第15話 斎原さんの憂鬱

 文妖騒ぎのために閉鎖されていた図書別館が再開された。

「お世話になりました」

 深町先生が頭を下げる。その前には五人の男女が立っていた。


 同じジャケットを羽織っている彼らは、ここ東雲しののめ市と斎原家が共同で設立した『斎原特殊書籍研究室』のメンバーだった。

 文妖の発生原因から対策までを研究するのを目的とし、この別館のように大発生した図書館の立入調査を行っている。


「どの図書館も、ここのように初期対応が上手くいくと面倒がないんですけれどね」

 リーダーらしい、若い女性が苦笑いを浮かべた。

「東雲西ヶ丘高校の図書館は、文妖の自然消滅に一ヶ月かかりましたから」

「ああそれ、ニュースで見ました。怪我人も多く出たとか」

 怖いですよねー、深町先生が頷く。


「でもうちは、一年の君衣くんだけで済んで良かったです」

「ああ、かがりくん。彼ってそういう役目とはいえ、いつも大変だよねー」

 そう言うと、二人で明るく笑っている。


 僕がとなりにいるにも関わらずだ。……どうなんだ、この大人たちは。


 ☆


「図書別館の調査が終わったぞ、斎原」

 生徒会室に行き報告する。


「……あ、そ」

 斎原は素っ気ない返事で、顔も上げない。なにやら、イラストらしきものをノートに書いている。

「それは、何かな」

「私、美術部だから。デッサンの練習」

 まったく感情のこもらない声。

「へ、へえ、上手だな斎原。本当、斎原は何でも出来るんだな」

 ……。返事は無かった。なんだこの冷たい空気は。


「こ、これ君衣さんですよね。本当によく似てます」

 見かねた月沼さん(生徒会書記・二年生)が助け船を出してくれた。ああ、そうか僕だったんだ。斎原が僕の肖像画を描いてくれたんだ。それは、嬉しいなぁ。


 でも、その下に大きく黒々と『死ね』って書いてあるのは一体……。


 ☆


「いやぁ、つい口がすべってな。以前わたしとがっちゃんが、そういう関係を持ったことを暴露してしまったんだ」

 あはは、と笑う折木戸。

「心配するな、ちゃんとフォローもしたぞ。がっちゃんは優しかった、って」

「それは、なんだか違う気がする」

 明らかに、火に油を注いでると思う。それであの斎原の態度か。

ただれた関係、と言えばよかったのかな」

 お前、僕を殺したいのか。


「でも、わたしは感謝しているのだ。あの時は生涯最大に落ち込んでいる時だったからな。わたしが今こうして生きているのは、あの夜がっちゃんと同衾どうきんしたおかげだと言っても過言ではない」

 良いことを言っているのかもしれないが、人聞きは悪いぞ。それに、意外と難しい言葉を知っているのに驚いたよ。


 こんな馬鹿な折木戸なのだが、幼い頃に母親を亡くして以来、父親と弟の三人で暮らしている。常に明るく振る舞っていた折木戸が、唯一僕の前で泣き崩れたのがその時だった。

 でもそれが、なぜそういう事につながったのかと問い詰められれば、今となっては答えようがないが。


「まあ、あれは、事故だと思って諦めてくれ、がっちゃん」

 あっけらかん、と笑う折木戸だった。


 ☆


「女子会ですか。わたしそんなの行きましたっけ」

 藤乃さんは昨日のことを完全に記憶から抹殺しているらしい。これはこれで心配になってくる。


「人生短いんです。君と誰が関係持ったとか、気にしてる場合じゃありません」

 しっかり覚えていらっしゃるみたいなんですが。

「いいですか。その反省を踏まえ、わたしの分まで健全に生きてくださいね」

 ここで伏線みたいな台詞を言われても処理に困る。大丈夫だよね、死なないよね藤乃さん。そういえば少し顔色が悪いような気がするけど。


「わたしは今週末、検査のために入院します。これでお別れかもしれませんから」


 藤乃さんは大怪我をした後遺症の検査のため、まだ年に何度かこうして検査入院しているのだという。

「楽しかったですよ、君との日々」


 藤乃さんは透明な笑顔を僕に向けた。


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