第5話 発現する文妖
藤乃さんは手を止め、考え込んでいた。
「これは、何に分類すればいいのかな」
今回寄贈されたのはえらく古い本ばかりで、僕でも判断に困るものが多い。机越しに本を受け取り内容を確かめる。これは多分…。
「哲学でいいんじゃない?」
「それは何だか違うような気がするんですけど。でも、まあ君が言うなら」
藤乃さんは、今ひとつ納得がいかない顔のままだ。
実のところ、この程度でいいのではないだろうか。ジャンル分けでその本の内容が変わる訳ではないのだ。
例えばこの古代ローマ帝国皇帝マルクス・アウレリウスの『自省録』などがそうだ。歴史でもいいだろうし、思想・哲学としても、文学としても良いような気がする。そんなものなのである。
最終的には、仕分けする者の好み、という事になる。
……後で斎原に怒られるかもしれないけれど。
「あの、そっちへ行ってもいいですか」
うん?
僕の顔を見て、藤乃さんは明らかにうろたえ始めた。
「そ、その。別に深い意味はないんですよ。でも、説明とか聞きやすいかな、と思って。それだけですから、本当に」
「あ、それは気付かなかった。どうぞ」
藤乃さんはパソコンを持って立ち上がると、机を回って僕の横に腰を下ろした。
ひとつ咳払いをする。
「じゃあ、説明の続きをお願いします」
顔が赤い。
小さく頷きながら僕の解説を聞いていた彼女は、すぐにパソコンに向かった。すでに入力フォーマットは出来上がっているのでそれを埋めて行くのだ。
だが、それにしても……。僕は、ほー、と息をついた。
「キーボード打つの早いな。藤乃さん」
これはいい。これを機会に図書委員を彼女と交代してしまおう。
でも、それはこの箱の中身を片付けてからだが。
作業は順調に進んだ。
(折木戸じゃ、こうは行かないよな)
僕は藤乃さんの横顔を見ながら思った。あいつ、ろくに漢字読めないし。
彼女はそれに気付かず、一心不乱にキーボードを打っている。
「どうしたんですか。手が止まってますよ」
やはり前を向いたままだが、口調に咎める調子が含まれていた。
「あ、ごめん」
「そんなんじゃ、今日中に終わりませんよ」
藤乃さんはそう言うと、唇を尖らせる。
「終わらないだろ。何箱あると思ってるの」
藤乃さんは、えー、と抗議するような目付きで僕を見た。
「良いんですか、そんな
「いや。斎原は今週中くらいに終わればいいって言ってたから。そんな無理しなくていいんだってば」
「はあ、そうなんですか」
不承不承、手を止める。
なんだろう、この恐ろしいまでのやる気は。
☆
「ところで、君と折木戸さん、斎原さんは幼なじみだそうですね」
折木戸は義理の双子と呼ばれているし、斎原と僕は母親同士が姉妹なので従兄妹にあたる。実のところ、三人とも素直に仲が良いとは言えないが。
「ああ。知ってるんだ」
「斎原さんに聞きました。ところで……」
ためらった藤乃さんは結局、言葉を濁した。
「ま、まあ、いいです。……でもこれって、タイトルが分らないんですけど」
藤乃さんは、手にした本のページを開こうとした。全体的に色褪せた古い本だ。
タイトルが分からない、つまり名前が無い本という事だった。
「それ、開けちゃだめだ!」
僕は慌てて制止する。それは……。
「はい?」
遅かった。藤乃さんはページをめくってしまっていた。
そして、そのページは異様に白かった。
藤乃さんの手の中で、その本は光を発した。同時に部屋の蛍光灯が一斉に消える。
明滅するそれを藤乃さんはしばらくの間、呆然と見詰めていた。
ふと何かに気付き、顔を上げる。
「え、ええっ?」
彼女は声をあげた。
資材室にも本棚が設置されている。そこに並ぶ本も同じように光っていたのだ。
「蛍、みたいだ……」
うっとりと呟く。
やがてそれは本棚を離れ徐々に集まると、渦を巻き僕たちの周囲を巡った。
次の瞬間、爆発的な光が僕たちを包んだ。
「眩しい……、これも文妖、なんですか……」
藤乃さんは脱力して、僕の腕の中に倒れ込んできた。
僕を見上げた彼女は、はうっ、と大きく息をついて目を閉じた。
少しだけ開いた唇から白い歯がのぞいている。
据え膳。
ファーストキス。
誘われている。
色んな言葉が頭の中に浮かんで消えた。これって、そういうことでいいのか。
僕は彼女を腕に抱いたまま、顔を近づけた……。
☆
「もしかして、いまキスしませんでした?」
すぐに目をあけた藤乃さんが、慌てて口許を押さえた。
「いや、だって。藤乃さんが目を閉じたから、つい」
柔らかい唇をいただいてしまいましたけど……。
「違いますっ!」
真っ赤になって怒っている。
「わたし身体が弱いから、びっくりすると仮死状態になるんです!」
どうやらこの彼女は、虫か何かだったらしい。
「ひどいです。もう手伝いませんよ」
何だよ、騙されたのか。
僕は平謝りする。どうにか藤乃さんの機嫌も直ったようだ。
「ま、まあいいでしょう。…予想以上の進展でしたけど」
最後、小声で何か言ったようだったが。
「は?」
「何も言ってません!」
「今のみたいなのは初めて見ました」
それは僕も同じだった。
「でも、綺麗でしたね」
藤乃さんに注意しておかなければならなかった。名前のない本は、文妖になる可能性が大きいのだということを。
今回は比較的、害のないものだったが、モノによっては人の精神を破壊するような文妖が出現する可能性だってあったのだ。
僕が本当に謝らなければならないのはその事だった。
「大丈夫です。君は必ず、わたしを守ってくれると信じていますから」
藤乃さんは、明るく笑った。
あの時のように、と。
「さあ、今日の内に、この一箱くらい終わらせますよ」
そう言うと、藤乃さんはまたパソコンに向かった。
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