第38話 図書館の中の嵐

 僕と斎原は図書館へ向かって駆けた。

 廊下を走っている時から、木材が軋む音がひっきりなしに聞こえていた。なんだか図書館の建物全体が揺れているような気がする。

「これは、まずいよ。君依くん」

 斎原が緊張した声で言った。


 開いた扉から誰かがはじき出されて、廊下の反対側の壁に激突した。

「深町先生!」

「大丈夫ですか」

 先生は弱々しく手をあげて、図書館の中を指差した。

「斎原さん、君依くん。……お願い、才原さんを止めて」


 ☆


 図書館の中央付近では書架が倒れ、大きな空間が出来ていた。

 半実体化した文妖が渦を巻き、本を周辺にまき散らしている。そして、その中心にいるのは才原さいばら未散みちるだった。


 才原がこの文妖を操っているのだ。


「やめろ、才原!」

 僕の声に才原は振り向いた。怒りと哀しみに満ちた表情が、ふっと緩んだ。

「かがり、来てくれたんだ。あのね、私ね……」

 微かな声で才原は何か言いかけた。


 だが僕は気付いた。彼女の前には二人の女子生徒が倒れ、狂ったように転げ回っている。

「うっ」

 斎原が口許を押さえた。

 あの二人が見せられている幻覚を、僕と斎原は垣間見た。


 巨大な醜い怪鳥に全身の肉をついばまれ、内臓を引きずりだされ、眼球をくり抜かれる。だが、その傷は一瞬で塞がり、また同じ恐怖と激痛が最初から彼女たちを襲っているのだ。


 それは何度も繰り返される。

 永遠に続くプロメテウスの地獄だった。


 そして、才原の背後には。

 書架の上段付近に藤乃さんはいた。両手を横に広げ、十字架にはりつけにされたように。藤乃さんはがっくりと頭をたれ、意識を失っているようだった。


「才原っ!」

 僕は怒りに我を忘れた。駆け寄る僕の前で、文妖が道を開けていくのが分った。

「かがり……」

 僕は、目を伏せ何か言おうとした才原の頬を打った。


 才原は頬を押さえ、その場にうずくまる。

「お前、自分が何をやったか、分ってるのか!」

 潤んだ目で、才原は僕を見上げた。

「かがり……、私」


 僕の肩が強く引かれた。

 体勢を崩しながら振り返った僕は、思いっきり殴られた。

「何も分ってないのは、がっちゃんだろ!」

 殴ったのは折木戸だった。

 書架まで転がった僕の上に、さらに藤乃さんが落下してくる。文妖が消えたのだ。


 折木戸は二人の女子を指差した。

「こいつらはな、あちこちで藤乃の悪口を言いふらしていたんだ。藤乃の身体の事を、さも楽しげにな。才原がやらなきゃ、必ずわたしがやっていただろう」

「ごめん、藤乃さん。わたしの力不足だったよ」

 斎原も、生徒会長代理として頭をさげた。


「そんな。わたしは何を言われても、全然大丈夫でしたよ」

 藤乃さんが困った様に、斎原の肩を抱く。

「才原さんも、立ってください」


 なんだか、僕が一番の悪者になったみたいだ。

「あの、才原。ごめん。……せめて、僕の事も殴ってくれ」

「それ、昔の少年マンガですか」

 才原が小さく言った。


「じゃあ、お言葉に甘えて。……おい、かがり。目をつむって、歯を食いしばれ」

 僕は悄然と、言葉に従う。

 才原の手が、僕の後頭部をがっちりとホールドする。

「お、お手柔らかに……」


「かがり。止めてくれて、ありがとう」

 僕の口唇に、柔らかいものが触れた。


「あ、あの」

 目を開けると、才原が図書館を走って出て行くのが見えた。

「今のは……」


「あれー、おかしいですね」

 藤乃さんの声だった。

 細くなった目の奥で、不穏な色が見える。

「全くだな」

「本当に。何だろうね、今の」

 折木戸と斎原が、感情の籠もらない声で言った。

「そうか。才原が殴らないなら、わたしたちに権利が回ってきた、ということか」

「キャリーオーバー、という事ですね」


 救急車が到着し、三人が病院に搬送された。

 幸い、と言ってはなんだが、それは例の女子ふたりと、深町先生だった。


 ☆


「あいつら、藤乃師匠をいじめるのに、私を巻き込もうとしたんだよ。信じられる?」

 その夜、才原は厳しい口調で僕に言った。

「私が誰かをいじめて喜ぶような奴だとでも思ったのかな」

 ……。それは才原の普段の言動のせいだろうと思ったが、口には出さなかった。


 才原自身も前の学校で、酷いいじめに遭ったのだ。そんな彼女があの連中を許せるはずがなかった。


「ああ、でも危なかった。もう少しでまた同じ事をするとこだった」

 前の学校では、才原のせいで5人が再起不能になっているのだが、今回の二人はそこまで酷くはないらしい。

「かがりのおかげだよ」


 がらり、と窓が開いた。ちなみに、この元、僕の部屋は二階にあるのだが。

「おう、来てやったぞ才原」

 折木戸だった。窓枠を乗り越え、そのまま僕のベッドの上に転がり込む。

「今日もお願いします、お姉さま♡」


 まあ、折木戸のおかげで、才原も前の学校の事を思い出して夜中にうなされる、という事も無くなったらしい。良いことではあるのだろう。

 当然のように、僕はすぐに追い出された。


 携帯をみると、珍しく藤乃さんからメールが来ていた。僕が電話しても通じないし、メールしても返事がきた事がないのに。

 どうも自分が使わない時は電源を切っているらしい。


 『明日、だいじな話があります。さようなら。ふじの』

 ちょっと待って。この『さようなら』は、ただの挨拶なんだよね?

 おやすみのあいさつ、としてのさようなら、だよね。僕は慌ててメールを送った。


 当然のごとく、朝まで待っても、藤乃さんからの返事は来なかった。



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