第8話 図書館は火気厳禁です
人影もない夕暮れの図書館に一人の少女が立っていた。
彼女は憑かれたような目で、自分の前にいるものと対峙していた。それは白銀の毛並みを持った狼だった。狼の黒い瞳は、ぽっかりと開いた空洞のようでもあり、智恵を湛えた深淵のようでもあった。
「また出てきたんだね…おまえ」
その少女、藤乃由依は小さな声で言った。
☆
「あれは今まで感じた事のない緊張感でした。もう二度とご免です」
生徒会室で二人きりになった時、額に冷汗を浮かべて月沼さんは言った。
「はぁ、そうですかね?」
僕は首を捻った。
破損した大量の本を修理するのに、僕と斎原、藤乃さんだけでは人手が足りない。そこで、斎原の権限で生徒会書記の月沼さんにも協力して貰ったのだ。
図書館の机の上に山積みされた本を前に、藤乃さん、僕、斎原は横一列に並んで修理に取りかかったのだが、そういえば月沼さんだけ少し離れた所で作業していたのを思い出した。
「君依さんを挟んで火花が散っているのを感じませんでしたか?」
「な、何のことでしょうか」
そう言うと、月沼さんが呆れたように口を開けた。信じられない、と首を振る。
「まったく、どれだけ鈍感なんですか君依さんは」
ついには怒られてしまった。月沼さんのメガネが僕の顔前に迫ってくる。
「だから、斎原生徒会長代理はですね…」
大きな咳払いが聞こえた。
「月沼さん、余計な事は言わなくていいです」
「あ、お帰りなさい。会長代理」
慌てて、月沼さんは身体を離した。いつもの冷静な秘書に戻る。
「でも……」
「いいんです。私はもう諦めてますから。こいつは、こういう男なんです」
斎原が冷たい目で僕を見た。この目、慣れてくると背筋がゾクゾクとして少し気持ちいい。
「まったく。一体どこが良いんですか、こんな……」
がっくりと月沼さんが肩を落とした。
☆
本の修理が終わったので、残ったデータ登録を再開する。
もちろん相手は藤乃さんだ。普段もの静かな彼女が鼻歌を唄っている。
「あ、すみません。つい」
表情から、勝者の余裕という言葉が浮かんだ。
「ところで隊長、これなんですけど」
僕は隊長ではないが。
藤乃さんが差し出した本を僕ものぞき込んだ。自然と身体が触れあい、顔が近付いた。藤乃さんは僕を見ると、ひとつ咳払いをして目を閉じた。
おい。
僕は右手一本で彼女の顔を押し戻した。これで何回目だ。
「往生際がわるいぞ、藤乃隊員」
もうその手には乗らない。
「えぇー、なんでですか。この前は私の初きっす、むりやり奪ったくせに」
いかにも心外、というか作戦失敗、みたいな顔で不平を鳴らす藤乃さん。
「断っておくが、あれは無理矢理じゃないから」
文妖に
☆
藤乃さんも今日のところは諦めたらしい。それから後は、特に何事もなく下校時間になった。
「終わらなかったかぁ」
登録すべき本の箱はまだもう一箱残っていた。
仕方ない。明日の土曜日も出てきて、一人で作業しようと思う。
そう言うと藤乃さんは不思議そうな顔になった。
「でもこれ、一人じゃ終わらないですよ。まさかもうわたしの事、邪魔になったんですか。キスだけで用済みですか」
怒ったのか、早口でまくし立てた。何だか人聞きが悪いぞ、それは。
「キスって魚にエサはやらない、そんな人なんですか君って」
もうなにを言っているのか分からない。それは、釣った魚にエサはやらない、だ。
この数日、藤乃さんと一緒に居て気付いた事がある。
結構、面倒くさいんだ。藤乃さんって。
「わかったよ、そこまで言うならお願いするよ。じゃあ、明日、九時に集合しよう」
「わかりました。夜の九時ですね」
ちょっと待て。
「何をするつもりなんだよ。夜の九時から学校の図書館で。朝だよ、朝」
確かに有能だし、助かってはいるんだけれど。
☆
帰りがけに生徒会室に寄って、明日も作業することを斎原に報告する。
「ごめんね、今週中なんて言っちゃって。そんな無理しなくていいんだよ」
珍しく斎原から優しい言葉を掛けてもらった。
「いや実は、藤乃さんがやる気になってて」
斎原の眼がすっと細くなった。
「へえ。だったら好きにすればいいでしょ。徹夜でもなんでもすれば良いんだわ」
態度が急変した。
月沼さんが何も言わず目をそらした。
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