第31話 処理不能な事態

「斎原は知ってたのか、東雲西ヶ丘高校での事。才原が引き起こしたって」

 朝の生徒会室で斎原美雪はコピー用紙に何か書いていた。

「文妖が暴走した事件のことね」

 少し考えたあと、小さく頷く。


「同じ図書寮のことだから。でも、なぜ分ったの。新聞にも載っていなかったはずなのに」

 斎原はコピー用紙に手をかざした。

 書いてあるのは魔方陣のようだ。悪魔でも召喚するつもりだろうか。


「本人に直接聞いたんだ」

 そう言うと、斎原の頬がぴくりと動いた。気のせいか魔方陣の模様が歪み始めているように見えるが。大丈夫なのか、何かが出てくるんじゃないのか。


「へえ。君衣くんは女子を裸にするのが得意なんだね」

 色々と押し殺した声で斎原が言った。


 その途端、奥で大きな音がした。

 月沼さんが茶筒を取り落とした音だった。

「な、な、何をしているんですか君衣さん。……そんな、才原さんを裸にして水責めにするなんて! 酷すぎます」


 誰もそんな事は言ってませんが! いえ、そもそも、やってませんが!


 ……。


「失礼しました。思わず取り乱してしまいました」

 月沼さんは赤い顔でメガネを直している。

「そうですよね、心を裸に、ですよね。だって君衣さんが本当にそんな事する訳ないですものね」

 はは、はは、と笑う月沼さん。

「でも折木戸さんには、やってるんじゃないの」

 斎原が冷たい声で言った。


「誤解もはなはだしいぞ、斎原。時々、折木戸が僕の部屋で裸になっているのは確かだが、それはあいつが勝手にやっている事で……」

 しまった。口がすべった。


 斎原が描いた魔方陣から、赤黒い煙が立ち上った。


 ☆


「どうしたんですか、歩き方がおかしいですよ」

 教室の前で藤乃さんに声を掛けられた。

「あ、これは正座のしすぎで足がしびれて」

「ふーん。朝から大変ですね」

 どうやら事情を察したらしい藤乃さんはそれ以上追及してこなかった。


「師匠! 藤乃師匠さまっ!」

 駆け込んできたのは才原だった。必死の形相で藤乃さんの両肩を掴む。

「この私めを、どうか弟子にしてくださいっ!」

「あの、これは一体?」

 藤乃さんは怪訝そうな顔で僕を見た。


 その後この二人は、隣で聞いている僕が赤面するような露骨な話題で盛り上がっていた。もうすっかり意気投合している。

「これぞ、仲良きことは美しき哉、だな」

 折木戸”お姉さま”が感心していた。


 授業が始まる直前、斎原が教室に入ってきた。席につくなり図面を拡げている。図書別館の書架配置図だ。多くの箇所がマーカーで塗られている。

「斎原、これはまさか」

 うん、と斎原はそれを見詰めたまま言った。

「そう。文妖の卵が孵化寸前になっているところを表しているんだ」

 

「埜地と才原さんに調査してもらったんだよ。こういう事はあの二人の方が得意だからね。でも、ここまで危険な状態とは思わなかった」

 同じ図書寮の家系でも引き継ぐ能力はそれぞれ違うらしい。斎原はあくまでも受動的に文妖を察知するのに対し、あの二人はいわばレーダー波を発して強引にその存在をあぶり出す。

 それが文妖を刺激するのではないかという懸念もあったが、やむを得ないだろう。


 多くの文妖は孵化してもそのまま自然に消滅する。ただ、ごくまれに周囲の強い思念によって暴走する事があるのだ。

 強い思念、つまり、嫉妬、憎悪、恋情などだ。


「大丈夫なのかな、才原は」

「また文妖を発生させるかもしれないって、思ってるの」

 咎めるような目付きで斎原は僕を見た。


「そうじゃないよ。でも、あんな目に遭って、才原は……」

 平気でいられるのか、と思って。


 授業が始まった。僕は席に戻る。


 ☆


 図書本館と較べると、別館は古い蔵書が多い。つまり、歴史があり、さらに閲覧者数も少ないのだ。

 だから条件としては文妖が発生しやすいとは言える。

「おまけに、人目に付かないのをいいことに、いかがわしい事をする不逞の輩が多くてね。それが文妖に影響を与えている可能性があるんだよ」

 斎原は僕と藤乃さんを意味ありげに見た。

 放課後の資材室で、図書委員会だった。


「い、いや、それって何の事かな。心当たりがないんだけど」

「まったく無いの?」

 斎原の鋭い目に、僕はしどろもどろになった。

「いや、まったくでは、ないですけど。最近は何もしてませんから。ねえ、藤乃さん」

 藤乃さんは不満げに頷いた。


「そうですよ。最初はあんなにキスしてくれてたのに」

 だから、何を言い出すんだっ。


「……ま、まあ、いいでしょう。君たちは付き合ってるんだし。藤乃さんの場合はそれで文妖の発生が抑えられている側面もありますから」

 斎原は額を指で押さえた。


 ボン、と音をたてて斎原の前に置かれたコピー用紙から煙があがった。

「それ、何ですか」

 藤乃さんが指差す。僕が今朝見たのと同じものだった。


「ああ、これ。斎原家に伝わる呪法で、感情のはけ口なんだ」

 斎原の強い感情が、その御札らしきものに吸収されることで、周囲の文妖への影響を抑えるのだそうだ。魔方陣に見えたものは、梵語サンスクリットを円形に書いたものだという。

 へえ、すごい。僕と藤乃さんは素直に感心する。


「でも爆発するというのは、完全にオーバーフローしちゃってませんか」

 月沼さんの指摘に、斎原は頬を震わせ沈黙した。


「じ、じゃあ、僕たちはデータ入力の続きを始めるので」

 最近、図書の寄贈が多くて僕と藤乃さんはそれにかかりっきりなのだ。

 

 斎原と月沼さんは別館へ向かう。そこではもう埜地と才原が、文妖の卵を探し出しては処理する作業を始めている。

 

 僕と藤乃さんは積み上げられた箱から本を取り出し、机に並べた。

 どっちにしても、地道な作業だった。

 

「でも、この本って、誰が送ってくるんでしょうね」

 この中にも、文妖の卵が仕込まれていたりして……。藤乃さんの言葉に、僕は戦慄した。その可能性は考えた事がなかったのだ。


 急に、手にした本が、何か不気味な生き物のように思えた。


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