第18話 帰って来た藤乃さん
枕元で携帯電話が鳴っている。まだ朝の九時過ぎだけど、誰だ。
「お早うございます、藤乃由依です!」
僕は呻いた。
「何ですか、テンションが低いですね。ちゃんと朝ごはん食べてますか?」
「……だ、よ」
「へえっ?」
「まだ起きたばかりなんだよっ!」
藤乃さんは一瞬、絶句したようだった。信じられない、と呟いた。
「もうお昼も近いというのに、ぐうたらですね。斎原さんに言いつけちゃいますよ」
起きますっ。だから斎原には黙っていて!
「今日はまず本屋さんめぐりです。いい品揃えのお店があるんです。きっと君の好きなジャンルのBLもあると思いますよ」
電話の声が弾んでいる。そうか。僕への誤解はまだ解けていなかったのだ。
「わたしの好きな、骨折男子が松葉杖を介して愛し合うという本もたくさん……」
本当に、どういう趣味なんだろう。
突然、藤乃さんの口調が変わった。誰かに挨拶している気配だ。
「あ、君衣くんのお母さまですか。はい、この前はおみやげ、ありがとうございました。そうなんですよ、えへへ……」
ちょっと、藤乃さん。今どこにいるっ!
「君のうちの前ですよ。つまり、古書店『
☆
「へえ、折木戸さんが学園祭でゾンビのメイクを。楽しそうですね。それって、お化け屋敷でもやったんですか?」
藤乃さんは歩きながら僕を見上げた。
「学園祭で上映する映画用なんだよ。短編だけどね。折木戸が主演で、僕は最初に殺される役だったけど」
すごーい、と藤乃さんは目を輝かせた。
「で、タイトルはあるんですか。その映画」
あ、ああ。それを訊くか。
「……きみのなわ」
「はい?」
「だから、タイトルが『君の縄』なの」
少し藤乃さんが引いている。しかも、キャッチフレーズが『
「ああ。…そうなんですか」
急速に興味を失っているのだろう。あるいはこれ以上関わり合いになるのを避けたがっているか、どっちかだ。藤乃さんの目の焦点が合っていない。
「正式なタイトルが『君の縄~ゾンビ捕物帖』といって、校内を徘徊するゾンビから守るために、通りすがりの女子中学生を護符のついた縄で問答無用で縛り上げるという、ハートフルな映画だったんだけど」
クラスメイトにボーイスカウト出身のロープワークマニアがいて、エキストラじゃ臨場感が出ないからと、本当の通りすがりの子を捕まえたらしいのだ。
「完全にアウトですね。それ」
藤乃さんのタレ目が、もう糸のように細くなっている。
念のため言っておくと、僕自身は直接関与してないのだけれど。
「あとでみんな一緒に、先生と斎原にすごく怒られたなぁ」
でしょうね、と藤乃さんは頷いた。
「最初に美雪は止めなかったんですか」
「それがな。斎原は学園祭実行委員会に入ってたから、各クラスの出し物には関わってないんだ」
後で、痛恨の極みだと嘆いていたけど。
もちろん映画は上映されなかった。
☆
いきなり書店巡りというのも何ですから、という藤乃さんの提案で、僕たちは駅近くに新しく出来たショッピングモールに来ていた。土曜日だけあって人混みがすごい。
最初は楽しそうにしていた藤乃さんだったが、やがて様子がおかしくなってきた。明らかに顔色が悪く、足取りが重そうだ。
「大丈夫? ちょっと休憩しようか」
「え、休憩って。あの、…あの意味ですか?」
ぽっ、と顔に血の気が戻る藤乃さん。
これならまだ大丈夫かもしれない、と思ったがともかく手近なベンチに座らせた。
「すみません。なんだか人混みに酔っちゃったみたいで」
額に汗を浮かべて、藤乃さんは弱々しく笑顔を見せた。普段静かな環境にいる彼女には、この雑踏は毒だったようだ。
「よし」
僕は藤乃さんの前に、背を向けしゃがみ込んだ。
「ここを出よう。はい藤乃さん負ぶさって」
「え、それはさすがに恥ずかしいです。無理ですよ」
ほい、早く。と後ろ手で招く。
「僕は藤乃さんを辱めるためなら何でもする男だから」
「できるなら、私を守るために何でもして下さいよ…」
そう言いながらも、藤乃さんは僕の背中に負ぶさってきた。やはり軽い。
「じゃあ、予定通り本屋さんへ行きますか」
嬉しそうな藤乃さんの声に、今度は僕の足取りが重くなった
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