第28話 学園の破壊者

「ねえ、未散ちゃん」

 図書別館を見て廻りながら、先を歩く才原さいばら未散みちるへ向けて埜地は呼びかけた。


「うるさい。未散ちゃんって言うな」

 才原は振り向きざまに右フックを放つ。だがその拳は彼の掌でやんわりと受け止められていた。


「離せ、埜地!」

 握られたその手はビクともしない。彼女とそんなに変わらない細い手なのだが、見掛けによらず力があるようだった。


「あ、ちょっと待って。蹴りは勘弁してよね。話しがあるのよ」

 埜地は慌てて手を離して飛び退く。才原は上げかけた膝をおろした。

「なによ。私と付き合いたいなら、順番待ちリストに名前を書きなさい」

「イヤだわ、あたしそんな事なんて考えてないわ」

 これは最近の埜地のキャラだ。


 ただね、と埜地は真面目な顔で才原を見詰めた。

「東雲西ヶ丘高校なんだけど。文妖の暴走で生徒が精神的に被害を受けた事件、あれって未散ちゃんが原因なんでしょ?」

 才原は埜地を睨み付けたまま黙り込んだ。


「未散ちゃんって当時、東雲西ヶ丘学園の中等部だったよね」


「……あの事件の詳細は報道されなかったはずだけど」

「そうだね。だから、あたしも何で未散ちゃんがあんな事をしたのか知らないのよ。意図的に文妖を暴走させて、生徒の男女5人を精神崩壊に追いやった理由まではね」


「未散ちゃん。ここで何をするつもりなの。もし斎原委員長の邪魔をするつもりなら……あたし、ちょっと困るけど」


 才原は力なく、首を横に振った。

「違う、そんなんじゃない」


 ☆


「え、埜地を図書委員に選んだ理由?」

 心から嫌そうに斎原が言った。そのまま口をへの字に結ぶ。


「ああ、それはきっと、『才のみにて挙げよ』という言葉もありますから。きっとそう云う事なんですよ」

 月沼さんがお茶を淹れながら、黙り込んだ斎原をフォローする。

「おお、それは三国志の曹操だな。さとちゃんは歴女なのか」

 折木戸はお茶菓子のせんべいを囓りながら、目を輝かせる。


「まあ、結局はそういう事なんだけど。あいつはね……」

 斎原が言いかけた時、生徒会室の扉が開く。帰って来たのは埜地だった。


「あれ、才原はどうしたの」

 あ、ああ。埜地は言い淀んだ。

「帰っちゃった。疲れた、とか言って。顔色も悪かったし、仕方ないんじゃないかしら。だから、報告はあたしが、ね」

 斎原は眉を寄せて彼を見たが、それ以上何も言わなかった。


 ☆


「才原、帰ってるか」

 僕は部屋の前で声をかけた。

「…うん」

 ちいさな声で返事があった。

「入っていいか」


 しばらくの沈黙のあと、ドアが開いた。

 才原は目の周りが赤かった。固い表情で、僕を招き入れる。


「埜地と何かあったのか」

「そうじゃないんだけど……心配かけて、ごめん」

 びっくりした。才原がしおらしい。


大主典だいさかんと云うんだってね。あいつの家」

 それは僕もあの後、斎原から聞いた。

 斎原美雪や、才原未散が属するのは図書寮頭ずしょりょうのかみの一族だ。つまり図書寮の長官なのだが、大主典は代々、その補佐を担当する家系なのだ。主典さかんつまり(補)佐官さかんであり、埜地は斎原の系列の図書寮一族なのだ。


 斎原が埜地を図書委員に選んだのは、別に元カレだからではない事を知って、僕は一安心したのだったが。


「だから図書寮の内情に詳しかったんだ、埜地のやつ」

 はあっ、と才原は大きくため息をついた。


「あの、才原。話したくないなら別にいいんだけど。……すごく気にはなるぞ」

 才原は黙ってうつむいた。


「今は、まだちょっと気持ちの整理がついてないんだ。でも必ず、かがりには話すから、それまで待って……」

 どうやら、もうこれ以上、訊くことは無理らしい。僕は退散することにした。


「それはそうと、かがり」

 僕が部屋を出たところで、才原の口調が変わった。


「藤乃由依さんの事なんだけど。あれ、彼女なの? 本当に? 冗談じゃなくて?」

 なにが冗談だ。怒るぞ。


「だって、あの子。その……胸が、何て言うか、アレだし。かがりの趣味とは違うんじゃないの?」

 折木戸と同じ事を言うな。なんて失礼なやつだ。


「いいか、才原。『人はおっぱいのみにて生きるにあらず』というだろう」

「知らないけど」

 才原が見下げ果てたものを見る目になった。

 これはまずい。このままでは僕に対する信頼が地に堕ちる。何かいいことを言わなくては。


「だから、人の価値は、胸の大きさなんかでは決められないんだ!」

 おお。さすが僕だ。ここに来て名言が口をついて出てきた。


「あ、そう。じゃあ、なくてもいいのね」

 え?

「いや、それは…、あるに越したことはないけれども」


「……最低」

 僕の目の前で、ドアが閉まった。




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