼻でわらった。
「ビジネスホテル、なにそれ。そんなものに、この私が宿泊するとでも」
なにそれ、って。この私が、って。
「では、明日から本格的な調査にはいります」
斎原は宣言した。
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