第11話 藤乃さんの部屋に行く

 今更だが、押しに弱いのが僕のダメなところだと思う。

 きっとそのうち人生を誤るにちがいない。いや、そろそろ道を踏み外しかけているような気もするけれど。


 仕方ないので、とりあえず家に電話する。

「ああ、母さん。今日は帰らないから。そう、泊めてもらう。え、折木戸じゃないよ、……いや、女の子だけど」

 そこで藤乃さんが、ブッと吹いたのに気付いた。

「そうだね、分った。じゃあ帰るよ」


 電話を切って振り向くと、藤乃さんが頭を抱えていた。

「なんで女の子の家って言うかな。それはダメに決まってるじゃないですか」

 正直にも程があります、と真っ赤になって怒っている。


「え? 大丈夫だよ。おみやげ持って行けってさ」

「あ、そうなんですか。……いや、それもおかしいでしょう!」

 普通、女子の家に泊まりに行って良いって親は少数派だろうけれど。


「うちは、自分の行動の責任は自分で取れ、という家風だから」

「はあ」

 だから、とビシッと藤乃さんに指を突きつける。

「責任取れないことは絶対しないから、藤乃さんも協力してくれよ」

 藤乃さんはどこか納得いかない表情だったが、それでも頷く。

 その後、僕たちは待ち合わせ場所を決めて一旦帰宅した。



「あれ、今日は学校の日だったのか。しまった、ちゃんと代返してくれたか?」

 家の前で折木戸と出会った。これからジョギングに出かけるところらしい。安心しろ折木戸。今日は間違いなく土曜日だ。


「なんだ、そうか。ああ…がっちゃんは成績悪いものな」

 ため息交じりに言われた。

 決して間違ってはいないけれども腹が立つ。こいつだって似たようなものだ。


「今日は補習じゃないから。哀しい目で見るな」

「おや、そうだったか。成る程どこか浮かれているようにも見えるな。分ったぞ、わたしや斎原以外の女とデートか」

 妙なところで鋭い。だけど、お前や斎原とデートした事はないけど。


「ではわたしは町内を一回りしてくるからな。健闘を祈る」

 そう言うと折木戸は、きれいなフォームで走り去った。


 ☆


 折木戸の部屋には何度も入ったことがあるのだが、ちゃんとした女子の部屋に入るのは初めてだった。少し緊張する。


 藤乃さんの部屋は、いわゆる女の子らしさは無かった。シンプルというか清楚というか、彼女の私服と同じイメージだ。

 大きな本棚がひとつ。主に数学関係の本がきれいに並んでいる。


 これは少し意外だった。筆文字みたいなのも結構普通に読んでいたから、文系なのだろうと勝手に想像していたのだ。

 本棚の下の方には少女マンガとおぼしきシリーズ本が並んでいる。この辺りは女の子らしい。

 だが。タイトルに違和感を覚えた僕は一冊抜き取ってパラパラとめくってみた。そうだ、忘れていた。藤乃さんの趣味。

 全編、男同士の愛の物語だった。


 ふと顔をあげると、藤乃さんがにこやかに、同好の士を見る顔で僕を見ている。

 僕は誤解を解くべきか迷いながら、曖昧な笑顔を返した。


「そうだ、これおみやげ」

 母親が用意してくれたものだ。袋からすると有名店の洋菓子らしい。藤乃さんの目が輝いた。

「これ大好きなんです。高カロリーで」

 喜んでもらえて良かったが、他の女の子とは喜ぶポイントが違うみたいだ。


「じゃ、あとでお茶淹れますね。……おや」

 袋の中にもう一つ箱が入っていた。藤乃さんが取り出したそれは、ぴっちりと包装されている。ちょっと待て、それはもしや。


「おおー」

 蓋を開けた藤乃さんが歓声をあげ、珍しそうにその個別包装のゴム製品を広げていた。何度かひっくり返し、……これが噂に聞く、あれだよね、とか呟いている。

「一個、封を開けてみてもいいですか」

「だめです。…母さん、何を入れてくれているんだよ!」


「なんて素敵なお母さま。わたしのお義母かあさんになって欲しいです」

 さらっと、とんでもないことを告白されたような気がするが。

「でもそれ、折木戸が幼稚園の頃に予約してたから無理かもしれないな」

「折木戸さんっ。何て手回しのいい……」

 肩を落とす藤乃さん。


「さて気を取り直して。この本の検討を開始しますよ」

 クローゼットから取り出してきたのは例の『図解・江戸性愛事情』だ。

「やはり図書館に置くべきです。ほら、ちゃんとした学術書じゃないですか」


 ☆


 21時を回ったあたりで藤乃さんの目がトロンとしてきた。あの本だけじゃなく、古典文学や数学、学校でのことや、お互いのことなど、ずっと話し続けていたのだ。さすがに疲れたらしい。藤乃さんって、元からそんな体力がありそうではないし。

 突然、糸が切れたように彼女はテーブルに突っ伏した。

「おい、藤乃さん。大丈夫か」

 肩を揺すってみると、彼女は静かな寝息をたてていた。


 藤乃さんを抱え上げ、ベッドに運ぼうとしてその軽さに驚いた。小学生くらいの体重しか無いのではないか。

「…うう、もっと話しを……」

 薄目を開けて藤乃さんが呻いた。

「いいから寝なさい」

「……」


 藤乃さんを寝かしつけると、僕も眠くなった。あれだけ喋り続けたことは記憶にない。何か変な薬でも盛られたような、不思議な高揚感だった……。

 寝るといっても、まさか藤乃さんと同じベッドに入る訳にはいかない。僕はカーペットの上で丸くなった。


 ☆


 窓の外が明るい。いつの間にか夜が明けていた。

 寒くないと思ったら毛布が掛かっていた。それに、背中に誰かくっついている。

「ちょっと、藤乃さん。何やってんの」

 慌てて身体を離す。

 昨日の服のままの藤乃さんは、毛布を這い出ると床にぺたんと座った。くしゃくしゃの髪を撫でつけ、恥ずかしそうに俯く。

「なんだか寂しくなって。それに君も寒そうだったし。……でも、寝られなかったよね、ごめんなさい」

 僕は黙って藤乃さんの肩を抱き寄せた。藤乃さんは小さく声をあげて、僕に身体をもたれ掛ける。

「へへ、やっぱり君は暖かいですね」


「……せっかくだから、あれ使いませんか」

 耳元で藤乃さんが言った。テーブルの上に拡げられたままのゴム製品。

「だけど、藤乃さん。……、いいの?」

 僕たちの目が合った。藤乃さんがそっと目を閉じる。


 きゅーー。 

 どちらのお腹からだろうか。間の抜けた音がした。

 そういえば、お腹が空いていた。夕べは簡単に済ませていたし。

「これは、ちょっと無理かな」

 僕たちはちょん、と唇を合わせた。


「じゃ、朝ごはん作るね」

 藤乃さんは諦めて台所へ向かった。



 出来上がったものは、スクランブルエッグとトーストだった。確か藤乃さんに”目玉焼き”の焼き方を訊かれたはずなのだが。卵は1コか2コか、とか、両面焼きますか、とか。

 ……まあ、色々あったのだろうと思う。


「それは良いとしても、この歯ごたえは何だろう」

 シャリシャリと、砕けていくものが混入している。明らかに卵の殻だったが。

「そ、それはカルシウム添加だよ。君の健康を考えてだから」

 どうやら藤乃さん、料理はあまり得意ではないらしい。


「じゃあ、これは預かっておくね」

 藤乃さんは結局使うことの無かったゴム製品の箱を胸に抱いたまま、手を振って見送ってくれた。

 


 家に帰ったところで、折木戸が飼っているネコとすれ違った。

「よぉ、ノブナガ」

 手を伸ばすと『シャーッ』と牙を剥いて威嚇された。何だ、なにを怒っているんだ、こいつ。

 まあ、そんな事はどうでもいい。


 母さんに文句を言わなくては。



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