第7話 図書委員の日常は戦闘だ

 午後の授業が始まって間もなくだった。

「図書委員の斎原さん、君依さん。至急、図書『別館』まで来て下さい。繰り返します……」

 切迫した声で校内放送が流れた。


「行くよ、君依くん!」

 斎原は弾かれたように立ち上がった。先生に軽く会釈すると教室を飛び出した。

 僕もすぐに後を追う。心配そうに見詰める藤乃さんと目が合った。


 斎原は廊下を全力で走り抜けると、階段のところで音をたてて90度方向転換する。上履きと床の間で煙が上がりそうな勢いだ。

 そのまま何のためらいも無く、ばっ、と飛び降りた。


 踊り場に着地した斎原は僕を見上げ、同じように跳ぼうとする僕を制止した。

めなさい、また怪我して私に荷物を持たせる気? 。後からゆっくり来て!」

 斎原って小柄で巨乳だが、意外と運動神経がすごいのだ。

 決して、よい子はマネしてはいけない。まだ膝の怪我が痛い僕は、お言葉に甘えてゆっくりと階段を降りることにした。


 図書館の前まで来ると、すでに斎原と先生が話し込んでいた。図書委員顧問で、うちのクラスの副担任の深町女史だった。

 斎原が僕に気付いた。

「ああ、餌が…、いえ君依くんが来ました。あとは任せて下さい」

 なんだか、エサって聞こえたのだが。


「いい、絶対無理しないでね」

 深町先生が念を押す。年齢は20代後半だと自称しているが真相は分らない。アラサーではなく、後半という所にこだわりが有るらしい。


「まだ中に何人かいるらしいんだ。まずはその救助からだよ」

「文妖なのか、と云うことは」

 うん。と斎原は頷いた。そっと扉を開ける。


 僕はうんざりした。部屋中に文妖が充満している。透明なので直接目に見える訳ではないが、視界が歪んでいるのでそれと分る。

「多いなぁ、これ」

「17年に一度、大発生する年があるらしいんだ。今年はそれに当っているんだね」

「まるでセミみたいだな」

 十三年蝉とか、十七年蝉とか聞いたことがある。つまり素数となる年の間隔で発生するという事だ。

「君依くんにしては知的な事を言うのね」

 斎原に褒められた。少し嬉しい。


「じゃあ、作戦はいつも通りで」

 僕は斎原によって図書室の中へ放り込まれた。文妖が一斉にこっちを向いたのが気配で分った。

「や、やっぱりちょっと待って」

 慌てて部屋から逃げ出す。あの感覚はどうしても好きになれないのだ。

「さっさと入りなさい!」

「ぐわっ」

 今度は背中に斎原の蹴りをくらった。


 部屋の真ん中に立つと、周囲に文妖が集まって来るのを感じた。大型の犬にじゃれつかれている、と言うのが近いかもしれない。ただ、対象物が見えないために激しい目眩めまいを感じるのだ。空間が歪み本棚がぐるぐる回って見える。

「お、おえっ」

 やばい。吐きそうだ。


 その隙に斎原が中にいた生徒を室外に避難させている。

「いいよ、君依くん。全員外に出したから」

「お、おう……」

 立っていられなくなった僕は、這うようにして出口へ向かう。その僕の右足を何かが掴んだ。目に見えない何かが。

 目をこらすと、それは形を取り始めた。

 

「斎原、これ実体化しようとしている!」


 基本的に文妖というのは目に見えず、手に触れる事もできない。ただ人間の精神に作用し、感情を操作して幻覚を見させる。これは藤乃さんと一緒に見た光もそうだ。

 僕が目眩だけで済んでいるこの状況も他の生徒はもっと違う感情、例えば恐怖とかを惹起じゃっきさせられているらしい。

 決して僕が鈍感という訳ではない。文妖を明確に認識する事が出来るにも関わらず、その影響を受けにくい特異体質なのだそうだ。まあ、この辺りは全部斎原からの受け売りなのだが。


 その文妖だが、まれに形を成す事がある。

 原因は主として図書館利用者の強い思念だという。愛情、嫉妬。そして憎悪。


 ごきっ、と僕の右足首から変な音がした。

「痛てーっ!」

 激しい痛みだった。脱臼か、悪ければ骨折したかもしれない。一瞬、意識が飛びそうになった。

「君依くん!」

 斎原が駆け寄ろうとするが、文妖に絡め取られ前へ進めない。彼女は本棚へ手を伸ばし一冊の本を抜き取った。

「ごめん、後で修繕なおしてあげるからね」

 そう言うと何枚かページを破り取った。それを扇のように両手に持ち、水平に腕を振り抜いた。

 紙が通過したところに青白い光が走った。

 音にならない鋭い悲鳴が上がり、透明な空気の固まりは文字通り霧散した。


 斎原は二三歩僕に近づいたが、すぐにまた文妖に取り囲まれた。

「これじゃ、きりが無い」

 何度も紙の剣を振るい文妖を粉砕しているのだが、その度に新しい文妖が図書館の奥から現れて来るのだ。

 ついに斎原が片膝をついた。荒い息をつき、そして文妖に押しつぶされるように床に倒れ込んだ。

「君依くん、ごめん……」

「ちょっと、斎原っ!」


 低いうなり声に僕は振り返った。僕の右足を咥えていたのは白銀の狼だった。

 完全に実体化し、僕を見詰めている。不思議と恐怖は感じなかったけれど。


「どうしたんだ、がっちゃん」

 ふわっと、暖かい空気が流れた。


 完全に場違いな声と共に、僕の前に誰かがしゃがみ込んだ。

「あまり遅いから見に来てやったぞ。この狼は、がっちゃんの新しいペットか?」

 やはり折木戸だった。相変わらず緊張感の無い奴だ。おまけにパンツが見えてるし。


「そんな訳あるか。逃げろ、折木戸」

 その狼を見て、ふふん、と折木戸は笑った。

「へえ面白い。だがな……」

 折木戸は立ち上がると、狼に向かって手を伸ばした。

 こつん、と狼の頭を叩く。

「悪いが、

 

 狼は消え失せた。それと同時に部屋中に満ちていた文妖の気配も消えた。


 僕と同じように文妖を見る事が出来て、しかも全く影響を受けない女。それが折木戸しずくだった。

 文妖を見る事が出来る理由は分らない。だが、影響を受けない理由ならはっきりしていた。

「そうだな。わたしは一切、本を読まないからな」

 と、いうことだ。


 そうして僕はまた松葉杖のお世話になる事になった。

 藤乃さんの瞳が輝いている気がするのだが、やはり気のせいではないだろう。


「ああ、だけど。こんなに傷んじゃったよ」

 がっくりと肩を落とすのは斎原だった。

 図書館の机の上には大量の本が積まれていた。みんなどこか破れたり、ページが脱落したりしている。あの後、すぐに館内の調査をしてこれだけの冊数の本を見つけたのだった。


 斎原が自分で破ってしまった本はもちろん、文妖を切り裂いた事により、それを発生させた本自体も傷つけてしまったのだ。

 だが一番の原因は、折木戸が強制的に文妖を排除してしまった事による。もちろん折木戸が意図したものでは無いのだが。


「これ、ほとんどバラバラになってるじゃないか」

 僕もため息をついた。誰が修繕すると思ってるんだ、折木戸。


「本当に折木戸さんって、最終兵器みたいなものよね」

 しみじみと斎原はつぶやいた。


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